この日から奈乃香の通院は始まった。奈乃香は徐々に回復を見せ、一ヶ月もしないうちに学校へ行けるようになった。
私は、というと始めはこの奈乃香一人の声しか聞こえなかったのだが日に日に聞こえる人数が増え、今では道行く人々の声も聞こえてしまうようになった。
始めは気のせい、幻聴なのだと自己暗示をかけようとしていた。しかし、すでに自覚せざるを得ない状況になっていた。
心の声によって私の診察は能率よくなった。そして薬に安易に頼らない、理想としていた治療が出来るようになった。
しかし私が診る患者にとってプラスになった私のこの力は、しばしば私の心を傷つけた。
私が精神科医となって人々の日常の状況や感情に耳を傾け始めてから、強く思うことが一点だけある。
人間とは行動と思考が常に一貫性を保っているとは一概に言えない。そのことだ。
人間とは複雑なもので、語っていることと同時に思っていることは正反対だったりする。
隣人とのトラブルで困っていたある主婦は、隣人と仲良くしたいと声に出しつつ殺意を抱いていた。完璧主義な親の元で親の願いを叶えてやりたいと訴えつつ親を憎む少年もいた。
人間は矛盾ばかりだ。素直に行動して悩んでいる人間よりも矛盾の中で生きて悩んでいる人間の心の声は、はるかに強く粘着質だ。
私の耳や頭にこびりついてしまうので、そんな患者を何人も相手にしているとこちらが参ってしまう。
きっと行動と言動の差に私が戸惑ってしまうのだろう。
そんな日々が続いたある日、私は一度自殺を試みたことがある。
リストカットをして親に連れられて来た少女の声に、私の心が当てられてしまったのだ。心の声を汲み取ったことで感情がシンクロし、理性や常識が失われてしまった。
幸い未遂に終わったが私は病院を追い出された。


そこから私は貯金を使い、自ら個人経営の病院を造った。都心の隅のほんの小さな雑居ビルの一室を買い、カウンセリングを主とした施設としてひっそりと始めた。
転職など考えられなかったのだ。
開業したての頃は、小さな相談所だったが、年月が経つにつれて噂が噂を呼び、通ってくれる人が増え、最後には雑誌やテレビの取材が私のもとを訪れた。
これも患者の心の声による出来事だった。
どこもかしこも、私のことを『患者の心の真実を汲み取る医者』だと書き並べた。
しかし私の心はメディアが私の事を褒め称える度に廃れていった。
私は今も、この力の存在を誰にも打ち明けられずにいる。常識で考えられる力ではないからだ。笑われるに違いない。狂ったと思われるに違いない。
そのため、いくら攻撃性の強い心の声に当てられたとしても、人間の行動と言動の差に思い悩んだとしても、私はどこにもその不満を漏らせずにいる。
そんな中、私の実力をかったある病院が、私を引き抜いた。
その病院の院長は、私が昔勤めていた病院から追い出されたという経歴を知った上で、私に勤めてほしいと頼み込んできた。
私に断る理由など無かった。その日から今日に至るまで、私はこの病院に勤め続けている。院長はよほど私を気に入ってくれたのか、私の好きなように働いて良いと言ってくれた。
その言葉に甘え、私は医者というよりもカウンセラーに近い存在として、勤め続けてきた。
薬にはなるべく頼らず、常にコミュニケーションで患者の心を癒すことを優先させた。
院長から私に対する扱いの良さに、周りの医師たちからは良くは思われていなかった。やはり現実は、こういうものなのだと私は納得した。
しかし患者たちは医師たちとは正反対に、私を頼って病院を訪れてくれた。患者たちの中で私は他の医者とは違う、と認識されていたようだ。
最初に心の声を私に聞かせてくれた奈乃香のように、さまざまな病院を転々としてきた患者たちが特に私を支持してくれていた。
私が心の声を聞く力を持っているとは気付かないままだったが。いや、私が気付かせまいと常に心がけて患者と接していたからだと思うが。
私は患者から支持を受けて病院での仕事を順調にこなしていった。

だが心の中には、やはり強い不満を隠し持ち続けていた。
不満や悩みが無い人間は、いない。誰かしら何かしら、大きい小さいなど関係なく持っているものだ。
昔あんなに好きだった町の賑わいは、今の私にとって一番苦手なものとなってしまった。
人がいれば、心の声が聞こえる。人の渦の中にいれば、それはよりいっそう混線した電話のように私の耳に、心にたたみかけるように響いてくる。
買い物や外食は滅多にしなくなった。仕事以外では、人を避けるようになった。
感情が爆発するのが恐ろしかったのだ。
私は人の心の声を聞くことが出来る。患者は、悩める人々は私の力によって口に出せない感情や不満を解消し、スッキリとした面持ちで自らの生活へと戻っていく。
そう、私に吐き出して、そのままそれぞれの日常に戻っていくのだ。
吐き出され、私に投げかけられた醜い叫びや訴えは、私が処理するしかない。
患者は私を捌け口にしていることに気付いていないのだから。だが私は処理する間もなく、擦れ違う人々の心の声や不満を受け取り続けてしまう。
コントロールできれば良いのだろう。しかし、その方法は誰かが教えてくれるわけも無い。
私は常に受け取る側でしかない。私から私の心の声を発信することは出来ない。
私以外、心の声を受け取ってくれる人は存在していないのだから。
私が他人の心の声を聞こえることを信じてくれる人も、きっといない。
私はこれから、どうなってしまうのだろう。
他人の不満や感情を溜め込んで、いつか自ら命を絶ってしまうのだろうか。
それとも、私の精神構造が徐々に壊れ始め、医師ではなく患者の立場に回ってしまうのだろうか。
いや、どちらも迎えたく無い現実だ。想像するだけでも、恐ろしい。
いっそこの力を失いたい。しかしこの力によって、私を頼りにしてくれている患者がいないわけではない。
私一人が救われたいと思うのならば、医者を辞めれば良い話だ。
しかし、患者を見放してまで私は救われたいとは思わない。
願わくは、この力をコントロールする術が知りたい。
コントロールできなくとも、私自身の力で投げかけられた不満や感情や訴えの数々を処理する術を、私が身につけられれば良いのだ。
だが願ったところで現実は一向に私に味方してくれない。
きっと私は、これから死ぬまで誰にも打ち明けられずに、受け手側として生き続けていくのだろう。
何年も、何十年も。


過去を振り返って溜め息を吐くと、時計の長針がカチリと音を立てた。看護婦の声が聞こえないところをみると、今日の患者はさっきの男で最後だったのだろう。
ボールペンの頭を机にコンコンと当てながら椅子にもたれ掛かる。
今日は患者が少ない方だった。心の声も、あっさりとしたものが多かったような気がする。
毎日、毎日同じことの繰り返しだ。日に日に患者が入れ替わり立ち代り私の元を訪れては去っていく。
私は優しげで、気の効く医者を演じているだけだ。



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