三ヶ月前、とうとう楓からプロポーズされた。
プロポーズの言葉は「サボテンの花が咲いたら結婚しよう」だった。
聴いた瞬間、楓らしいなぁと、ふき出しそうになったけど、私は自分でも驚くくらいに素直にうなずくことができた。
このままこうして楓と死ぬまで一緒に居られると思い、やっと私自身が女に戻れるんだと心の奥で安堵しかけていた。
でも現実は無情だった。
振り切るように奥歯をかんで走る。自分の住んでるマンションの駐車場に行き、車に乗り込む。エンジンをかけ、無我夢中でハンドルを切った。
息はおかしいくらいに上がっていて、視界が狭く感じる。頭の奥が熱い。瞬きを続けていないと、視界が一気に滲んでしまう。
馬鹿、馬鹿だ、馬鹿野郎。楓の馬鹿野郎。
それだけがぐるぐる巡っては消え、巡っては消える。
鼻の奥がツンとして、喉が痛くなってくる。
しばらく走った後、人気の無い道の脇に車を止めた。
ハンドルに両手をかけ、その手の甲に顔を押し付ける。
枯れたサボテンの姿が目に焼きついてはなれない。さっきはあまりにも見ていられなくて、思わず鉢ごと叩き割った。
申し訳無さそうな楓の顔が、胸を締め付けた。
あんな顔されたら怒ることさえ出来ない。泣くことさえ出来ない。生殺しもいいところ。
お互い、約束を誤魔化すなんて出来なかった。誤魔化してしまったら今までの時間も、思い出も空しさに変わるだけだと分かってた。
約束なんてどうでもいいから結婚してくれと楓が言ったところで、私はきっとうなずけない。あんな約束、しなければ良かった。
でも、あの約束さえなかったら私と楓は一緒にいることは無かった。
素直になれなかった私の遠まわしな感情表現が、今さらになって私を苦しめてるなんて、笑いたくても笑えない。笑いながら泣いてしまう。
実際、嗚咽を漏らしながら、ぱたぱたと落ちる涙を無視して笑おうとしたが、それさえ無理だった。
こんなことになるんだったら、いっそ殺して欲しかった。こんな悲しみなんて、空しさなんて、こんなに弱い自分なんて知りたくなかった。
こんな私なんて消えてしまえばいい。いっそ楓が消してくれればよかったのに。全部、全部、思い出ごと、温もりごと消してしまってくれたら良かったのに。
でも、もう楓は隣にいない。
噛み合わせていた奥歯をゆっくり離すと、泣きじゃくる子どものような自分の声が車内に響き渡った。
しばらくそのまま、思う存分泣きじゃくった。
ようやく声が落ち着きだしたのを感じて、私はいつものように煙草を取り出そうとした。
だけどポケットの中に煙草は入っていなかった。ライターすらない。顔を上げて周囲を眺め回しても、煙草が買えそうな場所は無い。
どうやら楓の部屋に置いてきてしまったみたいだ。
息を吐いてぐちゃぐちゃになった顔を、車においてあったティッシュで拭う。
煙草の無い寂しい口元に、指で触れる。
私が叩き割ってきたサボテンは、今どうしているんだろう。流石に楓でも捨ててしまっただろうか。まだ床の上で、あのままの酷い状態で放置されているんだろうか。
あのサボテンには、かわいそうなことをした。
花を咲かすことはできなかった。私も、あのサボテンも、今やお互い枯れてしまった。
私はこれからどうしたらいいんだろう。
楓のいない生活なんて、想像がつかない。今更一人で生きていくことなんて出来ない。
楓のあの手がなければ、棘があろうと恐れずに伸ばしてくれるあの手がなければ、私は死んでしまうんじゃないかと思う。
もてあましたような唇を噛んだら、じわりと血の味がした。
私は、一生女には戻れないのだろう。他の人の下で女になどなりたくない。
私の花は、もう散ってしまった。
赤い赤い血のような小さな花は儚く散ってしまった。