いつだが、前にもこんなことがあった気がする。
いつだったかは、さっぱり覚えていないのだけれど。

事務所のソファに腰掛け雑誌を読んでいた。嘘みたいに静かで、ネウロもあかねちゃんもいるのに物音一つ立てなくて。
きっと依頼もないからネウロは昼寝でもしてるんだと思うけど、なんか落ち着かない。
私はといえば学校帰りの重たい鞄を足下に寄せて雑誌のページを送っている。紙面には怪物強盗が警視庁のもとで逮捕されたと大きく書かれていた。
詳細を知ろうと紙面をのぞきこむようにしたんだけど、そのページは真っ白になってしまって、何かの間違いだったらしく私は雑誌を閉じた。
コンコン、と初めて鼓膜が震わされたのはノック音だった。誰だろうと首をかしげながらドアを開ける。だけどそこには誰もいなくて。ただリボンが巻かれた真っ白い箱が宙に浮かんでいた。
箱はフワフワ左右に揺れて私の胸元に飛び込んで来た。
しっかと箱を掴んでリボンをほどけば、それは真っ白な生クリームに包まれたいちごのショートケーキだった。
闇色のチョコレートプレートには「Happy Birthday」の文字。
そうか今日は私の誕生日なんだと悟り、振り返る。
「ねぇネウロ、ケーキ届いたよ。一緒に食べようよ」
でもそこには誰もいないどころかあったはずの事務所さえなくなってしまって。
真っ白な果ての見えない空間に私独りぽつんと立っていた。
そっか、ネウロは謎しか食べられないんだっけ。今日は私とアイツの誕生日なのに。
そんなことを思いながら私はネウロと二人でケーキが食べられないことを残念に思いながら箱の蓋を閉じた。
すると誰かにポンと軽く肩を叩かれた。振り返ると笹塚さんが立っていて、いつものようにタバコをくわえながら、私の持っている箱を指し示した。
「このケーキ、もしかして笹塚さんが送ってくれたんですか?」
笹塚さんは答える代わりに首を横に振ってもう一度私の手にしている箱を指差した。
促されるままに箱を開けると中にはたこわさが入っていた。
ありがとうございます、とお礼をいおうと顔を上げたら、目の前にいたはずの笹塚さんはいなくなっていた。
代わりに立っていたのは匪口さんだった。匪口さんはニコニコ笑いながら抱えていた大きな兎のぬいぐるみを私に押し付けた。
匪口さんの唇がハッピーバースデーと紡ぐ。でもその声は虚空に吸い込まれてしまったみたいに私の鼓膜を震わせることはなくて。
ありがとうと応えると匪口さんは私の足下を指差した。私はしゃがみこんで抱えていた兎のぬいぐるみを足下に置いた。
よく見れば、プレゼントのラッピングをされた箱がぐるりと私を囲んでいた。見れば箱にかけられているリボンにはメッセージカードが添えられている。
ひとつひとつ見ていくと、吾代さんからの箱の中身はアヤさんのコンサートチケット。笛吹さんからのは大きなテディベア。筑紫さんからは蝶のブローチ。石垣さんからは猫の置物。由香さんからは海の色をしたガラス細工。そしてアヤさんからの箱を開けると心地よい音楽が流れて来た。
座り込んだまま箱を開け、周りを散らかしていたら誰かがそばに立っているのに気付いた。
顔を上げれば妖しい微笑みを浮かべたサイだった。その手には真っ赤な箱。
「…あれ、捕まったんじゃ…?」
私の言葉を否定もせず怪物強盗はアイさんに姿を変えた。
サイだったアイさんは手にしていた赤い箱を私に差し出した。
首を横に振って遠慮します、と告げるとその箱の蓋に手を掛け、そっと開けた。
中身を見たくなくて、ぎゅっと目を閉じた。
「どこを見ているワラジ虫」
え、と丸くした目を開く。聞き慣れた罵声が聞こえた。
でも目の前に立っていたのは匪口さんで。さっきと同じように兎のぬいぐるみを抱えている。
ニヤ、と笑った匪口さんの唇が動く。
「ネウロからのプレゼントだってさ」
振り返れば、そこには真っ青なスーツを着込んだ魔人の姿。
「我が輩からの贈り物だ、喜べヤコ」
でもその手には何も持っていない。
大きな口を歪めて笑った魔人はくるりと背を向けると、どこかへ行ってしまった。
「ねぇアイツは、ネウロはどこへ行っちゃったの?」
「どこか遠くへ」
匪口さんが答えた。
「何で行っちゃったの?」
「それがあの助手の桂木へのプレゼントだから」
どういうこと、と尋ねたら匪口さんは目を細めて微笑んだ。
「ネウロから桂木へ贈ったプレゼント、それは」
匪口さんの唇が文字をたどる。
「永遠の自由」
キラリと鋭いその目が光った。
「いいじゃん、桂木よく言ってたじゃん。ネウロなんかいなくなっちゃえって」
背筋を冷たいモノが走った。
慌てて魔人の背を追う様に走り出す。走っても走っても真っ白な背景は動きもしない。
汚れもくすみもしない。影すらも誰かに奪われたかのようで。
どこへいっちゃったの。魔界へなんて帰ってないよね?それとも他の誰かの、私の代わりになる誰かのとこにいっちゃったの?嫌だよそんなの嫌だ!
もつれた足がぶつかりあい、よろめいた。肩を上下させながら荒い呼吸を繋げる。
周囲の音はない。ただ私の間抜けに息を吸って吐く空気の振動がヒューヒュー聞こえる。
死にかけた蛙の出す様な音は耳に痛い。静寂はひたひたと耳を腐らせようとしているようだ。
動くのをやめた足を抱え、その場にうずくまる。
ぎゅっと目を閉じれば、自分一人だけが宇宙の真ん中に取り残されている様な錯覚に陥りそうになる。
確かにネウロなんていなくなっちゃえって思ったことだってある。平凡な日常に戻りたいって思ったこともある。だけど、そうだからって…
人の気配がしてハッと我に返る。顔を上げる。でもやはり誰もいない。
じわり、と涙が滲むのを察し私は虚空に叫んだ。
「だからっていなくならなくったって良いじゃない、ネウロの馬鹿!」
パッと事務所の風景が目の前に広がった。
革張りの社長椅子に腰掛けたネウロが目を丸くして私を不思議そうに見ていた。
私は咄嗟にソファから起き上がり、魔人に飛び付いた。
細い体に回した腕にぎゅっと力を込める。絶対離れないように。二度とこの魔人がどこか知らないところへ行っちゃわないように。
いつだかネウロも昼寝のあと、こんな風に理由もなく抱きついてきたことがあったっけ。
一言、私が死んだと、その時の魔人は告げた。
ぎゅっと目を閉じる。ネウロの体温が衣服を越え皮膚を通して伝わる。温かい。
私の行動の糸が掴めずネウロがどうしたらいいのか対応に困っている様子が、なんとなく空気を通して伝わってきて、ぎゅっと苦しかった胸の奥がもっと締め付けられた。
胸が詰まる様な息苦しさに、私の目に熱いモノが込み上げて来て、私は更に両手に力を込めた。

プレゼントなんていらない。
ここにネウロがいてくれればいい。