懐かしい着信音が鳴った。桂木からの着信だった。
シックスと名乗っている凶悪犯と全面対決を決めた警視庁内は、毎日仕事に追われて帰宅すらできない刑事で溢れかえっていた。
俺もその一人。もう何日家を空けたのか自分にも分からない。
毎日パソコンの画面と書類の山と交互ににらめっこする日々。笛吹さんと筑紫さんが順番にやってきては仕事を置いていく。
追加された書類を手にして、ソフトで何度もシュミレーションを繰り返す。
ここ数日で何年分の目薬を使ったのか考えたくもない。
ふー、と息をついて頭を捻って首を回す。鈍いしびれが体を包んでいる。
そういえば、冷蔵庫の牛乳の賞味期限そろそろ危なかったはずだな、なんてことを思い出す。
いつになったらこの事件は終わるんだろう。
石垣と等々力さんの報告によれば、今回の事件にネウロも一枚噛んでいるらしい。
つまり、桂木も巻き込まれているに違いない。怪我、していないと良いけど。
桂木も無茶すると大変だからなー…。
はぁ、とため息をついたら、ちょうど笛吹さんがやって来た。
よれっとしたシャツとジャケットはここのところ毎日同じもので、目の下にはうっすらとクマが出来ている。
きっとあちこち走り回って仮眠しかとってないんだろう。
「あれ、珍しく今日は追加の仕事ないんだね」
笛吹さんの両手は何日ぶりかのカラだった。
俺はホッとしながら伸びをする。笛吹さんは苦笑を浮かべてみせた。
「あぁ、だから今のうちに休んでおけと言いに来た。みんな、いつ収集がかかっても良いように休んでほしい」
その一言で情報犯罪科の空気がわずかに緩んだ。
笛吹さんが部署を後にすると、仮眠のローテーションはすんなり決まった。
仮眠室の小さいベッドに体を横たわらせると、ギシギシと関節が軋む音がした。
ホコリのにおいが染み付いた布団をかけ、静かに目を閉じる。
桂木は今、どうしてるんだろうか。危ない目にあってないだろうか。
ここ数日で、桂木からの連絡がぱったりとなくなった。
とにかく無事であってほしい。
あのネウロが一緒ならば命の危険は少ないとは思うけれど、とにかく情報が少なすぎる。
今どんな状況に置かれているのかすら分からないなんて。今は情報社会じゃないのか。
側にいれたなら、こんなことで悩むこともないのに。
その時、懐かしいメロディが流れた。
桂木からの着信専用メロディに間違いなかった。
飛び起きた俺は慌ててケータイを開く。
画面には桂木弥子の文字。確かに桂木のケータイからの着信だった。
一瞬で今までの眠気が消え去った。
騒ぐ心臓を落ち着かせ、通話ボタンを押す。
「もしもし…?桂木?」
一瞬の間をおいて、しゃくりあげるような音が電波に乗ってきた。
「あっ…ひ、ぐちさん…!?」
「桂木、どうした?」
鼻をすする音と震える声。どう考えても泣いている。
なにがあったんだろう。
「あの、他に頼れる人もいなくて、電話…っしたんですけど」
俺を真っ先に頼ってくれたんだ、と胸の奥で空気も読まずに喜ぶ俺がいた。
「桂木、今どこにいんの?」
「えっと…森です。あの、私と吾代さんは無事なんですけど、ネウロが…っ!」
ざわり、と胸の奥で何かが騒いだ。
「ネウロが?」
「死んじゃうかも、しれない…!!」
電話の向こうで桂木のしゃくりあげる声が一層大きくなった。
「助けて…!匪口さん、ネウロを助けてください!!」
桂木は何度も繰り返しながら、泣き続けていた。
胸の奥で、ズキリと痛みが走った。大きな歪みが出来たのが分かった。
桂木は俺が言葉を発しないことに不安を覚えたのか、一部始終を荒削りに説明した。
「お願いです!こんなこと他の誰にも言えないから…っ!本当に匪口さんだけが頼りなんです!!匪口さん!」
俺は軽く息を吐き、笑って言った。
「分かった。とりあえずそっちに行くから、待っててよ」
電話越しに、何度も桂木のありがとうが繰り返された。
俺は適当に相槌を繰り返し、気づいたときには通話を終えたケータイを閉じていた。
きっと桂木は気づいてない。
今の俺がどうして傷ついてるかなんて。
数分前喜び舞い上がっていた俺自身に嘲笑を送って、俺は仮眠室のルームフォンに手をかけた。
「笛吹さんに繋いでくれる?ヘリを一台出して欲しいってさ」