ちゅどーん、と間抜けな電子音がした。
夕飯を食べる手を休めずにテレビから目を離したら、向かいでお母さんがノートパソコンのキーボードをめちゃくちゃに叩いてた。
「どうしてこうなっちゃったの!?えーーっ、待ってよ、急がなくちゃいけないのに!!」
慌てすぎてコーヒーをテーブルに零してる。幸いパソコンは濡れてないけど。
「…どうしたの?」
ゴクリと口の中のハンバーグを飲み込んだ。お母さんはパソコンから目を離して、青い顔で…いや、人とは言えない顔で私を見た。と同時に眉毛が下がった。
「弥子…パソコン、壊れたみたい…データが、全部消えたわ」
「え?お母さん締め切りは?」
「三日後…パソコンないと仕事に…」
「急いで修理に出してみたら…!?」
お母さんは首を振った。
「ううん、最低でもパソコンを修理に出したら、三日どころか最低二週間はかかる…」
うわーと思っていたら、頭の片隅に、ある人の姿を思い出した。
「お母さん、私…パソコンに詳しい人知ってるんだけど…」
「うそっ、本当?その人だったら、間に合うの?」
「えっ、あっ、うん。相談してみて損しないと思う…」
「じゃあ、明日さっそく行ってきて。明日の夜からやれば、徹夜で間に合うから…!」
私は、そんな流れでノートパソコンを入れた鞄を手にして、あの人のところへ向かった。
「あの、匪口さんに会いに来たんですけど…」
デスクとおびただしいパソコンが並ぶ中に問いかける。
「おっ、桂木じゃん、今日はどうした?」
振り向くと匪口さんが立っていた。
「あ…、ちょうど良かった。あの、ちょっと相談ごとが…」
「…?まぁ良いや、奥行って座ってから詳しく聞くよ」
匪口さんは、スタスタと歩き始めた。私は慌てて重たいパソコンを持ってついていく。
「座って」
差し出された回転椅子。匪口さんは目の前のデスクにしまわれていた椅子に座る。
キィ、と椅子に寄りかかりながら、匪口さんは私を見た。
「それで、相談って?」
デスクトップ型のパソコンが設置されているデスク。私はそのパソコンの横に荷物を置いた。
「お母さんが使ってるノートパソコンなんだけど、壊れちゃったらしくて……匪口さんパソコンに詳しいですよね?…急がないといけないんです。どうしたら…」
「現物は?」
促されて、私は鞄の中から、お母さんのノートパソコンを取り出した。デスクの上でパソコンを開いて、起動させる。
ガリガリと、いつもは聞こえない嫌な音を立てて、パソコンの画面が明るくなった。
「なんだか、上手くデータが保存できないらしくて…」
匪口さんは、上げていた眼鏡を下げて、自分の方にパソコンを向けた。
カタカタと匪口さんがキーボードを打つ音が聞こえる。一定リズムのその音は、お母さんよりも速い。
お母さんも仕事で日ごろ使ってるから、普通よりは速い方なんだけど、匪口さんは流石だなぁ。
少しの間があって、匪口さんは私に笑いかけた。
「…あぁ、ちょっと前に流行ったウイルスに感染してるな」
「分かったんですか?」
「そりゃ、俺はこれが本業だからね。30分もあれば、直せる」
「本当ですか!?たった30分で…!?」
匪口さんは、にやっと笑ってデスクの引き出しを開けた。中には沢山のCDとMOと書類が入ってる。
んー、と唸るような声を出しながら一枚のCD-ROMを取り出し、ノートパソコンの中に入れた。
カタカタ…とさっきとは比べられないくらいの速さでキーを打っていく。画面には、黒い背景に白の文字で、英語の暗号みたいなのが、次々と書かれていく。
画面から目を離して匪口さんを見ると、真剣な横顔が目に映った。
私は匪口さんの様子を見ながら、あっけにとられて何も言えなかった。
「ウイルス解除、完了」
カタン、と匪口さんはエンターキーを押した。黒と白い文字の羅列が一瞬で消えて、懐かしいデスクトップが現れた。
「うわぁ…ありがとう…!」
「いや、こんなの朝飯前だね」
さらりとそういって、匪口さんはパソコンの電源を落とした。
「あの…お礼は、また今度でいいですか?」
パソコンを受け取りながら尋ねたら、匪口さんは口を閉ざして何か考えているみたいだった。
「じゃあ、お礼代わりに飯に付き合ってくんない?俺まだ何にも食ってねぇし…おごるよ」
「えっ…そんな…」
「腹減ってねぇとか?」
私はぶんぶんと首と手を振った。
「そんなことないです!良いですよ。パソコンを直すのに、もっと時間かかると思っていたし…」
「じゃあ決定」
匪口さんは笑って、かけていた眼鏡を上げて立ち上がる。私もつられて立ち上がり、手にしていたパソコンを鞄に戻した。
「お待たせしました、ジャンボパフェとミルクティーとパーティーサンドイッチとアイスクリームです」
注文したデザートがテーブルの3分の2を埋める。
「そんなに食って腹壊さねぇの?」
「はい、これくらい朝飯前です」
私はパフェ用の長いスプーンを構えた。
「このレストランは、このジャンボパフェとパーティーサンドイッチが名物なんで」
「でも、それ2つとも5人前だぜ?」
「私にとっては全部で腹3分目です」
言い切ったら、匪口さんは「はは」と笑った。私は気にせずにパフェに向かう。
真っ白なバニラアイスを口にしたら、顔が緩んだ。
パクパクと食べてたら、匪口さんは私が頼んだサンドイッチのお皿からカツサンドを手にした。
「もらってもOK?」
「ええ、ほうそ」
匪口さんは、それから私が食べ終わるまで、ずっと私のほうを見ていた。
食べ終わってナプキンで口元のラスクのかけらを拭った。
「何か…変ですか?」
「…ん?いいや。見てて飽きないなぁって思っただけで」
「よく言われます」
「はは」と匪口さんはもう一度笑った。
「また何かあったら、俺んとこまで相談しに、会いに来なよ。そこらの修理屋に頼るよりさ」
「えぇ、そう言ってくれるなら、そうします。本当に今日はありがとうございました」
「まぁ、飯に付き合ってもらったから、もう良いよ、礼なんて」
そういわれた私は、仕方なく笑って済ますことにした。
「じゃあ、そろそろ帰ります」
「あぁ、そうだ」
匪口さんは、鞄の中から何かを取り出して私に手渡した。
見るとそれは、さっきのCD-ROMだった。
「またかからないように、ウイルス対策ソフトを渡しておく。少しは役に立つだろうから」
「えっ、そんな…いいんですか?勝手に…」
「大丈夫、大丈夫。山ほどコピーしたやつがあるから。一枚くらい、どうってことない」
「じゃあ、もって帰ります。本当にありがとう」
「気をつけて帰れよ」
私は、立ち上がって入り口から外に出た。
いっぱいになったお腹と、手の中にあるCDを見て、思わずスキップしたくなった。
匪口さんの優しさに、感謝。