十数分前に届いていた「もうすぐ帰る」というメッセージに気が付いてベランダに一歩出てみると、ちょうどマンションから見える大通りに繋がる道の角を、大きなスーツケースを引いたツッキーが曲がって入ってくるところだった。天気は快晴で、地上から十メートルはあるだろう、この部屋のベランダからでもツッキーの姿はよく見えた。マンションに面している道路の脇に並んで植えられている桜の木は満開を少し過ぎていて、ツッキーの姿を見え隠れさせるように、風に舞った桜の花びらがあたりに広がっていた。
声をかけるより先に迎えに行こうと、俺は駆け込んだ玄関の扉を押し開けて、エレベーターを待つのもじれったくなって、大急ぎで七階分の階段を駆け下りていった。
階段を下りきった瞬間、エントランスに入ってきたツッキーと目が合った。ツッキーは少し目を見開いたけれど、俺が来ることを予想していたのか、あまり驚いた様子ではなさそうだった。
「おかえり、ツッキー」
住人用の通用口の扉を内側から開き、声をかけた。ツッキーは柔らかい表情で俺に微笑みかけると、引いていたスーツケースを小脇に置いたまま、そっと俺に向かって両手を広げた。そこに飛び込むように抱き着くと、誰も来ない一瞬を逃さないように、俺の体をツッキーがぎゅうっと抱きしめてくれた。チーム遠征から帰ってきたツッキーの身体からは、嗅いだことのない不思議な、乾いた乾草のような匂いがしていた。
パッと身体を離し、ツッキーを見上げると、ツッキーも俺のことをじいっと見つめていた。触れ合っていたい気持ちを二週間我慢していたのは、俺だけじゃない。この続きは後で、とその目に視線だけで応えると、ツッキーはホッとした様子で目を細めて言った。
「ただいま」
おかえり、ともう一度口にすると、ツッキーの肩にピンクの花びらがくっついていることに気が付いた。俺はその花びらに手を伸ばすと、そっと指の先でつまみあげた。散ったばかりの綺麗な花びらは、さっきベランダから見下ろしていた桜並木のもので間違いなさそうだった。
「こっちが、まだ咲いてるなんて、思ってもなかった」
「うん、雨があんまり降らなかったから、かな」
俺の手元の桜を見やったツッキーは、どこか嬉しそうだった。関西の方へ遠征に行っている間、こっちの季節の進み具合なんて予想もできなかったんだろう。
俺は手の中にある桜の花びらを見つめ、そして、それを、ぱくりと口の中へ放り込んだ。むぐむぐと口を動かし飲み込んだ俺を、隣にいるツッキーが、信じられない、と言いたげな目で見つめていた。
「やっぱり塩漬けのとは、ちょっと違うね」
「当たり前でしょ、花びら一枚で味するわけないし」
「いや、ツッキーが持って帰ってきてくれたものだから、なんとなく、美味しそうかな、って気になって」
何言ってんの、とあきれたツッキーのため息が耳に届く。一瞬頭を抱えたツッキーの視線がチラリとこちらに向けられて、そして、一歩近づいたツッキーの顔が、俺の目と鼻の先に近づいた。
「そんなのより、先に、こっち、じゃないの?」
ちゅ、と音を立てて触れたツッキーの唇の感触が、不意打ちのように頭の中に飛び込んできた。しばらくぶりのその感触にドキリとしながら、俺は、ごめん、とつぶやいて、拗ねたように尖らせているその唇に、お返しのキスをした。
溜飲は下がったのか、大げさに息を吐いてみせたツッキーが、俺の顔を見下ろした。
「今日の夕飯、ツッキーの好きなもの揃えてあるからね」
その視線に笑顔で応えると、ツッキーは心から嬉しそうに眼を細めたのだった。