正直言って烏野は田舎で、特に高校の周りは坂ノ下くらいしか寄り道できる場所がない。
 烏野に唯一あるファストフード店はTVのCMで見る有名チェーン店なんかじゃなくて、個人がやってる喫茶店みたいに小さなこの店たったひとつで、高校からは少し遠いところにある。俺もツッキーも田舎のそんなところはもう慣れっこになっていて、時々部活が早く終わった時に二人でそこに行くのが俺とツッキーにとっての放課後の寄り道になっていた。
 ツッキーは注文した山盛りポテトの揚げたてを一本つまみあげると、単語帳を開きながら口に運んだ。店の中には俺とツッキーだけがいて、二人では広すぎる店内を貸し切っているようなこの光景は、俺たちにとって珍しいものじゃなかった。
 いつ来ても俺たちは山盛りポテトを二つ注文して、ツッキーはLサイズのいちごシェイクを、俺はMサイズのコーラをそれぞれ注文する。小さなテーブルで向かい合って、それらを口にしながら学校の宿題をするのがいつもの過ごし方で、今日のツッキーは明日の英語の小テストの勉強をしていて、俺は数学のプリントを広げてシャーペンを握りしめていた。普段は同じ教室で同じ授業を受けているけれど、数学と英語に限っては成績別のクラス編成で俺とツッキーは別の授業を受けている。
 開いた単語帳の陰から、ツッキーの顔が半分だけ見える。その目は気だるげで、少し疲れているのか眠たそうにも見える。重たそうな瞼のふちに並んだ睫毛が上下して、その長さを示している。集中して真剣そのものという様子ではないけれど、きっと明日の小テストもしっかり満点をとるんだろう。眼鏡の奥の二つの目はアルファベットをなぞるだけですっかり暗記してしまう。俺とは大違いだと思う。
 長い指がポテトをつまみ、また一本、さらに一本と単語帳の陰に隠れて消えていく。七、八本に一度手をとめシェイクを口にする。甘いシェイクをにこりともせず飲んでいるツッキーは似合っているようで、格好良く見えるから不思議だと思う。
 ちらり、とツッキーの目が俺を見る。俺は、目が合ったね、と返す代わりに笑顔をつくる。ツッキーはおれの手元を見て、眉をひそめる。
「せっかくの揚げたてなのに、相変わらず、まだ食べないの」
 空になったツッキーのポテトの入れ物と、まだ山盛りに積まれたままの俺のポテトがテーブルの上に並んでいた。俺は、にこにこ笑いながらうなずいた。
「もうちょっとふにゃふにゃになった方が美味しいから」
 ツッキーはため息を吐きたそうな顔のまま、今度は俺の広げたプリントに目を向けた。
「じゃあさっさとそれ片づければいいのに、暇そうにボーっとしてるより」
「暇なんかじゃないよ、俺、ツッキーが食べてるのを見てるだけでお腹いっぱい――――」
「うるさい」
「ごめんツッキー」
 へらへら笑う俺から単語帳へと視線を戻したツッキーは少し呆れたフリをしていたけれど、少しむずがゆそうな顔をしていた。これ以上言うと怒らせてしまいそうだったから、とりあえずプリントの問題に向かうことにした。
 ツッキーは片手でシェイクを少しずつ飲みながら単語を眺めているようだった。数問解いている間沈黙がおとずれたけれど、それもいつものことで、逆にそれが心地いいと思えた。
「ツッキー、ここ教えて」
 不意に俺がこう言っても、いつだってツッキーはちゃんと教えてくれる。ツッキーは優しいだけじゃなく、たとえ自分の勉強を中断して俺に付き合ってくれたとしても、俺より早く宿題を終えるし、テストも俺より良い順位になる。だから俺は安心してツッキーに教えてもらうことができる。
 俺が指で示した問題に、ツッキーはさらりとヒントを口にした。俺のもやもやしていた頭の中は、たったその一言によって一瞬で晴れ渡る。やっぱりツッキーはすごい。ありがとう、とお礼を言った俺に対し、ツッキーは
「それより、早く食べれば」
と俺のポテトを横目で見ながら、そう促した。開いていた単語帳を閉じ、手にしていたシェイクのカップと一緒にテーブルの上に置いた。
「もう充分ふにゃふにゃでしょ」
 その言い方はどこかイライラした調子で、俺はうながされるままに一本食べてみることにした。持ち上げた長めの一本は、重力にまかせて真ん中から少し下に向かって曲がっている。一口かじると、悪くはないけれど、まだもう少し待った方が良いかなぁと思うくらいのふにゃふにゃ具合だった。
 ツッキーは俺のそんな表情を読み取ったのか、けげんそうな顔でこちらを見ている。残ったポテトを持て余すように口でくわえて黙っていると、ツッキーの表情はさらに険しくなっていく。くわえたポテトの端をかじりとって噛んでいると、唇に残ったポテトの先が上下する。その先端に、気付けばツッキーの右手が伸びてきて、「邪魔」と言いながら俺の唇からポテトを取り上げる。取り上げたポテトのしなったラインを見たツッキーはいぶかしげに、ゆっくりとその端をかじった。二、三回あごを上下させると「不味い」と言って憎らしそうに、指に余ったポテトを睨んでいる。
「普通揚げたての方が美味しいに決まってるのに、ふにゃふにゃの方が好きだなんて信じられないね。しかもこれでもまだふにゃふにゃじゃないって思うのは、お前くらいだよ」
 俺の顔を見るなり「返す」と言葉を添えて、俺の目と鼻の先に短くなったポテトを突き返す。俺はツッキーの顔と、差し出されたポテトの先を順番に見てから、結局ぱくりと口で受け取った。最後まで口の中に入れてしっかり噛んで飲み込むと、今まで食べたどんなポテトの中でも一番おいしかったことに気がついた。思わず顔がゆるみ、すぐに今の行為に顔が赤くなりそうで、俺はとっさにプリントの問題に向かった。慌てて食べはじめた残りのポテトは最後の一本までいつもより味気なくて、ツッキーがくれた一本に勝てるはずもなかった。
「ツッキーって魔法が使えるのかな」
 空になった二つのカップを見てこぼした言葉に、ツッキーは「何それ」と言っていたけれど、俺の目を一度も見ようとはしなかった。ツッキーの耳がほんの少し赤く見えたのは、俺の気のせいかもしれない。


 次の日答え合わせをした数学のプリントは後半が誤字脱字だらけで、自分でも笑ってしまうほどだった。その原因を思い返したら、頭の中が沸騰しそうで、初めて、同じ教室にツッキーがいなくて良かったと思った。