出張から帰ったばかりの山口から、ハイ、と手渡されたのは、魚の形をした小さな煎餅の群れだった。透明なビニル袋に詰められた体長5cmもない魚たちは、シルエットだけで切り取られた単純な姿かたちで、その目の無いつるりとした顔面で、じっとこちらを見つめてきている。
「なにこれ」
「お土産。地元の塩を使った、おかきだって」
スーツケースに詰め込んできた汚れた衣類を手に抱えながら、山口が立ちあがって答えを言い残していく。そういえば山口が今回、出張に出向いたのは海に面した港町だった、などと思い返す。パタパタと洗濯籠のある脱衣所に向かい、往復してくる足音を耳にしながら、手の中にいる魚の群れを、じぃっと見ていると、ふと、記憶の片隅に、懐かしい何かがあるような気がして、フッと浮かんだ光景に、つい、口元が緩んでいく。
「どうかした?」
戻ってきた山口に尋ねられ、いや、と口にしながら、首を横に振る。頭の中に蘇った映像記憶を視界の端に浮かべながら、目を細めていく。
「昔、こういう魚の形をしたクッキーかビスケット、よく食べてたなぁ、って、思い出しただけ」
ふぅん、とあいづちを打った山口が、視線をスーツケースに戻していった、その時、
「あ!」
唐突に声を上げるものだから、今度は、こちらが、何、と尋ねる番になっていた。
「クッキーだよ、それ、俺も食べてた。こう、魚の形していて、目がゴマの黒い粒で乗ってて、」
驚いた様子で目を見開きながら記憶をたどる山口の視線と目が合い、つられて、こちらの頭の中の記憶の光景も鮮明に蘇ってくる。そうそう、とうなづきながら、目の前にある山口の顔と、記憶の中の映像をオーバーラップさせながら、こちらも、つい、言葉が口を突いて出てくる。
「カルシウム配合ってうたってあって、」
「パッケージに描いてある魚のイラストが、」
「筋肉ムキムキすぎて、ちょっと気持ちが悪かった!」
指を差し合いながら、最後の一言をお互いに重ねて言い合った瞬間、謎の感動が、じわりと胸を突いていた。
「あったあった、懐かしい〜俺も、それよく食べてた、小学生の時」
ははは、とひとしきり笑い声をあげた山口が、目じりに浮かんだ涙を指で拭いながら、しみじみと声にする。記憶の中にある小学生だった自分の姿と、想像できる山口の小学生の姿が似たり寄ったりであることに、どこか、言葉にはしきれない可笑しさが込み上げてくる。
そうか、山口も、あのクッキーを食べてた時期が自分と同じで、あったんだな。そんなことを思いながら、手の中にある、魚の形をしたかき餅たちに目を向けると、なぜか珍しく、今、開封して早く口にしたいような気になって、気づけば、袋の口に結わえられた針金の綴じ具を指でつまんで、緩めていた。
「そっかぁ、ツッキーも俺も、あれを食べてた、ってことは、それなりに効果はあったのかも」
顎に手を当てて、ふんふん、と考える素振りをしながら口を開いた山口に、
「でも、同じクッキーを食べても、効果の出方は個人差があった、ってわけだ」
遠回しな皮肉に近い言葉を向けると、意図に気づいた山口が、ふざけたニュアンスで、わざと顔をギュッとしかめさせた。僕と山口の身長は、結局一度として僕が負けることはなかったのだから。
「それはツッキーが元々大きかったからで、小学校からの伸び率でいったら俺の方が、」
隣で言い訳めいたことを言い続ける山口を、ハイハイ、となだめながら、封を開けたおかきの一つを指でつまむ。口の中に放り込んだそれは、塩だけとは違う、まろやかな塩気をまとって、軽い口当たりのまま、ザクリと細かく砕けていった。もうひとつ、ふたつ、と続けて口にすれば、塩気に喉の渇きが誘発されてくる。かつてのクッキーは牛乳がベストな飲み合わせだったけれど、この場合はお茶か何か別の物になるんだろうか。
むくれていたはずの山口が静かになったことに気づき、目を向ける。見れば、片付けの終わっていないスーツケースの傍で座り込んで、何やらスマホの画面を一生懸命にのぞきこんでいる。
何をしているのか、と尋ねれば、
「うん、んん、いや、あのクッキー、まだ売ってたりするのかな、って気になって」
「何? 思い出して、食べたくなった、とか?」
「そうだけど、そうじゃなくて、食べたら、今でも効果あるのかな、って」
さすがに今から身長が伸びる展開は望めないだろう、と頭に浮かんだ文言を口にするべきか飲み込むべきか、迷っているうちに、山口が、あ、と声を上げて、嬉しそうにこちらを見ながら、手にしていたスマホの画面を差し出して近づけてきた。
「まだ、普通に売ってるみたい、スーパーとかで」
ひどく嬉しそうな顔つきで、へぇ、と何度も画面を見やっているだけに、これは、買ってくるのは時間の問題だろうな、と想像がついた。
「食べて、どうするの」
「え、え〜、それは、ほら、食べたら、丈夫になるかな、って。骨が」
「充分、丈夫でしょ、今のままでも」
目を見合わせ、一瞬動きを止めた山口が、軽口を言う時、特有の顔つきで、ニヤリと笑う。
「丈夫になって、ツッキーのこと担いで走れるようになれたら良いかもしれない、って思って」
謎のドヤ顔を披露した山口を横目に、ツッコミを入れる気も起きず、とりあえず手にしていた、おかきのひとつを、さらに口の中へと放り込んでいく。カリカリと咀嚼していると、袋の中を覗きこんできた山口が、あ、とわざとらしい仕草で口を開けてアピールしてくる。買ってきた当人を無視して食べつくすほど自分は悪人でもないため、仕方なく、その口の中に、ひとつ、つまんだ魚を放り込んでやる。と、嬉しそうに頬を緩めた山口が、満足げに笑いながら、顎を動かしていく。
「やっぱり地元の人のおすすめは裏切らないね」
もうひとつ、とねだるように口を開けた山口に応えて、ふたつばかり、さらに追加で放り込んでやった。
「何飲む? 牛乳?」
そろそろ喉が渇く頃だろう、と見越して声をかけてやれば、何かを思い出した顔つきの山口が、お、と目を見開いてから、ニヤッと、悪ぶったような顔つきで微笑んでみせた。
「あのクッキーはもちろん牛乳一択だったけど、これは、そうだなぁ、やっぱり、大人の極み、缶ビールかな」
上手いことを言った、と言わんばかりの表情に呆れつつも、二泊三日の出張を終えたその身体を労わるべく、ハイハイ、と返事をしながら立ち上がり、冷蔵庫へと向かった。山口が帰ってくる今夜に合わせて冷やしておいたビールの缶を手に取ると、振り返った先、こちらの手元を見やった山口の顔面は、幸せに満ちた笑顔へと表情を変えていった。
「SUPER RTS!!2025」の差し入れとしてお配りしたカードに添えたSSとなります。
地元の塩を使った魚の形の煎餅(おかき)とあわせて、当日はお渡ししました。