牛乳を買いに行っただけのはずの山口の手には、何故か二つのビニル袋が提げられていた。大きいものと小さいもの。もちろん、リットルの牛乳パックは大きい方に入れられて、水滴のついたソレを取り出すなり、山口は歩いて帰ってきた喉の渇きを癒やすように、すぐさまコップに注ぎ入れた白い液体をゴクゴクと飲み干した。肝心の小さな袋の方は、と言えば、袋に入ったままシンクの縁の、ごく限られたスペースにのせられて、山口の飲み終えた牛乳のグラスを洗った際に跳ねた水道水の水滴を、その表面に受け止めていた。
「それ、何」
 夕飯の支度を進めながら指で示せば、ああ、と思い出した様子の山口が、袋の縁を引っ張って、中に入っているものを僕に見せた。
「サボテン、ほら、あそこのスーパー、入り口が百円ショップになってるから」
 理由になっているか曖昧な線で説明をする山口に、しかめ面で聞き返す。言葉にするまでもなく、何故、買ってくる必要があったのか、と。山口も長年の付き合いの中で、僕が何を次に尋ねるのかは、耳にしなくても察しがついた様子だった。
「入り口で、可愛いな、って。ほら、ちょっと、ツッキーに似てるし」
 おちょこに似たサイズの鉢、おそらくプラスチックだろう植木鉢風の入れ物に植えられたサボテンは、緑の球体に無数の白いトゲを生やしていた。僕に似ている? どこが?
「見て、時期が来たら、黄色くて大きい花が咲くみたいだよ」
 鉢に刺さった品種名に添えられた小さな写真には、同じく球体のサボテンが黄色い花をつけている様が切り取られている。確かに綺麗な花であるとは、思うけれど。
「絶対、水のやりすぎで枯らす、に一万点」
 山口のことだから、世話を焼きすぎてしまうに決まっている。この男に最も相性が悪いのはサボテンで間違いないだろう。過去にこうして何度かサボテンを見つけては買って帰ってきたこともあったけれど、その度、決まって、根腐れを起こして捨てる羽目に至っているのだ。この男には学習能力が無いのだろうか。そう思いつつ、冷めた目で見てやれば、妙に自信に満ちた様子で笑う山口と、目が合った。
「何、その目」
「大丈夫、今度こそ、絶対にうまく育ててみせるから」
「……どうだか」
 何かしら世話を焼くのが嫌いではないこの男は、過剰に愛情を注ぎ過ぎる部分がある。それは植物に限らず、人間に対しても。放っておけない性格なのだ、いつ、何においても。
「少しくらい、『放っておく』ってことも、学んでみたらどう? 構いすぎて、根腐れ起こすのだけは嫌でしょ」
 夕飯の肉野菜炒めのピーマンを切りながら、適当にあしらいの言葉を告げ、手先に集中する。山口の相手をしていたら、いつまで経っても腹は満たされないままだ。
「ツッキーは、枯れたりしないもんね?」
 ぴた、っと隣に肩を並べて、くっついてきた山口に顔を覗きこまれる。
「は?」
 見れば、構ってほしい顔つきで僕を見てきていた。少し面倒に思いつつも、山口の言わんとしていることは、およそ分かっていただけに、合わせて、ふざけた調子で口を開いた。
「さぁ? 案外、すでに軽く、食傷気味かも」
 え、と道化のように驚く素振りを見せた山口が、わざとらしく慌てた様子で言葉を続ける。
「困ったら、時々、返してくれても良いよ?」
「返す? どうやって?」
 眉間にシワを寄せ、目の前の山口の意図を図ろうと頭を悩ませる。すぐに答えの出せない僕を見て、ニヤッと笑った山口が、ここぞとばかりに顔を近づけてくる。
「それは、たとえば、こうやって」
 ちゅ、と音を立ててキスをした山口の顔が満足げに離れていく。唇から伝わった熱と、ほのかな牛乳の、生活感に溢れすぎた香りに、つい気の抜けた笑みが口から零れ落ちていく。
「分かった。さっそく、そうさせてもらうことにする」
 単にキスしたかっただけ、だったのかもしれないな。胸の内に広がった甘い感触に、つられてふざけながらキスを返した。へへ、と嬉しそうに頬を緩めた山口が、満足そうに僕を見る。返しているのか、共有しているのか。倍増している気配すら感じる矛盾に目をつぶりながら、唇の端を緩める。山口には多分、一生、『放っておく』ことなど出来ないのだろう。それは、何より、山口自身が、構わないといられない性分だから。
「僕がサボテンと同じじゃなくて、良かったでしょ」
 具材を放り込んだフライパンを煽りながら、そんな戯言を口にする。そんな僕の手元と顔を見ながら山口は、満足そうに「そうだね」と囁いていた。サボテンはきっとまた枯れてしまうだろう、山口が世話をしている限り、絶対に。