ショーケースに並ぶ模型のクレープの並びに目を向けるふりをして、隣に立つツッキーの横顔に視線を向けた。眼鏡の奥の瞳が何を見て、どこに移るのか、その様を盗み見て、俺は、なるほど、と心の中で相槌を打つ。
「俺、やっぱり、チョコバナナにしておこうかな」
 チラ、と俺のことを一瞬、見やったツッキーの視線が少しホッとした様子を滲ませているのを感じ、よしよし、と気づかれないように胸の内で自分自身に向けて親指を立てる。
「あ、そう、」
 ふぅん、と声を漏らしたツッキーに、わざとらしくならないよう気をつけながら、
「ツッキーは、どれにする?」
 ショーケースから敢えて視線をツッキーに向けると、俺から視線を逸らすように反対にショーケースに視線を向けたツッキーが、じゃあ、と口を開く。
「これ、いちごホイップ」
「おっけー、まかせろツッキー!」
 店員のお姉さんにツッキーの分も合わせて二種類のクレープのメニューを注文する。二つ合わせて二百円の割引ですね、と告げられて、俺はドヤ顔でツッキーの方を振り返った。
「いいから、見なくて」
 二人並んで会計を済ませ、目の前の鉄板に視線を向ける。熱く熱せられた円形の鉄板の上に、薄く生地が伸ばされ、穴が開くんじゃないかと心配になっていた部分も無事に平らに埋められていき、あっという間に一枚のクレープ生地が焼き上がる。ふわ、っと粉と乳製品の混ざった甘いにおいが鼻をついて、作業台に移されたクレープ生地の上に、縦半分に割られたバナナのスライスとチョコレートソースが広げられ、くるっと見慣れた円錐形に巻き上げられる。紙に包まれてカウンター上の銀のスタンドに差されて立ったソレに続いて、作業台の上ではカットされたイチゴのスライスと絞り出されたホイップクリームが手品のように丸い生地の上で散りばめられ、あっという間にクレープの形に生まれ変わっていく。
「はい、チョコバナナといちごホイップ、お待たせしました」
 辺りに漂う甘い砂糖の香りに胃袋を刺激されながら、俺は二つ並んだクレープを手に取り、入り口に近いところで立って待つツッキーに振り返る。勝手知ったる様子で、目で返事をしたツッキーが、納得した顔つきで、一足先に店の外に出る。小さな個人商店のクレープ屋の隣に置かれた木製ベンチが空であることを目で確認して、俺とツッキーは何を言わずとも二人そろって、そこに腰を下ろした。
「はい、ツッキーおまたせ」
 隣に座るツッキーが肩から鞄を下ろしたのを待って、俺は手にしていたクレープのうちのひとつ、ツッキーが選んだいちごホイップの方を素早く差し出した。
「ん」
 短く声を発しただけのツッキーの横顔はご機嫌そのもので、他人が見たら分かりづらいレベルかもしれないが、確実にその目元と頬と口元はクレープへの期待感で、ものすごく緩みきっていた。巻き付いたクレープの包み紙の端を、わずかに手でどけ、抑えながら、一口。その様子を見やってから、手の中にあるチョコバナナのクレープに、俺も、と一口、角のあたりにかじりついた。鼻に抜けるバナナの香りと、口いっぱいに広がるチョコソースの甘さに、息をつく。隣でいちごホイップを、もう一口、かじりとったツッキーを横目に見て、俺はさらに一層、目を細めた。
 駅の大通りから一本脇に入った小道にあるこのクレープ屋は、毎月十五日にペア割という割引をする。クレープを二個まとめて注文すると、合わせて二百円値引きされるというお得なサービスで、甘いものに目がないツッキーが、それを見逃すわけはなく、こうして月の十五日に俺とツッキー二人ともの予定が合うのであれば、決まって二人で、この店に来ては、一緒に並んでクレープを食べるようになっていた。駅の反対側にあるチェーンのクレープ店も似たようなサービスを月に二回くらいやっているらしいのだけど、そっちは同じ烏野の生徒と遭遇する確率が高いのに加えて、イートインのスペースがいつも満杯で座れる確率が、ほぼ無いから、ツッキーは絶対にそこには行きたくないのだという。幸い、こっちの店の方が、ツッキーに言わせると、商品のクオリティが高くてコスパが良く、高確率で店の側に置かれたベンチに座れることもあって、俺とツッキーにとっては、とてもとても、都合が良かった。ツッキーは立ち食いや食べ歩きが、すごく苦手だ。 本人は口にはしないけれど、落ち着いて座って食べられる店じゃないと基本、利用したがらないし、何より、提案した途端に、ものすっごく不機嫌な顔つきに一瞬で変わる。いくらツッキーが部類の甘いもの好きだとしても、そこは譲れないらしく、だからこそ、こうして座って食べられる場所があるクレープ屋を、俺たちはそれなりに気に入っていた。
 二口、チョコバナナクレープをかじったところで、口の中の甘さに息を吐く。隣のツッキーに目を向ければ、今にも食べつくしそうな勢いで、いちごホイップを楽しんでいる。俺の視線に気づいたのか、横目に見てきたツッキーと目が合う。その視線が、じぃっと、俺の手の中に残っているチョコバナナホイップクレープに熱く注がれる。
 やっぱりチョコバナナの方も気になってたんだ。そう思いながら、何も言わず、そっとツッキーに向け、クレープを手にしたままの右手を差し出してみる。
 ぱち、ぱち、と二回、ゆっくり瞬きをくり返したツッキーが、俺の顔を見る。いる?と目で尋ねれば、納得した様子のツッキーが、口を近づけてくる。俺の手にしたクレープの真上、俺が紙をめくって大きく姿をさらした部分に向かって、ぐわっと、全体を飲み込めるんじゃないか、ってくらいの大きさに開けた口を開き、そのまま全部一口で食べつくしてしまいそうな動作で、かじる、
「あ゛ッ!?」
 思わず手をひっこめた俺の顔を見て、黙ったままのツッキーが、ニヤッ、と最高レベルで意地の悪すぎる笑顔を、俺に向けた。
「嘘ウソ」
 ケラケラ笑うツッキーの口が、逃げた俺の手を追いかけて、常識的な一口、チョコバナナクレープの一部を、本当に、一口、かじりとっていった。
「何も言わないで差し出すから、もう全部、残り、いらないのかと思った」
 ニヤニヤしながら口を動かすツッキーの顔は、俺の知る限りのうちの最高にご機嫌な時のソレで間違いなかった。
「もー、そんなわけない、って、分かってるくせに」
 脱力した俺の隣で、相変わらず機嫌の良いツッキーの笑い声が続いていた。やっぱりチョコバナナで正解だったんだな、と自分の推察もピッタリだったことに胸を撫でおろす。冗談キツイよ、とぼやいた俺に対し、独り言みたいなツッキーの声が続く。
「どうでもいいけど、クレープ屋でチョコバナナを選んで注文するのって、あまりにも無難すぎて守りに入ってて、『なにやってんの』って言われても文句が言えない程度のつまらなさじゃない?」
 本当は、注文しようか迷うくらいには食べたいと思っていたはずなのに、ツッキーはそんな妙な話を、誰に尋ねられたわけでもないくせに、とりとめもなく一人で話し続けていた。一口、俺から差し出されて食べたくせに。そう思う自分がいないわけではないけれど、隣にあるツッキーの横顔が、ご機嫌のままであることと、その言葉の意味が本当は、嬉しさの裏返しなんだって知る俺からすれば、それは大した矛盾でも何でもなかった。だって、そのために俺はツッキーの目線を盗んで、この展開を先読みしていたんだから。
「ツッキーって、素直じゃないよね」
 残ったチョコバナナクレープを口にしながら、俺は、つい、本音と笑い声を漏らしていた。ひと足先にいちごホイップを食べつくし終えたツッキーは律儀にも、手に残った包み紙を、全体の半分、さらに半分、もうさらに半分、と何回も小さく折りたたんでいた。
「さっき、フリだけじゃなくて、本当に全部食べてやればよかった」
 そんな自らの手元と、手の中の小さく固く折りたたまれた包み紙だったものを見やりながら、不満そうにツッキーが言う。チラッと投げかけられた視線は、俺の手の中にある、まだ大きな塊で残るチョコバナナクレープの存在に向けられたようだった。
「え゛っ」
 顔をしかめ、ツッキーから隠すように身をよじる。そんな俺の反応に、デジャヴのようにツッキーが笑う。嘘ウソ、と繰り返した言葉は、さっきと何ひとつ変わってはいなかった。
「お前の、そういう類の声を耳にするの、結構、かなり、好きかも」
 反応に困っている俺の顔を見ながら、あっけらかんと、はは、と声に出して笑うものだから、俺はまた、ツッキーの好きなように揶揄われたのだと、数秒かかってからようやく理解をしていた。
 残りのクレープを俺が食べつくすまで、どうやらツッキーは、店の壁にかけられているメニュー表を眺めて時間を潰しているようだった。その顔は今も変わらずご機嫌なままで、その横顔を目にしながら、次に二人で来た時に俺が食べるのは何味のクレープになるんだろうな、なんて、ぼんやり考えていた。なんとか甘さに苦しんだチョコバナナクレープの最後の一口を、口の中へと頑張って押し込めば、隣にいるツッキーが待ちくたびれた様子で座っていたベンチから腰を上げた。次は出来ればチョコでもホイップ系でもないと良いなぁ、と思いつつ、メニュー表に並ぶ甘そうなクレープを横目に、俺もツッキーの後を追って立ち上がっていた。