昔から山口忠という幼馴染は、僕に対して何かと「〜してもいい?」と尋ねてから実行に移す男ではあった。それは恋人として付き合う前、友人の段階から、やれ、遊びの約束であったり、登下校の道のりだったり、何かと「一緒に何かをしてもいいか?」と事あるごとに、こちらの顔色をうかがいながら尋ね、その質問を儀式のように前置きすることで、安心した顔つきになってから行動に移すのが常ではあった。
 それは山口の癖と言うべきか、性格の表れと言うべきか、そういう山口の特性であり、致し方のない部分であると納得をし、深く疑問に思わないように古くから意識はしていた。しかし、それが近頃、妙な距離感で扱われるようになっていた。
 事実、今、山口は、ソファに腰かけた僕に対して、無言で近づいてくるなり、黙って、僕の顔を見ることなく、こちらの腰元に両腕を近づけるやいなや、しっかりと抱きついてきていた。その感触に視線を落としたところ、こちらの反応に気づいているのか、いないのか、その点は定かではないが、思い出したかのような口ぶりで、こう尋ねてくるのだった。
「ぎゅっ、ってしても、良い?」
 目の前で抱き着いている山口の身体は、自分にしか見えていない生霊か何かなのだろうか。そう疑いたくなるレベルで、既に抱き着いている体勢の山口を前に、戸惑いながら返事をした。
「え……、もう、すでにしてる、でしょ」
 僕の脇腹に押し付けた鼻先を、ぐりぐりとさらに押し込みながら、山口が言う。
「『もっと』って、意味」
 ぼそぼそと告げた声の響きに、呆れながら、その頭頂部を見やって告げる。
「あ、そう。……好きに、すれば」
 既に抱き着いたままの山口の両腕に、強く力が込められていく。ぎゅぅ、と目いっぱいの力で抱き着きなおしている山口の様子を見受けて、一応、なるほど、と納得はする。ただ、それならば、質問の仕方が違うんじゃないのか。そんな疑問が新たに浮かび上がるが、指摘をしたところで意味の無いことだろう、と、なんとなく想像がついていた。
 付き合いはじめて間もないうちは、決して、こんな状態ではなかったはずだ。付き合って数か月の山口は、むしろ、こちらが『良し』と返事をしたところで、どこか不安そうに、こちらの顔色を伺いながら、時間をかけて、僕と山口との間の距離を縮めようとしていた。それがいつしか、日に日にその問いかけから僕に触れるまでの時間が段々と短く縮められていくようになり、気づけば、もはや、聞く前に実行してから尋ねる、という逆転現象が発生してしまっている。このまま、この逆転現象を極めていった先には、もしかしたらブラックホールの誕生さえも待ち構えているのかもしれない。
 そんなことあるわけないか。フッと、自らの思考の導き出した戯言に、自分自身で失笑する。そんなの、カントリーマアム理論じゃあるまいし。
 それにしても、この男は、僕がダメだと告げたら、一体どうするつもりなのだろうか。いまだに抱き着いたまま、時折、僕の脇腹に顔を押し付けてきている山口を見下ろして、ふと思った。
「もしダメって言ったら、どうするつもり」
「え?」
 押し付けていた顔を上げた山口と、視線が合う。目と目が合った、そう自覚した山口が、僕の呆れているであろう顔を見て、ニヤッと、意地の悪そうな顔つきで笑ってみせた。
「ツッキー、言わないでしょ。ツッキーが『ダメ』って言わないって、分かってる時にしかしないし、聞かないようにしてるから」
 じゃあ、なおのこと、何故この男は未だに僕に許可をとるような聞き方をするのだろう。自信満々の素振りの山口に、軽くイラっとしながら、眉間にシワを寄せていく。
「だったら、聞かなくても良いでしょ、……いちいち聞いてくる必要、どこにあるの?」
 指摘した内容にハッとした様子の山口が、軽く目を見開く。
「たしかに……! ……なんでだろ?」
 自分でも分かっていないのかよ。小首をかしげる様子に、さらなる呆れの感情が湧きおこってくる。それでも山口にとって、その疑問は大した問題でもない様子で、気を取り直した気配で僕の身体に改めて抱き着きなおした、その状態で、顔を埋めながら声を発していた。
「ツッキーも、ぎゅってしてきてくれて、良いんだよ?」
「いや、別に……、間に合ってるんで、結構です」
 ええ、と不満げな山口の声に、何がそんなに楽しいのか、と呆れの感情が一周回って、面白くなってくる。乾いた笑いを浮かべた自分に、山口がムッとした様子で不服そうに胸から背中から、布の上から、立てた指の先で身体をまさぐってくる。
「ちょ、……何してんの、いい加減、離せ、って」
 ムズムズする身体から山口の手と腕を引き剥がそうとしても、山口は一向に止める気配を見せない。それどころか、こちらの顔を見ながらニヤニヤと緩めていた唇で、しれっと、
「え? ツッキー、今なら『いいよ』って言ってくれると思ったんだけど?」
 ふざけたことを口に出してくるものだから、こちらも負けじと、くっついてきている山口の脇腹のあたりを思いっきり、くすぐりだしてやった。
「ちょ、ツッキー、そこはずるい、」
「お前だって、同じことしてきてるでしょ、」
 お互いにお互いの身体をくすぐり続け、ひとしきり大騒ぎした末に笑い疲れた結果、気づけば、お互いにお互いの身体を支えあうように抱き合ったまま、大きく息を吐いた。
「あー、……くだらな、」
 していることの、あまりのバカバカしさに声に出して笑っていると、同じく笑っていた山口が、ふと、笑いの合間に、急に真面目な顔で尋ねてきた。
「いちいち聞くの、もう、これからは、止めた方が、良い?」
 少し心配そうな顔つきに、滲んでいた笑いが引っ込められて、鎮まっていく感覚がした。
「別に……今のままで良いんじゃないの、聞かないなら聞かないで、腹立つし」
 そっか、とこちらの意見を飲み込んだ山口が、ホッとした様子で口を閉じる。山口に言うつもりは決してないが、その問いかけを止めて欲しいと思ったことは、こちらは一度として存在しなかった。それどころか、自分においては、その山口の「〜しても良いか」という問いかけの声の響きの柔らかさを、どこか、気に入ってしまっている部分も確かにあった。
 そんなことをこの男に告げたら、さらに調子に乗った顔を見せつけてくるのだろう。先ほどの自信に満ちた、腹立たしいまでの山口の表情を頭の中で思い返しては、自然と渋い顔つきになっていく。そんな自分を見上げた山口は、ただ黙って不思議そうに首を傾げているばかりだった。







2025年2月28日〜3月8日X(旧Twitter)にて開催された山月ネップリ祭りにて、頒布したものとなります。