数学のノートの端、一行目の罫線の上に今日の日付を示す数字を書き入れる。
『11/10』
 ゼロの始点と終点を結び終えたシャープペンの先を紙の表面から離して持ち上げる。ふいに胸に、その数字と共に生まれてきた幼馴染の男の顔が思い浮かび、分かりきっているはずの事実を脳裏に漂わせる。今日は山口の誕生日。
 軽く視線を上げた先、目の前で、手を伸ばせば届きそうな距離で、向かい合わせにくっつけ合わせた机の上に広げたノートと教科書に黙って向かう山口の姿が目に入る。教室の隅、窓際の僕の席を起点に、クラスメイトの席を借りて腰かける山口と、目と、目が合う。
「?」
 どうかした、と聞きたげな顔で山口が小首をかしげる。いや、なんでもない、と口にする代わりに、こちらは首を左右に振る。今日は山口の誕生日で、そして、珍しく部活が休みの日。学校側の都合で体育館を追い出された排球部だけが、練習場所を確保できずに急遽休みになってしまったのだと先生から説明を受けた。その証拠に、今もグラウンドの方角からは、野球部や陸上部の練習する声が複数入り混じって聞こえてきている。日向影山の変人コンビは勝手に場所を見つけて、今もどこかですでにボールに向かっているのかもしれないが、僕と山口は違う。それならのんびり自習でもしようかと、誰もいない教室の隅でボールの代わりにノートと参考書に向き合っている。
『11/10』
 ノートの一行目に残した自分の文字を見つめ、ふと、その隣に、自分の誕生日の日付を書き並べてみる。
『11/10  9/27』
 山口の生まれ持ってきたその数字と、自分が生まれる時に与えられた数字。斜線を挟んだ数の並びは分数のようにも思え、頭の中だけで約分をしてみたりする。山口は1と1/10。自分は、たったの1/3。ひとつに飽き足らず1/10が余る有様は、まさに山口の僕に対する好意を表しているようで。それに比べ、自らの数字の物足りなさに、どこか申し訳ないような、そんな気持ちさえ滲み出てきてしまう。
「どうかした?」
 手を止めたままのこちらを気にして、山口が声をかけてきた。
「いや、」
 深く考えずに口を開いたが、そこに続く、『大したことではない』の一言を発する代わりに、別のことを口にした。
「誕生日、おめでとう」
 プレゼントは鞄の中に押し込んである。今日の帰りに渡そうと、まだ取り出してすらいない包みの存在を頭の中で思い出す。不意の祝福に、山口は一瞬、おどろいたような顔になったが、毎年見せる満面の笑みをそこに浮かべた。
「ありがとう」
 二か月前の自分の誕生日、山口はお祝いとして新しいシューズバッグをプレゼントしてくれた。こちらがちょうど買い換えたいと思っていた物をズバリ見透かして贈ってくれた、その事実に、何度目かも分からない驚きと安心感を抱いた。この男は、僕のことを見すぎているし、知り尽くしてしまっている。それだけでも信じられないことなのに、出来る限りの思いやりと労力を僕には無限に注ごうとしてくる。そう、まさに、1と1/10の数字が示すように。
「プレゼント、大したものじゃないから」
 そんな山口に何を自分はあげられるのか、毎年、この時期は悩まされてばかりだ。自分の方が、ふたつきも早く生まれてしまったばっかりに、先手を打って毎年祝われた後やってくる山口の誕生日に、何も贈らないわけにはいかない。自分は山口に何を返してやれるのか。この男がもつ以上の何かを、自分は持ち合わせてはいない。なぜなら、こちらはたったの1/3なのだから。
「準備してくれたの!? ほんと?」
 こちらの牽制など気にも留めず、山口は全身で喜びを滲ませるように、やった、と小さなガッツポーズを胸のあたりでつくる。
「期待しすぎて、ガッカリしないでよ」
「そんなことないよ、もらえるだけで、俺はめちゃくちゃ嬉しいから。ツッキーが、俺のことを考えて用意してくれた、それだけで、すっごいこと、だから」
 敢えて下げようとしたハードルを直接上げてくる山口の態度に、かなわない、と思いながら薄く笑みが漏れていた。
「さすが、1と1/10」
「?」
 不思議そうに首を傾げた山口と、目が合う。
「こっちは足りなくて、そっちは有り余ってる、ってこと」
 うんざりした調子で口にした僕に、ピンと来ていない顔つきのまま、
「ツッキーに足りなくて、俺に余ってるなら、余ってるもの全部、ツッキーにあげるよ?」
 まるで僕にだったら無条件で全てを譲っても構わない、と言わんばかりの山口の言葉に、深く、ああ、と嘆息した。これ以上なにを言ったところで、山口の回答がどんなものか、自分はもう、分かりきってしまっている。
 もう充分、と返事をする代わりに、自分のノートの余分な数字を消しゴムで消しさった。
『11/10』
 今日は山口の誕生日。それ以上でも、それ以下でもない。
 帰り際、どんなタイミングでプレゼントを差し出そうか、考えながら参考書のページをめくった。目の前の山口は、僕がそれ以上何も口にしない事実に、首を傾げつつも、これ以上の詮索については諦めたようだった。