ツッキーの家族が旅行に行くのだと聞いたのが昨日の帰り道。ツッキーが今夜一人で過ごすのだと聞いて、とっさに「泊まりに行っていい?」と口に出してしまったのが朝の通学路で、いいよとツッキーが言ったのが、いつもなら手を振る分かれ道の前だった。
 あまりの急展開に声が裏返って、すぐに明日が土曜日だと思いだした。午後から部活はあるけれど、午前のうちに一度帰れば大丈夫。そう判断して家に電話をかけて説明してからツッキーの後をついていって、途中にあったコンビニに寄った。コンビニ袋を提げて歩きながら、こんな風に並んで歩くのって意外とないんだと思っていたら、あっという間にツッキーの家についていた。ぱちんとツッキーがスイッチを押して真っ暗な部屋が明るくなるのを見て、本当に誰もいないんだと確信した。
 部活の疲れもあってコンビニのお弁当を食べ終えるころには二人で欠伸をくり返すようになっていた。ゴミをまとめてビニル袋に詰め始めたツッキーを手伝おうとすると牽制されて、そのまま立ちあがって部屋を後にするツッキーの姿を見ていることしか結局できなかった。静かに閉まった部屋のドアはしばらく動く気配もなく、低いエアコンの動作音だけが部屋の中でうなっている。
 仕方がないからケータイを開いていじってみたけれど、充電がもう少しでなくなりそうで、充電機も持ってきてないことを思い出して、諦めて閉じてしまった。ツッキーの部屋の中は俺の部屋とは違って物が少なくてスッキリしてて、なんとなくおしゃれだと思う。壁にとりつけられたラックに並んだ恐竜たちはいつもそこからツッキーのことを見ているかと思ったら、なんとなく羨ましくなってしまった。
 ツッキーが部屋を出てからどれくらいの時間が経ったんだろうと時計を見ると、まだ五分も過ぎてなんかなくて、あと何分で戻ってくるんだろう、なんて考えた。大きな欠伸がひとつ出て、自然とベッドの上に目が止まった。いつもツッキーが寝て過ごしているベッドは綺麗に整っていて、本当にここでツッキーが生活してるんだと思えず、なんだか不思議な気持ちになった。
 疲れた。そう頭の中で単語が浮かんでは消えていった時、体の中の力が不意に抜けていくのが分かった。なすがままに脱力するとベッドの布団の上に、ぽすんとうつ伏せに倒れた。胸の中に息を吸い込んでみると、太陽のにおいがして反射的に意識が少しずつ離れていった。そんなぼんやりした頭の中で、今夜自分はどこで寝るんだろうと考えていた、その時、急に部屋のドアが開いて
「山口」
ツッキーの声がした。
ツッキーだ、とふわふわした世界で思った後、背中に何かがぶつけられる感触がして、夢じゃないと悟った瞬間一気に眠気が去った。起き上って振り返れば俺を見下ろすツッキーがいて、時計はさっきの時間から30分後を指し示していた。
 ツッキーは厚めのトレーナーとスウェットズボンの格好で、頭にタオルを被せて立っていた。タオルの陰にある顔はよく見えなかったけれど、短く「布団」と告げて俺の右横を指差すと、勉強机の回転椅子に無言で座った。見れば俺の背中には、たたまれた布団が雪崩れていて、さっき背中で感じた感覚はツッキーが布団を投げたからだと想像がついた。布団の山の一番上にはタオルとジャージの上下がちゃんとあって、その真意を聞こうか迷っている間に、ツッキーがこう言った。
「シャワー浴びれば」
 え、とか、う、とか、いいの?と言っていると
「汗臭いまま寝られても困るんだけど」
と言われたので、なるべく短い時間だけかりることにした。入ったお風呂場は湯気が残っていて、さっきツッキーが頭にタオルをのせていたのは先にシャワーを浴びたからだと気がついた。余計なことを考えちゃいけないんだと自分に言い聞かせながら急いでシャワーだけ浴びて戻ってくると、目が合った瞬間ツッキーが笑ったように見えた。何がおかしかったのか分からなくて、ありがとうと言ったらますます唇を薄くしてしばらく笑っていた。
 ツッキーが貸してくれたジャージは少し大きくて、洋服の袖と裾を折ったのなんて小学生の時以来だった。戻ったら運んできてくれた布団を敷こうと思っていたのに、ほんの少しの間に綺麗に用意されていた。ツッキーは知らん顔で濡れた髪を拭いていたけれど、俺は我慢できずにもう一回ありがとうと言った。
 俺の濡れた髪も乾いた頃、ツッキーが大きな欠伸をしてベッドにもぐりこんだ。寝るとき電気消して、とスイッチを指差すので、俺ももう寝ることにした。なんだかもったいないような気がしたけれど、明日も部活で一緒なんだし、そうかといって特にすることもないから当然かぁと思って、部屋の電気を消して布団に入った。
 いつもと違う布団はふかふかでやわらかくて、気持ちが良いような落ち着かないような、自分でもよく分からない心境で、真っ暗な部屋の中の真っ暗な天井を見上げた。少しして遠くで走る自動車の音くらいしか聞こえない部屋の中の物の輪郭が薄ぼんやり浮かんできて、窓から漏れてくる外の光のせいなんだと思って目を閉じた。
 真っ暗な瞼の中でツッキーが寝がえりをする布団のこすれ合う音がして、もう寝ちゃったのかな、と思って目を開けた。するとベッドの端っこから髪の毛がはみ出しているのが見えて、こんな角度でツッキーの頭を見るのは初めてだと気付いて思わず笑ってしまった。気付かれないように、と思っていたのに
「早く寝れば」
とツッキーの声がして、どきりとした拍子に息をのみ込んだ。少し経って、体にこめていた力を抜いたついでに漏れた息の熱っぽさに冬の寒さを感じた。布団の中は充分温まって心地いいけれど、布団から出ている鼻先は少し冷たい。さっきまでついていたエアコンも、ツッキーが消してしまった。冷たい空気から逃げるように顔を布団に埋めると、もう一度ツッキーの寝がえりをうつ気配がした。
 山口、と空耳に似たツッキーの声がした。さっきまで見えていた髪の毛は隠れていて、ツッキーがこっちに顔を向けているんだと見えなくても分かっていた。
「まだ起きてるよ」
 寝ているなら起こさないように、起きていても邪魔にならないようにと注意して返事をする。浅く息を吐く気配がして、
「明日起こさないけど」
と呆れた口調で返事がきた。俺は嬉しくて、目をつぶったまま笑って続ける。
「頑張って起きるよ」
もうさすがに返事はこないと思っていると、「朝とか寒いけど」と独り言なのかそうじゃないのか分からない言葉が耳に届いた。
「ツッキーが貸してくれた布団があったかいから大丈夫だよ」
「正しくは家の布団だけど」
「ツッキーが運んでくれたから、こんなにあったかいのかな」
 馬鹿じゃないの、と返ってきそうだなと思って静かに待っていたけれど、一向に返事はこなかった。もう終わりかなと息を吐いて寝る体勢になった時、むくりとツッキーが起き上って突然ベッドから出てきたかと思ったら、何も言わず俺の布団の掛け布団をめくって戸惑う俺の声も無視して隣に寝そべった。何が起きたのか分からなくて、夢なのかと自分の頬をつねったりもしたけれど、隣にいるツッキーが天井を見つめながら「山口うるさい」と言った口調はいつもの単調な口調に変わりはなかった。
 理由を聞こうか、目的を聞こうか、慌てている俺を一度も見ることなくツッキーは「あったかい」と口にした。どんな言葉を返そうか迷っていると、布団の中で冷たい何かが俺の脚に触れた。その冷たさに息を飲むと、さっきお風呂場で嗅いだにおいがして、ツッキーのにおいなんだと余計なことを考えた。ひやり、と太ももにくっついたものの冷たさが布ごしに伝わった時、それがツッキーの足先だと思い立った。ツッキーは寒がりだと前々から知ってはいたけど、こんな冷たい足をしているなんて知らなかった。ベッドに入ってしばらく経ったのに、まだこんなに冷たいだなんて。そう思っていると、ツッキーが寒そうに体を丸めて俺のそばに近づいた。
「温まったらベッドに戻るから」
 相変わらず言葉に詰まる俺に対し、ただそれだけを言った。頭の中でいろんな言葉がぐるぐる駆け巡ったけれど、結局「いいよ」の三文字だけが口から出た。
 息を吐いて力を抜いたツッキーの体温が少し上がる。一度下がった布団の中の温度が少しずつ戻り始める。一人でも充分温かかった布団の中で、二人だとこんなに温かくなるんだと思ったら胸の中までも温かくなるみたいだった。
 気が緩んで名前を呼ぶ。何の変化も反応もなくて、寝ちゃったのかと思うと「何」と返ってくる。それが嬉しくて、もう一度名前を呼んだら「もう寝れば」と返された。でもやっぱりこのまま寝てしまうのは残念で、少しずつ眠りが近づいて瞼が重くなってきているのは分かっていても、もう少しだけこのまま過ごしていたいと思うから言葉を発してしまう。
「温まった?」
「もう少し」
「ツッキー寝ちゃいそう?」
「寝る前には戻る」
「このままでも良いよ?」
「ベッドの方がよく眠れる」
「さっき何がおかしかったの?戻ってきたとき」
「必死だなって思った、それだけ」
「明日の部活メニュー何かな」
「しらない」
「このままだと夢にツッキー出るかな」
「山口が出たら明日の朝殴る」
 だんだんゆっくりになるやりとりだったけど、途切れずに眠りの近づく足音に合わせて流れる時間に身を任せるようにそれは続いていた。
「今俺ツッキーの湯たんぽなのかな」
「あと少しだから」
「嬉しいんだ、ツッキーの役に立てて」
「なにそれ」
「ううん独り言」
 そんな調子で、ツッキーが戻るまで寝ちゃいけないと思っていたはずなのに、いつの間にか意識の途切れる時間が長くなっていって、もう少し二人でこのまま、と願っていたのに気付いたら完全に深い眠りに潜ってしまっていた。夢か現実か分からない中で、隣でゆっくりとした寝息が続いていることを感じて、自然と口角が上がったのだけは記憶に残っていた。





 朝目が覚めると、寝ぼけた視界にツッキーがいて、寝る前の最後の記憶と変わらずに俺のすぐ隣にいた。これは夢なんだと思いながら、俺は二度寝をすることにした。ツッキーが起きたらなんて言おうかと、再び眠りの世界に戻るまで考えていたけど、今自分が味わっている幸せを噛みしめたらどうでもよくなってツッキーのにおいに顔を埋めながらもう一度寝入ってしまった。
 午後の部活の練習の間ツッキーが何度も、体が痛いのは俺のせいだって言う度なんだか可笑しくて、にやけてしまった。でもそれが、「山口がいたらすぐ寝れる」と寝起きで言ってしまった照れ隠しなんだって俺にはしっかり分かっていた。