「ツッキー、これ覚えてる?」
部活終わりの帰り道、肩を並べて歩いていた山口が、不意に何かを思い出した様子で声を上げた。何事かと目を向ければ、その肩に掛けたスポーツバッグのポケットに手を差し入れ、ゴソゴソと中を探った後、その手に掴んだ何かを僕に見せつけるように目の前に差し出してきた。
それは手のひらサイズのプラスチック製の透明なカードケースで、中には何故か、一枚の絆創膏が挟み入れられていた。黄色地にカラフルな恐竜のデフォルメされたイラストが散りばめられたソレは、どうやら子供用のカットバンらしかった。山口はそれを片手に、こちらの顔を覗き込むと、謎のドヤ顔を披露してニヤリと微笑んで見せた。
「何、それ?」
生憎、特に思い当たる何かが記憶に見つからなかった自分は、山口との温度差に、軽く腰が引けていた。熱のこもった山口の期待を含んだ視線の圧に、苦笑が漏れる。え、と目の前の山口が、ようやく自分の期待の肩透かしの事実に気が付いたのか、あからさまに目を丸くするなり、急におろおろと挙動がおかしくなっていく。
「え、ツッキー、覚えて、なかったり……する?」
まるでこの世の終わり、隕石が空から降ってきた瞬間を目撃したパニックムービーの主人公のような顔で驚きの感情を示す山口を前に、改めて、目の前に突きつけられている絆創膏の有り様を目に映してみる。が、やはり記憶の中にはヒントの欠片さえも残っていない。
「悪いけど、全ッ然、身に覚えがない」
うそだ、と嘆きの表情で空を仰いだ山口の反応は、どこかコミカルで、深刻だとは見受けられない。それでも、隣を歩く山口が分かりやすく肩を落とすので、つい今しがたまで山口が期待して待ち受けていたであろう答えについて、推測してみる。わざわざカードケースに入れた上で鞄の中に入れていたこと、僕に前振りをして見せつけるように示してきたこと、あまり綺麗そうには見えない絆創膏のたった一枚を満を持して突きつけてきたこと、それら全てをまとめて熱を入れて山口が僕に尋ねてきた点を踏まえて考えてみれば、その答えは、きっと、こんなところだろう。
「もしかして、何年も前に、こっちがあげた絆創膏が、奥底から出てきた、って報告がしたかったの?」
目が合った山口は、こちらの示した答えに一瞬、嬉しそうにパッと顔を明るくしたかと思うと、すぐに、うーん、としかめ面に変化していった。
「そうだけど、それだけじゃなくて、」
ううん、と唸って語尾を濁す山口に、ほんの少し、イラっとする。冷めた視線で睨みつければ、ハッと気づいた山口が慌てた様子で口を開く。
「これ、一回、結構前に失くしたとばっかり思ってたやつなんだけど、昨日、たまたま、引き出しの片づけをしたら奥から出てきて、」
「それが?」
「ずっとお守り代わりに、こうやって、汚れないようにケースに入れて持ち歩いていたから、出てきて、懐かしいなぁ、って嬉しくなって」
手元のカードケースに入ったままの絆創膏を見つめ、妙に嬉しそうに山口は笑って見せた。どうやら、過去のどこかのタイミングで、僕が山口に何らかの理由でその絆創膏を手渡したことは、紛れもない事実のようだ。こちらは全然覚えていないが、僕の知らないところで山口は、勝手にソレをお守りとして持ち歩いていたらしい。
「お守り、として、効果があるのか、眉ツバものだけど」
えぇ、と軽い調子で否定するように、山口が声を上げる。見れば、絆創膏の入ったカードケースごと、ひどく大事そうに両手で胸に抱え込んで歩みを続けている。
「俺、この一枚で、勇気を出さないといけない時とか、頑張らないといけない時、すごく励まされて、助けられたりしてたんだよ」
「それなのに、どこにいったか、最近まで分からなくなってた、ってこと?」
こちらの言葉に、わざとらしく顔をしかめた山口が、僕を見上げてくる。その視線に、ウソ嘘、と撤回の言葉を口にする。
「どうでもいいけど、いい加減、ソレ、処分したら? もう充分、役目は果たしてきたんじゃない?」
過去の自分が山口に絆創膏をあげたとすれば、それはもう軽く五年以上前の出来事だろう。子供用のカットバンを使う機会なんて、もう、今後の山口には訪れはしないんじゃないか。そもそも、使用期限というものはとうの昔に過ぎてしまっているに違いない。お守りとしての効能とやらも、もう山口には必要ないだろう。
「そんなお守りが無くったって、今の山口は、ひとりでも、充分、闘えるようになってるでしょ」
ぽつり、とこぼした言葉を、隣にいる山口が聞き逃しはしなかったようだ。僕の顔を見上げ、妙に嬉しそうな顔でニヤニヤとその唇の端を緩めている。横目に伺ったその視線の熱っぽさに、鼻のあたりがムズムズくすぐったくなってくる。
「ああ、もう、」
黙ったままの山口の手元から、隙を見て絆創膏の入ったカードケースを盗み取る。あっ、と声をあげた山口を無視して、改めてケースの中身をまじまじと見つめれば、それはケースの中で、こちらの予想の何倍も綺麗に保たれていた。山口がいかに大切に保管していたのか、その様子さえも読み取れるようで、気恥ずかしさに顔が緩んでいく。カラフルな恐竜のイラストがプリントされた絆創膏、それを幼い頃の自分がお守りとして山口に差し出した可能性だって、ゼロだとは言い切れない。それを真に受けた山口が、馬鹿正直に信じ続け、大切に持ち歩いていたとしても不思議なことではないだろう。
「山口が捨てられないっていうなら、代わりに捨ててあげてもいいけど」
えっ、と隣を歩く山口が、驚いた様子で足を止める。相変わらず眉間にシワを寄せたまま、ううん、と唸って首を傾げていく。
「それを、そのまま捨てるのは、……何だろう、……もったいない、ような……、」
苦悶の表情を浮かべる山口の様子があまりにも滑稽に見え、つい、笑い声を漏らす。
「じゃあ、今、どこかに貼ったら? 絆創膏なんだし、貼って、今日、風呂に入る時とかに剥がせば良いでしょ」
「ええ、そんな、たった一日で剥がすなんて、そんなことしないよ! 貼ったら、自然と剥がれるまで、そのままにしておくに決まってる!」
だってツッキーからもらったお守りなんだから、とまで言い切りそうな山口の返答に、うわ、と顔をしかめる。それに気づいたのか、山口は撤回するような勢いで、わかった、と告げるなり、どこかサッパリしたような顔つきで、僕に左手を差し出した。
「ツッキーが巻いてくれるんだったら、そうする」
見下ろした先、僕に向けて差し出された左手のちょうど真正面が薬指の爪であることと、その両隣である中指と薬指の間が軽く開かれていることに、言葉にしない山口の静かな訴えが示されているようだった。
「ちょっと、それはないでしょ、指輪じゃないんだから」
バレた? と口にした山口は、あながち冗談ではなく本気でそうして欲しいと思っていた、そんな顔つきで僕と一緒に笑い声をあげた。その悪ふざけは、一度否定したものの、まぁ、他に山口のどこに貼るのかと考えたら代わりの場所が思いつかないくらいには悪くないものだったのもあり、目の前の山口が、相変わらずしれっと同じ形で僕に向けて左手を出し続けているのもあって、山口の言う通り、薬指の付け根に貼ってやろうと、僕は手にしていたカードケースから、その小さな恐竜柄の絆創膏を指の先で引っ張り出していた。山口は僕のその手元の動きを見やると、急に照れくさそうな顔をして、自分の左手の、その場所を、じっと見下ろしていた。
手にした絆創膏は、月日が経って粘着力を弱めてはいたものの、嫌な感じでベタついている様子もなく、問題なく使えそうな雰囲気を纏っていた。山口が大切に取り扱っていたおかげかもしれない、と思いつつ、差し出された山口の手を前に、フィルムを破り、はく離紙を剥がしとると、そっと、目の前の山口の薬指の根元に、ガーゼ部分を押し当てた。ガーゼの左端、右端、と順にテープ部分を巻き付ければ、それはさながら、指輪のように山口の指の輪郭にぴったりと張り付いていった。
「やっぱり、自然と剥がれるまで、このままにしようかな」
自らの薬指に巻き付いた絆創膏の柄を見やって、独り言のように山口が告げた。手元のごみをカードケースに押し込んで山口に手渡そうとしていた自分は、その響きに、え、と動きを止めた。視線だけで、何を言っているんだ、と訴えれば、嬉しそうに絆創膏を見つめる山口が、その口元をニヤリと緩めていく。
「そうしたら、剥がれた時に、願ったことが叶うかも、しれないし」
予想外すぎる返答に、つい、声を漏らして噴き出してしまう。
「ミサンガじゃあるまいし、そんな絆創膏じゃ、二日と持たないでしょ」
「三日はいける、俺、絶対、大切にするから」
ここぞとばかりにカッコつけて言い切る山口の有り様に、さらなるおかしさが身体の奥から込み上げてくる。笑い続ける僕につられたのか、数十秒ともたずにつられて山口も隣で腹を抱えて笑い出した。天を仰ぎながら、ああおかしい、とこぼしつつ、その左手を夜の空にかざして、ひどく嬉しそうに絆創膏を巻いた薬指を目にしては、くしゃり、と別の笑みを浮かべていた。
その絆創膏に何を願ったのか、山口に直接、尋ねようかと一瞬は考えたのだが、聞いたところでくだらない何かに違いなく、聞かずとも察しのつきそうな予感もうっすらとして、結局、聞かないままにした。その日、山口は僕といつもの曲がり角で手を振り合うまで、何度も、僕の目を盗んで自分の薬指の様子を見やっていた。その様子からも、その願いが、こちらをムズ痒くさせる何かである可能性は、とても高そうに違いなかった。
2023年12月11日山月の日に募集して頂いたお題「絆創膏」で書いたもの。