俺と関わっている人の中で、一番の厄介者はツッキーだと思う。年越しそばも終えて、新年の乾杯に移るにはまだ早い時間帯の口さみしさに、俺がみかんを剥き始めると、当然のように、こっちに顔を向けたまま、その時が来るのを黙って待ち構えている。一緒に囲んで座っているこたつの天板の上には、山盛りのみかんを抱き込んだ果物かごが乗っているというのに、そっちの方には一切、見向きもしない。ただじっと、俺が手にしているみかんの房がばらばらになって白い筋を脱ぎ捨ててつるりとオレンジ色になってしまう様を、静かに待ち、こたつ布団の中に押し込んだ二つの手を、出そうとさえもしないのだ。
食べたいなら、自分で剥いて、さっさと食べたほうが早いのに。
いつだったか、以前ツッキーにそう持ち掛けたら、「めんどくさい」の一言で会話のラリーが終結した。きっと今も、同じように二の句が継げないようにされるに違いない。そう思いながら、だらだらとテレビのバラエティ番組の有り様を横目に、房に付いた白い筋を少しずつ取り外していく。ツッキーはこの白い筋が少しでも残っているのが許せないらしく、前に、開いた口に筋の残ったみかんの実を放り込んだら、ものすごく不機嫌そうに怒られた。剥いてもらっても文句を言えるのがツッキーで、それを「ごめん」と謝ってしまうのが俺なのだ。本当は正直に怒った方が良いのかもしれないが、こうしてツッキーが当たり前のように甘えてくれるのは俺だけなんだと理解してしまっているからこそ、そこまで強くは怒れない。そのせいか、いつも、それほど自分が嫌っているわけでもないみかんの白い筋を、俺は決まって、きれいさっぱり全て取り除こうとしてしまう。いつからそう癖づいてしまったのか、俺自身もよく分かっていない。
ただ、隣にツッキーがいる時は必ず、決まって、無意識のうちに、その小さな房が、つるりと綺麗なオレンジになるまで、俺は時間をかけて白い筋と格闘してしまうのだ。
ひとつ、綺麗になった房を自分の口に放り込む。じわ、っと噛んだ実から溢れた果汁の甘さに小さくうなづく。視線の先のテレビの画面では、今年注目され出した芸人が漫才を披露し始めるところだった。
「ん」
そんな様子に見向きもしないまま、ツッキーが俺に向かって顔を近づけてくる。俺が気づかないで一房めを口にしてしまった、と思ったが故の催促なのかもしれない。俺はみかん一つ丸々を自分ひとりで食べたいと思ったから剥き始めているのに。そう告げたら、ツッキーは何て返してくるだろう。一個丸々は多いから、一口、ちょっと食べたいだけから。そんなところだろうか。ツッキーのために、わざわざ小さめのみかんを選んで買って置いてあったとしても、きっと返事は変わりはしないだろう。だからといって、俺がそのツッキーの残した分を後でちゃんと食べるよ、なんて言ってみたら、もしかしたら盛大にヘソを曲げてしまうかもしれない。だって、ツッキーが食べ始めたみかんを半分でも残す場面なんて、これまで一度として俺は目にしたことが無い。食べ始めたら、ツッキーはみかんくらい一個、あっさりと食べつくしてしまうし、俺が剥いたみかんの半分は、大体ツッキーの開いた口の中へと消えて行ってしまうのだ。いくら最初に、一個なんて多い、と文句を言っていたとしても、待ちゆく未来に変化はない。
二つ目の小房が綺麗になったところで、もう一度、ツッキーが今度は俺に向けてしっかりと分かるように口を開けてきた。俺はそれを横目に、少し意地悪をしたくなって、テレビの画面に目線を戻してから口の中へ放り込む。視界の端でこたつに今も両手を突っ込んだままのツッキーが、じと、と俺を睨みつけているのが、ぼんやり目に入る。
無視したまま3つ目の房を小奇麗にして口に運ぶ。と、トントン、と軽く二度、肩を小突くように叩かれた。つい、反射で振り向いた俺の目の前に、ツッキーの顔が至近距離で近づいてきて、唇に咥えたままのみかんの房を、器用にその唇で奪い取っていく。ふっ、と触れた唇の温度にドキリとしつつ、しれっと涼し気な顔で何もなかったみたいに、口の中のみかんを味わうツッキーと、目と目が合う。
どうだ、と言わんばかりのドヤ顔で俺を見返すツッキーの表情に、俺は苦笑をひとつ。敵わないな、と正直な感想を胸に抱きながら、そっちがそのつもりなら、と敢えて次の一房を変わらない調子で綺麗にしては、そっと唇に咥えてツッキーの方を向く。
「ん」
どうぞ、と目を伏せて差し出せば、目の前のツッキーは喜ぶどころか、苦々しい顔で俺を見るばかりだった。
「いや、そういうのは、ちょっと……いいから、」
急に熱を失ったツッキーの顔つきに、えっ、と目を丸くし、仕方なく咥えていたみかんの小房を口の中で咀嚼する。俺の気分に反して口の中に広がるみかんの味は、濃く、甘い。
「もういらないなら、俺、ひとりで残り、食べるから」
次の房を指先で触りながら口を尖らせれば、渋い顔をしていたツッキーが、我慢できない、という様子で軽く噴き出した。ふざけていたんだ、と分かると同時に、俺の手の中で綺麗になったみかんの房に、ツッキーの右手が伸びてくる。パッと取り上げられた房はそのままツッキーの唇へと運ばれて、食べるでもなく挟み込まれて、そして、
「ん」
俺の目を見つめたツッキーが、そのまま差し出すようにみかんの実と、自分の唇を近づけてくる。これは、と思いながら黙って唇を近づけて、そっと前歯で受け止める。頬の内側に放り込んだまま、その唇に軽く触れる。舌の先に広がった甘さは、みかんの果汁とは別の風味を纏っていた。
「甘いね」
ほんの少し離した唇で、そう囁けば、目の前のツッキーの顔がくすぐったそうに破顔した。はい、と目の前で開かれた唇が、次の一房をねだっているのは、あからさまだった。俺は口の中の房をゆっくり、じっくり味わいながら、次の房を綺麗に剥いて、そのツッキーの口の中へと放り込んだ。
俺の小さな抵抗なんて、ツッキーの前では無駄にすぎない。そう思いながら美味しそうに俺が剥いたみかんを味わうツッキーの表情を、俺は静かに見続けていた。
2023年12月11日山月の日に募集して頂いたお題「年越しを一緒に過ごす山月(みかんを剥いてあげる山口)」で書いたもの。