風呂上がりの濡れた髪にバスタオルを被せ、俺は真っすぐキッチンの冷蔵庫へと向かった。目的は昨日お土産でもらったご当地ゼリーで、今日はこれを食べる瞬間を楽しみに仕事を終わらせ、家に帰ってきていたのだった。
 キッチンでは先に家に帰って風呂も夕飯の支度も済ませてくれていたツッキーが、俺の風呂上がりのタイミングを見越してテーブルの上に今夜のメニューを並べ始めてくれていた。回鍋肉に棒棒鶏、スープは卵の浮いた中華スープで、今日は中華の日のようだ。それらを横目に、俺はリビングの方へ移動し、テレビの前の大きなソファへ腰を下ろした。
 片手にスプーン、片手にゼリーの容器を握りしめて、いざ蓋を開けようと身構えた俺を、キッチンの方から顔をのぞかせたツッキーが遠くから見ていた。
「夕飯は?」
 じと、と遠くからでも感じるツッキーの睨みを見ないふりして、俺は引き続きゼリーのビニル蓋を引きはがそうとした。ぷつ、と空気が入ると同時に、ピッと飛んできたシロップが、ほっぺのあたりに飛んでくる。それをスプーンを握ったままの右手の甲で拭うと、気づけばソファを挟んで背中の方に、ツッキーが立って、俺の顔を見ろしていた。
「食べないつもり?」
 さすがに至近距離で顔を近づけられたら、さすがに無視するわけにもいかず、
「食べる、食べるよ、食べるけど」
 早口で俺は返事をして、中途半端に開けたビニルの端を再び指でつまんでいた。ぐ、と引くと、一気にフィルムが剥がれ、その滑らかなゼリーの表面が俺の目の前へと姿を現した。無色透明なゼリーからは、ふんわりとラムネに似た香りが漂ってきている。
 手にしていたスプーンを握りなおして、さっそく、と顔を緩めた瞬間、ぐ、と頭をつかまれ、背中の方へ傾けられた。え、と口を開けた俺の唇に、上から覆いかぶさってきたツッキーの唇が、被せられてくる。ちゅ、と音がして、唇にふわりと柔らかい感触が伝わってきたとき、ツッキーにちゅーされたんだ、と気づいていた。ちゅ、ちゅ、と二度、続けて触れられて、俺は左手も右手も塞がっている状態で何かが出来るわけもなく、ひたすら目を泳がせていた。
 しばらくして、ようやく離れてくれたツッキーが、俺の顔を見て、ニヤリ、と意地の悪い笑みをその唇の端に浮かべた。その顔を見て、もしかして、と俺は、ある可能性について思いついていた。
「ツッキー、……その、もしかして、俺のこと、邪魔……してたり、する?」
 俺の頭を手で押さえ、上から見下ろしているツッキーの顔は、否定しないまま、にこり、と目を細めた。それは怒っているときのツッキーの肯定の仕草で、俺は、ドキリ、としながら、嫌な汗をかいていた。
「だって、せっかくもらって、早く食べたいな、って思ったから」
「人が作った夕飯は、冷めても構わない、って?」
「そうじゃなくて、その、ツッキーにも一口、あげるから、」
「たった、一口?」
「うそ、嘘、ウソ、半分あげるから、許して、ツッキー、」
 ふん、と鼻から息を吐いたツッキーが、ようやく俺の頭から手を離す。俺は真っすぐ前を向けたついでに、手の中にあるゼリーが零れず無事であることを確認して、思わず、ホッと息をついていた。
 ソファの背もたれを回り込んで隣にやってきたツッキーが、ん、と俺に向けて口元を差し出す。その唇に俺は、仕方なく、ちょん、と触れるだけのちゅーをしていた。でもそれは俺の勘違いだったみたいで、唇を離した俺の顔を見たツッキーは、またムッと顔をしかめるばかりだった。しまった、と慌てて手に握ったままのスプーンの先をゼリーの表面に差し、一口すくってツッキーの口元に差し出した。ぱくん、と食いついたツッキーは、満足そうに口を動かすと、俺の顔を見てしたり顔で微笑んでみせた。
「悪くない」
 最初の一口を取られた気持ちを掻き消すため、俺は急いで二口目を自分の口の中へと放り込んだ。透明なゼリーは、つるりと舌の上に乗って、その甘さとラムネのような香りが口の中いっぱいに広がっていった。あ、と隣からツッキーがまた口を開けて近づいてくるのを見て、俺は仕方なく三口目をすくってツッキーの口の中へと放り込んであげていた。
「今度、このゼリー、一緒に買いにいこっか?」
 美味しそうに顔を緩めているツッキーに、俺はそう囁いた。お土産をくれた同僚のふるさとまで買いに行くには、一泊二日のちょっとした旅行になってしまうだろう。俺の提案を聞き受けたツッキーは、こくりと口の中のゼリーを飲み込むと、ニヒルな笑みで俺に返事をしていた。
「それも、悪くないね」
 その顔に俺も笑いを返して、残りのゼリーを一息に口の中に流し込んだ。旅行の日取りはいつにしようか、と考えだした俺の肩を叩いて、ツッキーがキッチンへと戻ろうとする。そうだ、今はとにかくツッキーのご飯を食べないと。
 空になった容器とスプーンを握ったまま、俺はキッチンに向かうため、腰を下ろしていたソファから立ち上がった。さっきは夢中で気にも留めなかった回鍋肉の辛みその香りが、今は急かすように俺の胃袋を刺激し始めていた。











「お月見しようか 星に願いを。2022」の差し入れとしてお配りしたカードに添えたSSとなります。
差し入れに選んだ地元お菓子屋のラムネ風味のゼリーとあわせて、当日はお渡ししました。