昇降口の靴箱の蓋を持ち上げた途端、ツッキーが一瞬、ほんの一瞬だけ動きを止めた。放課後の校舎はすっかり騒がしくなっていて、部活に向かう生徒が我先にと校舎の外に飛び出そうと移動している時間帯のことだった。俺とツッキーはその波から少し出遅れて昇降口まで来たのもあって、とっくに同じクラスの他の生徒は靴を履き替え、昇降口を出て行った後になっていた。動きを止めたツッキーの顔を見るため、俺はぐっと首を伸ばして見上げていた。ツッキーの靴箱は上から二つ目の箱で、俺は上から五個目の箱だったせいで、俺は膝を折って靴箱の前にしゃがみこむ姿勢をとっていた。立ったままのツッキーの顔はよくは見えなかったけれど、その反応から、何が中に入れられていたのか、大体の予想はついていた。
 案の定、ツッキーの手は、中から白い紙の封筒をつかみとっていた。中に入っていたそれは女の子からの手紙だとひと目で分かるデザインで、綺麗な文字で『月島君へ』と書かれている表面が、たまたま俺の目にも飛び込んできていた。俺は見なかったふりをして、履いた靴の紐のあたりに、とっさに片手を添えていた。緩んでいた靴紐を結びなおす真似をしながら、もう一度ツッキーの顔を盗み見る。すると、手紙を握っていたツッキーの手は、中を見ることなく、その手紙を、くしゃりと小さく丸め込んでしまっていた。
「あ」
 思わず声にしてしまった自分を、俺は後悔した。ツッキーは俺の顔を見ていたらしく、ふ、と微笑むと、その手紙の塊を握りしめたまま、
「気になる?」
 短く、それだけを質問していた。
「そ、そんなことないよ」
 ツッキーは俺とちゃんと恋人として付き合っていて、ツッキーはしっかり女の子からの誘いも告白も全部断ってくれている、だから今日の相手の女の子だって、きちんと断ってくれるに決まっている。頭の中では、しっかりと、発した言葉の続きが繋がっていたにも関わらず、俺の唇はそれを声として発することは出来なかった。それがなんだか自分でも情けなくて、何も心配することなんてないと分かっていても、どこか胸の隅っこのあたりがザワザワと落ち着かなくなっていた。意識して頬に力を入れて笑顔を作れば、目を合わせたツッキーが、大丈夫、と語り掛けるように、俺に笑い返してくれていた。そうだ、ツッキーは俺の恋人なんだから、心配する必要なんてどこにもないし、ちゃんと胸を張って俺はツッキーと一緒に居ればいいだけなんだ。
「ただ、その手紙、読む前から、そういう風にして良いのかな、って、思っただけだから」
 適当に別の理由を添えた俺に、ツッキーは不思議そうな顔をして、自分の手の中にある丸まった紙の塊を見つめては、少し首を傾けていた。あまり納得のいかない様子の表情を浮かべているかと思ったら、何故か、ツッキーの顔が近づいてきて、見上げている俺の唇の上に、ちゅ、と音もない、短い、ちゅーが落とされていた。
「……え?」
 ぽかん、と口を開けた俺の顔を見て、ツッキーは本当に面白いものを見つけた時のような目をして、微笑んでいた。
「心配しなくたって、ちゃんと断るから」
 その一言で、俺は、すっかり自分の考えが見透かされていた、と知らされていた。恥ずかしさと、目に映るツッキーの微笑みと堂々とした立ち居振る舞いの在り方に、俺は思わず、声を漏らしていた。
「ツッキー、……かっこいい……」
 ふふ、とツッキーは満足そうに目を細め、そうだろう、と言わんばかりの顔つきで俺のことを見つめ返していた。ああ、こんな格好いい恋人が俺の恋人で本当に、なんて、俺は幸せなんだろう。
「あ、……ありがとう」
 思わず感謝の言葉を吐き出した俺に、ツッキーは耐え切れない、と言わんばかりの様子で噴き出していた。
「なにそれ」
 腹を抱えて笑い続けるツッキーは、見上げる俺の顔に浮かんだ戸惑いの表情に、ますます可笑しさを感じているみたいだった。
「ん、まぁ、そう……どう、いたしまして?」
 そう言われながら差し向けられたツッキーの視線は変におどけていて、俺もつられて笑いだしてしまっていた。何がそんなに面白いのか、自分でも良く分からないけれど、ツッキーが笑っている限りは自分も笑い続けているんじゃないか、そう思わせるような空気が昇降口のあたり一面に、俺たちを包んで広がっていた。