昼休みも半分が過ぎた時、一足先に昼食を食べ終えた山口が、待ってましたと言わんばかりの顔で真っ白な箱を取り出した。山口の傍らに置いてある紙袋に入っていたらしく、そういえば今朝会ったときからその手が紙袋を下げていたことを思い出す。何が始まるのかと見ていると、山口は箱のふたを少し持ち上げて中をのぞきこみ、安堵の顔で二回うなづいた。ふたを元に戻し、大事そうに両手で底を持つと、はい、とこちらに差し出した。
「ハッピーバースデー、ツッキー!これ、俺からのプレゼント!」
 開けてみて、と満面の笑顔でうながされ、ふたを取った。中から姿を現したのは不格好な苺のショートケーキで、大きさは直径15cmくらいだろう。山ほどの生クリームでデコレーションされているが、絞り方が上手くないのか、ぐしゃぐしゃで褒められそうにもない。どこからどう見ても市販品とは思えない出来栄えだ。ただひとつ良かったのは、生クリームの上にたくさんの苺がのせられていること。もしかして、と思い浮かべた光景を一足先に山口が告げる。
「ツッキーは苺が多い方が良いんだと思って、精一杯のせてみた」
 それはつまりこの苺のショートケーキを山口が作ったということ。僕は箱の中にある銀紙に包まれたフォークを手に取り、祈るような気持ちで端をすくった。その感触から抱く嫌な予感に目をつぶって口の中に収めたが、残念な事に、生クリームもスポンジも今まで出会ったことのない硬さをしていた。
「山口、これいつ作った?」
「昨日、家帰ってすぐ!!」
 珍しく一足先に帰る山口の後ろ姿を思い出す。昨日、用事があるからと言っていたけれど、このためだったのか。
 口の中の水分をすっかり奪われ、慌てて飲みかけの珈琲を喉へと流し込む。
「9時から始めてなかなか上手くいかなかったけど、6個目にしてやっとスポンジが上手く焼けたんだ。どう、ツッキー?」
 5個分の材料を無駄にした結果がこれか、と更にひと口切り出して咀嚼した。スポンジがボソボソして別の何かを食べているようだ。
「うん、最悪」
 えっ、と醜く息をのむ音がした。見れば山口の目は寝不足のせいか充血していて、これが6個目のスポンジであることは嘘ではなさそうだった。少しえぐれた部分をのぞきこむとスポンジとスポンジの間にも、たくさんのスライスされた苺が挟まっている。この量の苺をすべて手作業でスライスするのは、かなりの時間がかかったに違いない。更に切り出して口に入れる。
「やっぱり最悪」
 これだけたくさんの苺が使われていれば、当然苺に助けられているはずなのに、信じられない味がする。思い違いかと疑って、もう一口頬張ってみる。
「ツッキー、無理しなくていいよ……!?」
 おろおろと手を震わせながら山口が、往復するフォークの動きに合わせて顔を上下させる。その仕草に目を向け、わざと「ちょっと待って」と口にする。じっと見つめて間を置いてから、何も言わず次のひとかけらを口に運ぶ。
「うん、気のせいだ。やっぱり最悪だ」
 山口は顔をぐしゃぐしゃにして今にも泣きそうだ。悟られないよう、表情筋の下で面白いとほくそ笑む。その隙に、山口の手はケーキの箱を奪い取っていった。
「俺のためにツッキーが無理することない……っ!」
 ちょっとした意地悪のつもりでいたが、山口は真剣な表情を浮かべ、ケーキの箱を抱え込む。箱の上に両手を重ね、これ以上食べさせないと目で訴える。必死な山口の抵抗はきっと傍から見れば強固かもしれないが、コツさえ踏まえればすんなりなくなってしまうことを僕は知っている。
フォークで示し、ちょっとどいてと口にする。山口は眉間にシワを寄せて僕の顔を凝視する。
「別にお前のためとかじゃないから」
 箱にふたをしている手をどかし、フォークを入れこむ。隙間から見えるケーキの残りに突き刺し、強引に引きずり出した。一気に口に入れれば、生クリームの不出来さを痛感した。はっきり脂肪が分離してる上に、九月の気温でだらけてしまって舌触りは最悪としか言いようがない。砂糖の入れすぎでダマが出来、時折ジャリッと音がする。
 うろたえる山口を横目に最後の数口をフォークで運ぶ。その間も、不味い、最悪、ある意味芸術的、奇跡的な不味さとか言い続けているうちに、結局跡形もなく消えてしまった。
「ごちそうさま」
 クリームを舐めとったフォークを銀紙で包み直し、山口に手渡しで返却する。言われるがままフォークを受け取った山口は、こちらの様子をうかがうような、ある意味困ったような顔でこう言った。
「ツッキーがお腹壊したら、全部俺のせいにしていいから、ちゃんと俺が責任もって看病する……!!」
 口の端についたクリームを舐めとる。最後まで期待を裏切らない味に、不思議な満足感を得た。膨れた胃袋を服の上から手で押さえる。
「別に、それ自業自得だから。それに、むしろ看病されたら悪化する気がするし」
 ますます挙動不審になる山口に、片づけをうながしたついでに時計を見た。二つの針は昼休み終了5分前を指し示していた。
「ツッキーは、優しすぎる」
 うらむような山口の声は、あえて聞こえなかったことにした。


















(おまけの10月4日)


「山口、先週言い忘れた、これくらいの出来じゃなきゃケーキと認めないから」
 一週間後、自宅から持ってきた苺のショートケーキの入った箱を山口に渡した。
 山口は箱を開けるなり僕とケーキを交互に見て
「まさか、ツッキーの」
「手作りだけど」
 嘘ッ!?と大声で叫ぶや否や、山口は手づかみでケーキを口に運んだ。嬉しそうに笑って2、3回噛みしめて
「さすがツッキー」
と言うと、あっという間に完食してしまった。
 その様子を見ながら、これが13個目に焼いたスポンジだとは、口が裂けても言えないと思った。