仕事を定時で切り上げて帰ってきた山口が、僕の顔を見るなり、その手に提げていた通勤用のビジネスバッグの中から何かを取り出して、こう言った。
「これ、後輩から貰ってきたんだ」
 山口の手によってダイニングテーブルの上に置かれたのは、色とりどりの小さな飴玉が詰め込まれたガラスの小瓶だった。ラベルの隙間から覗いている飴の色は鮮やかで、それなりの値段がするのではないかと思わせるような、とても可愛らしい見た目をしていた。小瓶と交互に山口を見る自分の視線が訝しげであることに気がついたのか、山口は途端に慌てた様子で、こう続けて言った。
「別に深い意味があるわけじゃないんだよ、この前その子と一緒に結構長いこと残業したから、そのお礼に、って貰っただけで」
「お礼?」
「う、うん、後輩のその子が割り振られた仕事を残ってやり直ししていかなくちゃならなくなって、その手伝いをした、ってだけだから」
 山口は必死になってそう口にしたが、聞けば聞くほど、こちらの頭の中に悪い想像がしたくもないのに半自動的に広がっていった。この優しい男は、無自覚なままに相手が困っているからと、その異性と思われる後輩の手伝いを申し出た結果、その生来のお人好しぶりを発揮しながら存分に面倒を見つつ、何時間もその後輩の作業が終わるまで丁寧に残業の孤独と付き合ってやったのだろう。そんな想像はたやすく、そしてそれによって、その後輩とやらが大なり小なりの好意を山口に抱いたとして、何の違和感もない。きっと誰よりもその自覚を持ち合わせていないのは、他でもない当事者の山口本人なのだろう。そんなことはこれまでも何度もあった。いくらこちらが心配して口を酸っぱくしながら繰り返し言い聞かせても、この男は改善の余地どころか自覚する気配すらも示してはくれないのだった。
「深い意味はない、ねぇ……」
 じろっと睨んで含みを持たせても、山口は困ったように眉をひそめていくだけだった。結局返答に困ったのか、山口は先ほど置いたばかりの小瓶を手に取るなり、すぐさまその封を切った。ごく自然な手つきで蓋を取り外すと、そのうちの一粒を摘まんで自らの口の中へと放り込んでいく。カラリ、と山口が口を閉ざした動きによって、その口の中で転がったと思われる飴玉が、歯とぶつかった音を小さく立てた。
「うん、美味しい」
 わざとらしく明るい表情を浮かべ目を見開いたまま、山口の視線がこちらを向く。
「どう、ツッキーも食べない?」
 食べない、と答えるのも、素直に食べようとするのも、どちらも許せないような、そんな気持ちがしていた。のんきに飴玉を口の中で転がし続けている山口の顔を見ていると胸の内がムカムカとして、その苛立ちのままに、山口の肩に手を置いていた。何、と視線で尋ね返してくる山口の顔の間抜けさに、さらに自分の中の苛立ちが募っていくのを感じていた。
 肩を掴んでいた手を滑らせて腕ごと山口の首に向けて絡ませ、その胸板ごと自分の方へと強引に引き寄せた。軽い調子で驚きの表情を浮かべた山口と、目と目が合う。こちらの様子を伺っている山口の唇が少し尖って、その動きに導かれるように、僕は山口の唇に自分の唇を押しつけていた。こじ開けるように唇に力を込め、重ね合わせた唇の隙間から、無理に舌先をねじ込んで進めていく。山口の口の中は甘ったるいイチゴの香りに満たされていて、その元凶を抱え込んでいる山口の舌は、口の中で喉の奥に引っ込むように小さく丸まっていた。その丸まりをこじ開けるように舌をこすりつければ、嫌みに思えるほどの甘さが、こちらの舌にも伝わってきて、僕は思わず顔をしかめていた。開いた山口の舌の上にある飴玉の硬さを感じつつ、いつもと同じように自らの舌の先を山口の舌の上に押し当てて擦り合わせる。お互いの舌の間を転がる飴玉が急速に小さくなっていくと同時に、溶けた甘さが口の中に充満していくのを感じていた。
 口の中にあったはずの飴の粒が溶けて形をなくしても、しばらくその甘さはしつこく舌の上に残っていた。こちらの動きを受け入れるばかりで応戦してこなかった山口の舌は、ようやくその甘さが落ち着いた頃になってからやっと思い出したかのように動き出していた。甘さに染まった山口の舌先で舌の裏をなぞられると、別の甘さを含んだ感覚の刺激が痺れのように神経を伝っていった。
 はぁ、と唇を剥がして息をついた僕を、山口は嬉しそうに目を細めて見つめていた。
「もう一個、食べる?」
 無邪気に尋ねるその様子を癪に思いつつ、僕はわざと笑みを浮かべて答えていた。
「今と同じやり方で、って言うなら、良いけど?」
 うん、とうなづいた山口が瓶の中から一粒の飴玉を指先でつまみ上げる。その指先をこちらの口元へ迷わず差し出すので、仕方なく僕は口の中にそれを受け入れた。
 きっと例の後輩とやらは、自分が手渡した飴玉が僕と山口のキスの口実に利用されているとは夢にも思っていないのだろう。そう考えては優越感に緩めた自分の唇に、そっと山口の唇が重なって合わせられてきていた。










RTS!!32の差し入れとしてお配りしたカードに添えたSSとなります。
当日、差し入れのうちのひとつとして、フルーツキャンディを添えてのお渡しでした。