面白いから読んでみて、と山口に勧められるままに文庫本を一冊借りていた。それは先月久しぶりに二人で飲みに行った居酒屋のテーブルで、山口が僕を待つ間、夢中で読みふけっていた話題のミステリ作品だった。
 僕が到着した後も山口は、
「ちょっと待って、今もう、あとちょっとで読み終わるから」
 そう言って僕の目の前で楽しそうな顔をしながらページを捲っていった。別に急ぐ必要も、急かす必要性も感じられなかったため、じっとその時が来るのを待っていたのだが、五分ほど経った後に山口は、急に満足そうな息を吐くなり、幸せそうな表情で開いていた手の内の文庫本を閉じていた。
「あー、面白かった」
 独り言のように感想を吐き出した山口が、ふと僕と目線を合わせ、口を開く。
「ごめん、お待たせ」
「そんなに面白かったの?」
 うん、とうなづいた山口が、そうだ、とつぶやいて手にしていた文庫本を、こちらへと差し出してきた。
「これ、ツッキーも好きだと思う」
 いつ返してくれても構わないから、良かったら読んでみて。そんな風に山口が続けるので、有り難く借りて読むことにした。大学への行き帰り、電車の移動を利用して少しずつ読み始めたのだが、山口が夢中になるのも納得の、さすが話題になって売れているのも当然だと思えるほどの巧妙な展開に、ぐいぐい引き込まれていった。
 文庫本の半分を過ぎたところで、ページの間に何かが挟まっていることに気がついた。ちょうど読んでいたページよりも先の部分になるため、ネタバレを目にしてしまうのではないかと不安になったが、電車の中でうっかり落としてしまう前に確認だけはしておくべきかと、そう考えた末に、そのページを開くことにした。乗っていた電車の座席はまばらに空いていて、自分の両脇には幸い誰も座ってはいなかった。電車の揺れを感じつつ、そっと文庫本のページを開く。するり、と中から滑り落ちたものが、自分の膝の上にひらりと舞って着地するのが見えた。
 視線を落とした先、自分の膝の上に乗っていたのは、一枚の真っ赤な楓の葉だった。指先でつまみ上げれば信じられないほど軽く、カラカラに乾いた質感の葉の表面は、その尖りの先端の方まで、真っ赤な秋の色に染められていた。
 慎重に再び文庫本のページの間にその葉を挟んで戻してから、ポケットの中のスマホを取り出して山口にメッセージを送った。
『借りてる本に、挟まってたの、何?』
 送って三分もせずに山口からの返信が届けられていた。
『忘れてた。この前、綺麗だなって思って拾った後、ぐしゃぐしゃにならないように手にしてた本の間に挟んでおいたんだ。そうだ、それ、ツッキーにあげる』
 メッセージを表示したスマホの画面から視線を外し、手の中にある文庫本の間から覗き見えている楓の葉に目を向ける。きっと山口は、満足そうな顔でこの葉を拾い上げた後、しっかりと落ちないようにこの本の中心にあたるページを狙って挟み込んだのだろう。この本を片手に、楓の葉の美しさに目を細めている、その瞬間の山口の様子が頭の隅に思い浮かび、思わず自分もつられて目を細めていた。
 その瞬間の山口が僕のことを思いながら楓の葉を手にしたのかもしれないが、今の今まで忘れていたということは、それほど深い意味をもってした行動ではなかったのだろう。ページの隙間から抜き取った葉の軸を指で摘まんだまま、くるりと回転させる。手元でひるがえる楓の真っ赤な色は、確かに山口の言うとおり、鮮やかに美しい秋の光景を示していた。
 この文庫本を読み終えて山口に返す際には、この楓の分のお返しも合わせて渡さなければ。一体そのお返しに何が相応しいのか、そう考えている自分を揺らす電車の車体は、今まさに目的地である大学の最寄り駅のホームの停車位置へと滑り込もうと減速し始めたところだった。










RTS!!32にて開催された山月ペーパーラリー企画 「1211通目のラブレター」参加のペーパーとして配布、公開したものの五つ目。