昨日部活からの帰り道、山口から告白された。
『好きなんだ、ツッキーのこと』
 それだけを告げ、茹でダコみたいに真っ赤な顔で走って行った。いつもの別れ道で、それじゃと言いかけた直後の出来事で、追いかける気にもなれなかった。一人になった帰り道を歩きながら、何度も同じ光景を巻き戻して再生した。ずっと飽きもせずつきまとう変なヤツだとは思っていたけれど、まさかそういうことだったとは予想外だった。
 女子から手紙をもらったり呼び出されたりするのはよくある事で、もう慣れっこだけど、まさか男に告白されるなんて。アイツは僕の何を根拠に好きだと思ったんだろうか。別に親切にした覚えも、特別扱いした記憶もない。でもそれを考えたら、キャーキャー騒いでくる女子も同じで、特に理由なんてなくても、勝手に人の偶像を作りあげて騒ぎたいだけ、ってやつかもしれない。もしくは、一生懸命な自分でいることで満足感を得ていることに気づかずに、自分の世界しか見えてないのかも。大体、つきあってどうするつもりだというんだろう。相手を支配して、周囲から一歩飛び出した自分に優越感を抱きたいってだけの、迷惑な話にしか思えない。
 目に焼きついた必死な顔を思い浮かべては、消し去るために無理やり笑った。ハッキリ、好きだと言った。聞き間違いではなかった。じゃあアイツは僕と手をつないだり抱き合ったりしたら喜んだりするんだろうか。頭の中に男同士が抱き合う姿を浮かべたら、馬鹿馬鹿しくて嫌気がさした。つきあうなんて想像することも難しそうだった。
 そこまで考えた時、家のドアにたどりついて、ふと、あることに気がついた。
 山口は好きだと言っただけで、つきあってくれとは言わなかったことに。





 目が覚めた時から気分は最悪だった。前日のこともあって夢の中にまで山口が現れたからだ。僕の顔を見るなり抱きついてきて、馬鹿みたいにニコニコ笑って、好きだと三回くり返した。
僕は嫌だと言えばいいのに遠くを見つめて、そのボサボサの髪を撫でていた。覚醒して目に映った、いつものぼやけた自室の天井に、ありえないと吐き捨てて目覚ましを止めた。とんだ迷惑だと思った。
 学校までの道のりは憂鬱そのものだった。昨日の今日で山口が変に気を使ってくるのは目に見えているし、こっちも向こうの下心を知ったというのに一緒にいるつもりも、さらさらない。昨日まで四六時中、一緒にいたアイツが突然いなくなったとしたら、かなり目立つに決まってる。しかも、こっちからじゃなく向こうから来ないなんて変だと思われない方がおかしい。何かあったと宣伝してるようなものだ。
「ツッキー」
 夢の光景をふり返って、やっぱりありえないと結論を出す。山口と僕が恋人同士なんて、冗談でもキツいものがある。きっと頭のネジがゆるんで、おかしくなったに違いない。文字通り、一時の気の迷いで済んでほしい。
「ツッキーってば」
 突然視界を遮って、山口が目の前に現れた。足をとめて耳に当てていたヘッドホンを少し浮かせる。山口は目が合うなり、おはよと言って隣に立った。
「今日、数学当てられそうな気がするんだ、教室ついたら宿題見せて」
 返事をしないまま、ヘッドホンを元に戻す。視界の端にいる山口の笑顔に眉をひそめる。
その表情は腹が立つほど昨日までと同じで、ヘッドホンを戻したことを察して口を閉じる瞬間も、マイナスの感情を1ミリも出さずに笑いつづけていた。まるで昨日のことなど、何もなかったのだと言わんばかりに。
やっぱり気の迷いか、と止めていた足を再び前へ進めた。一歩遅れてついてくる気配を感じ、胸の奥がムカムカした。こっちは朝から憂鬱で、変な夢まで見たっていうのに。なかったことにしようだなんて許せるはずがない。一方的に告白して気が済んだというなら、身勝手にも程がある。
 目を向けると予想通り、半歩後ろについて山口が歩いていた。ため息をこぼして前を向いた時、坂の上の校舎が目に映った。
 一体、こいつは僕に好きだと言って、どうするつもりだったのだろう?



 放課後まで山口は、相変わらずいつも通りの様子で僕の隣にいた。もちろん、こっちからは一言も声をかけてはいない。話しかけてきても返事すらしない。それでも休み時間の度に近づいてきて、昼休みには横でジャムパンをかじっていた。ここまであからさまに拒否しているのに、コイツは何を考えてるんだろうと思ったが、考えてみればシカトして終わる日なんて今までも珍しくなかったことに気がついた。そこまでいつも通りということになる。
 あまりに行動の変化がないものだから、何となく気味が悪くなり、部活には一人で行くことにした。これは初めてのことだった。いつもは山口が待っていて、二人で教室から部室に向かうのだけれど、今日は掃除場所にもいかずに早めに教室を跡にした。いつもより20分も早い部室はカギがかかっていた。当たり前かとため息をついてドアに背をあずける。
何をやってるんだ、と自嘲し空を見上げる。たったあの一瞬あの一言で、調子を狂わされている。たかが山口の言動に。
 5分くらいそのまま待っていると、こちらに向かって走ってくる人影が見えた。あっという間に近づいてきたのは、よりにもよって山口だった。
「ゴメン、ツッキー待たせて」
 肩で息をしながら差し出したのは部室の鍵だった。きっと2、3年のどちらかの持っている鍵を借りてきたのだろう。受け取ろうか辞めようか考えているのが伝わったのか
「ツッキー先に行っちゃってたから、きっと待ってるって思って」
笑いながら鍵を開け、一歩先に部室に入っていった。胸のもやもやに顔をしかめつつも、仕方なく中に入ることにした。入るなり、山口はもう学ランを脱ぎ始めていて、とっさに目をそらした自分の行動に、舌打ちをした。何でこっちが気を遣わなければならないんだ。
靴を脱ぎすて、いつもの場所に鞄を置いた。部室の中の陣地は、ほとんど決まっている。面倒なことに、そこは山口の隣で、入部以来動いたことがない。誰かに気づかれるのも避けたくて、渋々山口の隣に立った。そっちが”いつも通り”で押しとおすなら、こっちもいつもの態度でいれば良い。学ランとYシャツを脱ぎ、眼鏡を外す。体操着に袖を通した時、ぼやけた視界で視線を感じ、目を細めた。気のせいであってほしかったが、山口が横目に見ていたのは明らかだった。ため息をついて眼鏡をかける。精細さを取り戻した視界で、すでに山口は視線をそらしていた。いつもそうやって見ていたのだろうか。男の着替えを見て、楽しいのか。聞きたいことはいくつも湧いてきたが、聞いたら負けのような気がして、やめた。
 先に着替えを終えても山口は隣で立って、いつものように待っていた。ジャージを着て一人で体育館に向かおうとしたら、背中ごしに呼び止められた。
 何?と振り返る。山口は今にも泣きそうな顔で、これでもかと眉尻を下げて言った。
「俺、ツッキーを困らせるつもりなんて全くないんだ。昨日のは偶然っていうか事故っていうか、気付いたら口が動いてて、言うつもりなんてなかったから自分でも驚いて、それで、昨日は、ちゃんと話もせずに逃げたけど、いい加減な気持ちじゃないから、その」
「つき合いたいって?」
 山口の言葉を遮って尋ねると、昨日の再現のように茹でタコならぬ”茹で山口”が出来上がった。ぐっと目を閉じ両手を大げさに前に突きだして横に振った。
「そんなつもりなんてないから、安心して、迷惑かけたくないんだ」
 口早に告げた言葉にカチンときた。迷惑なら、もう充分かけてると思うが。それに、つきあうつもりもないのに告白したなんてどういうつもりだ。
「あんなことやそんなことがしたくて言ったんじゃないわけ」
 汗だくになった山口が必死に否定の言葉をくり返す。理解できない矛盾だらけの言動にイライラしていると、遠くから足音が近づいてきて部室のドアが開けられた。
 他人がいる中で話を続けるわけにもいかず、さっさと体育館に向かうことにした。



 二人きりにならない限り、山口も例の話をする気はないらしい。代わり映えのしない、他愛もない話をしてくることはあっても、周りから疑われる様なことは何もしてこなかった。
練習を終えて部室に戻った時も、他の部員がいたせいか、横目に見てくることもない。困らせるつもりはない、そう言ったのは嘘ではないようだ。
 すっかり暗くなった下り坂を、ぞろぞろと2、3年生に続いて下っていく。坂ノ下商店に駆けこんでいく日向と田中さんの後ろ姿を見て、一足先に帰ることにした。主将に声をかけ、歩を進める。ヘッドホンに手をかけた時、後ろから山口が駆け寄ってくる気配がした。話す気にもなれずにヘッドホンをつける。山口は何も言わず、黙ってそのままついてきた。
 無言の帰り道が続いた。練習で火照った体から滲み出た汗が頬を伝う。一度汗が出るとなかなか止まらない自分の体が憎らしい。遠くで犬の鳴き声がして、どこかの家のカレーのにおいが鼻についた。
 曲がり角のついでに後ろに目をやると、少しうつむいた山口の顔が見えた。今さら笑顔を浮かべるのは無意味だと気づいたんだろうか。こっちが黙ってるからって、いきなり笑わなくなるのは、文句の代わりか、それとも構ってくれというアピールか。考えれば考えるほどイライラが募ってきて、自分が冷静になれないことにも腹が立ってきた。黙ってないでいつもみたいに勝手に話し続ければいいだろ。そんな風に口にしたら、きっとコイツはますます萎縮して面倒なことになるに決まってる。
 ため息をついたところで、気付けばいつもの分かれ道についていた。僕が足を止めると、山口が真横に立って足を止め、じっとこちらを見上げてきた。その顔があまりにも切羽つまった真剣なものだったから、仕方なくヘッドホンを外してみた。
「俺、ツッキーのことが好きなんだ」
 昨日のデジャヴかと思ったが、目の前にある顔がさほど赤くないことに、昨日と今日のズレを感じた。
「それ、昨日も聞いた」
「だから、ツッキーが困るなら一緒にいるのもやめる。部活も、ツッキーみたいにレギュラーじゃないからやめたって迷惑かからないし、ツッキーの視界に入らないように努力する。自分のせいでツッキーに迷惑がかかるのが一番嫌だから」
「別に、そんなことしてくれなんて言ってない」
「それくらい、ツッキーのことが好きなんだよ。自分でも信じられないくらい、本気で」
 一方的に喋り続ける山口の耳に、こっちの言葉は届かないらしい。
「ツッキーのためなら、俺なんだってできるよ」
 どっかのTVドラマで聞いたことのある、ありがちな言葉だと思った。でも山口の顔は見たこともないほど一生懸命で、安易に笑って誤魔化すこともできそうにない。そんなことすら易々と言ってしまう気持ちとは、一体どんなものだと言うのか。
「僕の何がいいわけ」
「全部、俺と違ってふわふわの髪も、白くてきれいな肌も、背の高さも、手の大きさも、全部、ツッキーのものだったら何でも」
 山口はそこまで言ったところで、僕の顔の一点を見つめて付け足すようにこう言った。
「ツッキーの汗だったら、俺舐めても良いと思う。それくらい、好きなんだ」
 何だそれ、と心の中で呟きながら、頬を汗が伝う感覚に気がそれた。右手人差し指で汗の雫を拭いとる。ぬれた指先を見た後で、山口の顔を見た。きっと口先だけ、勢いだけの言葉だろう。そう高を括って、指を山口の目と鼻の先に突きつける。どんなに好きな相手でも、舐めろと強要されたら嫌になるはずだ。
勝ったと悟った口元が、思わず緩んだ。山口は差し出された指を見ては、僕の顔色をうかがっている。ほら、やっぱりそんなこと出来やしないじゃないか。不思議と心のどこかで見捨てられたような気がした。
 長い間があって、指が渇くのも間もなくと思った時、山口の遅れに遅れた「え?」という声がした。その間抜けさに鼻で笑う。なんて情けないヤツだ。
「い、いいの?」
 え、と驚いたころには山口の顔に笑みが戻っていて、どう見ても嬉しさに満ち溢れていた。嘘だろ。身じろぎした僕の右手を、山口の両手がしっかりと抑え込む。その手はひどく熱っぽくて、触れられた所が火傷してしまいそうだ。あまりの暑さにどきりとして、思わず息をのんだ。山口の顔が少しずつ近づいて、指先に熱い吐息がかかった。伏せられた二つの目は熱に浮かされたように、うるんでいる。ふるえる瞼を上から見下ろせば、こんなに綺麗なものだったかと見入ってしまった。自分の右手が震えているのかと思ったら、その上にのせられた山口の手が震えているのだった。きっとその心臓はドキドキ大暴れしているに違いない。手から手に伝わるふるえは、もしかしたらコイツの鼓動かもしれないと考えた時、真っ赤な舌が現れた。その赤さに思わず手を引きもどそうとしたが、一歩遅かった。ぬるっとした感覚と共に人差し指を熱いものが包みこんだ。
 舐められた。頭の中で言語化できない声があふれ出る、思考を遮り全てを満たして膨れ上げてしまう。大きく大きく膨張したものがパチンとはぜる感覚がして、一瞬何も感じなくなった後で、唯一残されたもの、それが心臓の騒がしい音だった。
コイツは、山口は本気だ。本当に僕のためだと銘打てば命さえ投げ捨てる覚悟があるんだ。僕を好きだという言葉は、本物だったんだ。
 ごめん。離れた唇が告げたのは、聞き飽きた謝罪の言葉だった。ゆっくりと手が離される。うつむく山口は今にも逃げ出しそうに見えた。
「謝るなよ。別に……嫌とかじゃなかったから」
 引き戻した手は未だに熱の名残を持っていた。そこから伝染するように全身の体温がつられて上がっていく気がした。
 山口は半ベソの顔でこちらを見上げて、気持ち悪くないの?と尋ねた。その顔があまりにも情けなかったから、自然と口角が上がった。
「じゃあな、山口。また明日」
 目を丸くした山口の顔が笑顔に変わる。いつもより明るい表情に安堵し、一人の帰り道へと向かった。またね、ツッキー。そう叫ぶ声がして、ようやく気分が良くなった。
 笑ってくれていた方がよっぽど良い、それと、あの手に触れるのは悪くない。
 見上げた空に一番星が鼓動に合わせて瞬いているのが見えた。