最初にその手紙を手にしたとき、自分はそれを、いつもと変わらない、女子からの告白の手紙のひとつだろうと、そう思いこんで疑いもしなかった。実際、その手紙の冒頭から前半にかけて読んでみると、この手紙を書いた人物が、どのようなきっかけで僕のことを気にかけるようになったのか、どんな風に僕のことを思い続けてきていたのか、これから先、僕とどんな風に関わっていきたいと思っていたのか、そんな内容について、ひたすら淡々とした文章でもって書き綴られていた。
 どうやら今回の手紙の主は同じ学年の新聞部員で、今年の男子バレー部の取材担当として何度か試合を見にきたのをきっかけに、僕個人のことについて興味を抱くようになり、それは恋心を含んだものであるといつからか自覚するようになった、という話らしい。ああ、だからわざわざ靴箱の中でもなく、教室の机の中でもない、体育館の脇の靴箱の中に入れられていたのか、なんて妙に納得してしまう自分がいた。
 そこで終わってしまえば、これまで数え切れないくらい受け取ってきた手紙の数々と、それは何一つ変わりがないものでしかなかった。ただ、その手紙の後半から先へと読み進めれば進めるほどに、そんな趣旨のものではなさそうだと、少しずつ気づかされていくようになった。
『私は月島君のことが、とっても好きです。でも、ライバルも多いし、月島君には部活に集中していてもらいたいし、そもそも自分なんかが付き合えるなんて、はじめから、これっぽっちも考えていません。私は月島君のことを応援するファンでいられるならそれで良いと思っています。じゃあなんで手紙を書こうと思ったかというと、それは、一個だけ月島君に答えてもらいたいことが出来たからです。』
 そこまで書かれた二枚目の便せんを後ろにおくると、便せんの隙間に挟まっていた何かが足下に滑り落ちたのがわかった。朝練を終えたばかりの、まだ砂に汚れきっていない体育館の入り口におちたそれを拾い上げようとして、思わず息をのんでいた。それは僕と山口の二人が並んだツーショット写真で、誰が見ても近すぎる距離で接している僕と山口が、はっきりとそこに切り取られていた。これは、と目を丸くしながら、あわてて手紙の文面へと答えを求めるために視線を戻していた。
『一週間前の昼休みに、校舎の裏の非常階段に月島君と山口君が二人でいるのを偶然見かけました。二人がよく一緒にいることは当たり前のように知ってたので、最初は何も思いませんでしたが、その距離が近すぎるような気がして、つい様子をうかがってしまいました。月島君はあのときのことを覚えているでしょうか?』
 問いかけられるまでもなく、自然と思考は、手紙で指摘されている日付の記憶を遡ろうとしていた。けれど、山口と二人、人気のない非常階段で昼休みを過ごすようになったのはずいぶんと前からのことで、正直、どれがその日の記憶として当てはまるのか、自分でも良くわからなかった。
『そのときの月島君は、開いた本に集中しているのか、隣にいる山口君のことを、少しうっとうしそうに手で払いのけていました。そうしているうちに、山口君が月島君に近づき、月島君の眼鏡を後ろからそっと外してしまうのを私は見ていました。』
 そこまで読み進め、ようやく、あの日あの時、あの瞬間を見られていたのだと確信を抱いていた。たしかにあの日、僕と山口は昼休みの非常階段の踊り場で、二人きりで過ごしていた。裏庭の木々の隙間をすりぬけてやってくる風の心地よさと、まぶしいくらいの木漏れ日の暖かさを、今でもしっかり覚えている。あの時、図書館から借りてきた専門書の一冊を読もうと集中していた僕に、山口は何故か、静かなちょっかいを出し続けてきていた。それがどこか腹立たしく、こうなったら今日はこのまま無視し続けていようかと、そう考えていた僕の眼鏡に山口の手が伸びてきたのだった。
「ツッキーってば」
 甘えるような山口の声に、僕は顔をしかめ、強くにらみつけて言った。
「何、返してよ」
「ツッキーは、将来、そういうところで働こうとしてるの?」
 僕の手元の本の表紙には「博物館」の文字が記されていた。それが何か、と冷たく突き放すように返事をすると、山口は、そっか、とつぶやいて、くしゃりと笑った。
「そうなったら、俺、ツッキーのいるところに何回でも通いに行くね」
 何が言いたいんだろう、と眉間にしわを寄せているうちに、山口が手に取った僕の眼鏡を見下ろし、そして戻した視線で僕の目をまっすぐにのぞきこんできた。
「ねぇ、いいから、いい加減、返してくれない?」
 んー、と迷うそぶりで手の中で眼鏡をいじくりだした山口に、僕の我慢も限界を迎えようとしていた。舌打ちをして思わず伸ばした手を山口につかまれ、そして、前触れもなく唇を重ねられた。
「……なっ、ん、……ちょっと、」
 唇を離した山口の頭が、僕の肩にコツンとぶつけられ、見上げてくる山口の視線と目が合った。山口は赤い顔をしながら、嬉しそうな目で僕を見つめていた。言葉は発しなかったものの、その山口の目が、僕にこう語りかけているのは明らかだった。
『今、ツッキーと、ちゅーしたくて仕方なかったんだ』
 くすぐったそうに笑う山口を憎らしいと思いつつ、もうその瞬間には、自分はそれまでのように読書をしようとは思えなくなってしまっていた。やっと素直に返された眼鏡を受け取ったと見せかけて、離れようとする山口に強引に顔を近づけ、お返しとばかりに唇を重ねていた。
 その一部始終を見られていたと書かれている手紙に、あまりの驚きと、その瞬間の自分の軽率すぎる行動に怒りを覚えていた。
『あの日見たことを誰かに言うつもりはありません。ただ、教えてください。月島君は山口君と、そういう関係なのですか? もしその答えを教えてくれるなら、今日の昼休み、山口君と非常階段で過ごす間に、これから言う合図を私に見えるように出してくれませんか。』
 手紙の続きには、なんてことはない仕草を合図として、指定の時刻に屋上にいる手紙の主に向けて意志表示をしてほしいと綴られていた。その仕草くらいならなんてことはないのだが、僕も山口も知らない赤の他人に、僕と山口の関係について断言しなければいけないのかと思うと、正直、気が引けていた。手紙の主は僕からの回答がもらえなくても構わない、そうだとしても誰かに言うつもりはない、と改めて書き添えられていた。
『最後に、もう一個だけ。同封した写真は、その瞬間、無意識に向けたカメラで撮っていたものです。(デジカメのデータは消してあるので、安心してください。)この写真を見返すまで、本当はこんな手紙を書こうなんて思ってもいませんでした。この写真の中の月島君は、私がこれまで見てきた中で一番きれいだと思いました。これまで格好良いだとか、素敵だな、と思う瞬間はたくさん写真に撮らせてもらったけれど、月島君のことをきれいだと思ったのは初めてのことでした。だから教えてもらいたいんです。月島君と山口君は、相思相愛の関係なのですか? 月島君にこんな顔をさせているのは、山口君のことを好きだと思っているからですか? 合図、待っています。それでは。』
 締めくくりの言葉に瞬きを二度送ってから、手にしていた写真の中の自分に改めて目を向けた。山口と一緒に切り取られ写し出された自分の表情はひどく迷惑そうで、でも心から嫌気がさしているわけではなく、山口の手を振り払う気配もなく、どこか受け入れようとしてる気持ちをどこかぼんやりと、その顔の端ににじませていた。これはもう、言い逃れが出来なくて当然かもしれない。胸の奥に渦巻いていた感情を全て飲み下し、僕はその手紙と写真をきれいに重ね合わせると、元の通り、封筒の中へ仕舞いこんでいた。
「ツッキー、また手紙?」
 片付けを終えた山口が遅れて体育館の中から出てきて声をかけてきた。そう、と肯定しながら、何も知らないままの山口に向け、気づけば小さく舌打ちをしていた。
「えっ、ツッキーどうしたの? 俺、怒らせるようなこと、なにもしてない……よね? ね?」
 慌てる山口に向け、呆れの感情を押し込めた息を吐き出していた。こんなやつに自分はこんな顔をしていたのか。そんな風に嘆息しつつも、目に焼き付いた写真の中の自分の表情に、静かに頭を抱えたくなっていた。
「ツッキー何か、俺に怒ってる……?」
 いまだ心配そうにこちらの顔を覗き込む山口に、僕は当てつけのように口を開いていた。
「別に、お前のせい、とか絶対、ありえないから」
 こちらの言葉を受け止めていっそう困惑の表情を強めた山口は、その頭の上に浮かべる疑問符の数をさらに増やしたようだった。せいぜい死ぬほど頭を悩ませればいい、とつぶやきながら、僕は、そっと封をし直した手紙をジャージのポケットの奥底へと押し込めていた。手紙の主への返事については、まだ、どちらとも決められそうになかった。





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相互フォロワーなるせさん(@FishMinami)のイラストからインスピレーションを受けて書いたもの