式といっても、チャペルやホテルといった、ある種かしこまった場所での大げさなものにはしたくなかった。知人友人、合わせて十人にも満たない人数を集め、知り合いの知り合いに当たる人がオーナーを務めるフレンチレストランを二時間だけ貸し切りにして食事会を開いた。
学生時代から僕と山口の事情を知っている部活仲間や知人友人に絞って声をかけただけあって、当日の集まりの中で僕と山口に野暮なことを言う人間なんて一人もいなかった。てっきり変人コンビあたりに、どちらか一人はドレスを着るかと思った、なんて冗談半分にでも言われるんじゃないかと思っていた、そんな自分の心配など馬鹿馬鹿しくなるくらい、終始、その会は穏やかに進んでいった。誰もが、僕と山口の関係を祝福し、そして今後の幸せを心から願ってくれた。
こんな会を開こう、ともちかけたのは山口からだった。聞けば、その山口に知恵を貸したのは谷地さんだったらしく、谷地さん自身も、知り合いのウェディングプランナーの人から聞かせてもらった、同性カップルが挙げた結婚式の話に感動を覚え、それをきっかけに、僕と山口においても似たような集まりの場をつくれないかと考えるようになったらしい。
そんな話を聞かされた山口が乗り気にならないわけがなく、最初はチャペルで、誓いの言葉もライスシャワーも含めて、できる限りのことをしたい、と言ってきた。せっかくだから派手に、皆の記憶に残るような素敵なことをしたい、他のカップルと同じことを自分たちもできる限りしてみたい。そんなことさえ言っていたように思う。ただ、熱っぽく話す山口に対し、僕がどんどん渋い顔になっていった様子に、さすがの山口も冷静さを取り戻していったらしく、三十分経つ頃には、せめて食事会だけでもひらいてみたいんだと譲歩するようになった。さすがの僕もそこまで山口に譲歩させてしまった事実に、申し訳ないような、同情したくなるような、そんな気持ちを抱くようになっていた。
声をかけるのはごく一部の、気心の知れた相手に絞ること。結婚式をイメージさせるような派手なタキシードも着ないし、誓いの言葉や指輪の交換、祝儀袋のやりとりは一切しない、またその方針について参加する相手に前もって知らせておくこと。集まった皆の前で改まった挨拶などはしないこと。ざっとこんなことを条件に、僕は山口に了承の返事を出した。それでも山口は心底嬉しかったらしく、すぐさま谷地さんに連絡をとり、食事会にふさわしい店が思い当たらないか、相談しているようだった。
会の準備は、不思議なくらいすんなり進んでいった。谷地さんの知り合いのフレンチレストランのオーナーは会場として快く引き受けてくれただけでなく、相場よりはるかに安価な額での貸し切りさえも承諾してくれた。表向きは単なる身内の食事会。実際は、交際して十年、同棲して五年が経つ僕と山口の結婚式に準じた顔合わせだった。
日取りは、一年前に山口と指輪を交換した記念の日に合わせることにした。会の前日、細かな確認をしようとした僕に、山口は改めてプロポーズの言葉をくれた。
「これからもずっと、このまま一緒に生きて欲しい」
もちろん、と答えた僕の手を、山口は柔らかな仕草で握ってきた。重ねた手にはめたお互いの指輪がふれあう感触に、密かに胸が震えていた。
男同士の自分たちにこんな節目が訪れるとは、夢にも思っていなかった。それだけに、いざ見知った相手に面と向かって、おめでとうと告げられると、なんとも言えない、むずむずとした感覚に胸が満たされていった。僕と山口が一緒にいることを祝福してくれる人が現実に存在している。その事実に、感動してしまいそうになる自分が、確かにいた。
「いろいろと、協力、ありがとう」
会の終わりに谷地さんに声をかけると、谷地さんは驚きの表情に続けて、ひどく幸せそうな、嬉しさに満ちた笑顔で微笑みかけてきた。
「月島君の幸せそうな顔が見られて、それだけで私は本望です!!」
ぴしっと敬礼したその仕草に思わず顔を緩めると、谷地さんもつられて可笑しくなったのか、ひとしきりお互いに顔を見合わせながら笑いあった。
「無事に終わって、よかったね」
会場の片付けをしていると、山口がホッとした様子で声に出した。手元に重ねた席次表の名前を眺めながら、告げられた祝福の言葉が次から次へとよみがえってきていた。
「山口」
ん、と顔を上げた山口と目が合う。昨日の晩から告げようか迷っていた言葉が喉元までせり上がってくる。
「あのさ、」
手にしていた席次表の山をテーブルに置き、荷物置き場のすみに隠してあった小箱を手に取った。
「これ、」
それ以上の言葉を口にする余裕などなかった。僕から箱を受け取った山口は首をかしげながらも、素直にその中身を確認した。するりと中から取り出された布地に、レストランの照明がなめらかに反射するのが見えた。
「え……これ、どうしたの? これって、もしかして……ベール、だよね……?」
肯定の意思をもって、確かに一度うなづいた。それを目にした山口は信じられないのか、ぱちぱちと大げさに瞬きを繰り返していた。
「それ……よかったら、ここで、かけてくれてもいいんだけど」
あまりにもこちらをじっと見つめてくる山口の視線に恥ずかしさを覚え、自然と目をそらしていた。きっと今自分はうっすらと赤くなっているだろう。騒ぐ心臓に、大人しくなれ、と囁いてみるが、山口の返事を待つ時間はひどく長いものに感じられた。
「てっきり、嫌なんだと思ってた……」
たしかに、山口にベールをかけてほしいと言われたとき、はっきり自分は嫌だと告げていた。でもそれは他の誰かがいる前でしたくないという意味であって、後から冷静になって考え直してみたときに、たかが布一枚、それも山口の前だけに限っていれば別に大したことではないんじゃないかと思うようになっていた。それに、山口の性格や考え方からして、そういった特別な何かを本当は望んでいるのではないか、もし僕からそうもちかければ、喜んで受け取ってくれるのではないか、口にはしなくても、本心では、僕がベールをかけたところを見たいと思っているのではないか。そう思い至った上で、こっそり会場に持ってくることにした、というわけだった。
黙ったままの僕を見かねて、山口が一歩ちかづいてきた。その手には箱から取り出されたベール本体だけが握られていた。
いいの、と囁く声に、祈るような気持ちで首を振っていた。視界の隅で山口の口角が持ち上げられたすぐ後で、ふわりとやわらかな風が耳元をかすめていった。セットした髪を包む暖かな空気にハッとして顔をあげれば、目の前で微笑む山口と視線が合った。
「ツッキー、すごく……綺麗だ」
うっとりした声と目線に、胸の奥が強く締め付けられた。そんな目で見られるとは思っていなかっただけに、たかが布だと侮っていた自分の考えを戒めたくなった。たかが、どころじゃない。山口にこんな顔をさせている事実に頭の奥が痺れていきそうになる。今の自分は山口の目に、どんな風に写っているのだろう。
熱っぽく見つめられる視線をこれ以上受け止める気になれず、気づけばそっと、山口の唇に自らの唇を重ねていた。
「誓いのキス、だね」
離れた僕にくすぐったそうに告げた山口が、ベールの端をつかんだまま僕にキスをし直すまで、三秒としてかからなかった。誓いのキスも言葉も、これまで何度だって交わしてきたように思うのに、この瞬間のそれだけは何よりも比べられないほど特別なものであると感じ取っていた。今日僕と山口は、永遠の誓いを立て、関わってきた人たちからの祝福も受けた。それがいくら順番が反対だったとしても、すべてを多くの人の目に触れられる場所で行わなかったにしても、間違いなく今日が僕たちの結婚式の日になっていた。
「これからもよろしく」
囁いた僕に、山口がくしゃりと嬉しそうに微笑んだ。
「銀婚式とか金婚式もこんな風に過ごせるといいね」
視界のすみで翻るベールの裾に目線を奪われつつ、僕は山口の想像する未来の自分たちの姿に目を細めて言った。
「山口、あんまり調子に乗らないでよ」
へへ、と笑った山口に引き抜かれたベールは、丁寧に畳まれ、箱の中へと納められた。写真くらいは撮るべきだったかと一瞬頭をよぎったが、これ以上山口を甘やかすのも癪に思え、それだけはぐっと飲み込むこととなった。
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相互フォロワーういろうさん(@uirou0214)のイラストからインスピレーションを受けて書いたもの