屋台の並びが唯一途切れる境内の端の方で、買ったばかりのフランクフルトに口をつける。一年ぶりに着つけてもらった浴衣の袖を気にしつつ、今にも垂れそうなケチャップとマスタードを舌の先ですくいとった。好きなだけセルフでどうぞ、なんて言われたのは、初めてのことだった。屋台のおじさんとおばさんの誘い文句に、うっかり普段の倍の量を塗ってしまったことを反省しつつ、熱々のフランクフルトの先をかじり取る。口の中に広がる肉汁に目を細めては、楽しそうに通りを行きかうたくさんの人の流れを、見るともなく、ぼんやりと眺めていた。
 祭りの日、待ち合わせ場所で落ち合ったら、真っ先に、ぐるりと屋台の並びを端から端まで確認する、そこからそれぞれ好きなものを買い出しに一度出かけ、その後この境内の端の、少し開けた場所で落ち合う。それがいつしか俺とツッキーの間で出来上がった、共通の祭りの過ごし方になっていた。今日はツッキーの方が時間がかかっているのか、まだ戻ってくる気配はない。
 フランクフルトを最後まで食べつくし、残った串をビニル袋の中へと放りこむ。唇の端のケチャップを指で拭ってから、手に提げていた別の袋の中のたこ焼きを目で確かめる。もうかじりついても火傷はしないだろうと思うものの、今すぐ食べてしまうのは止めよう、と視線を外していた。もしかしたらツッキーが戻って来て、たこ焼きなら1個くらい食べておきたい、と言いだすかもしれない。それにもし、俺が今ここで、このたこ焼きを食べつくしてしまったら、その後、ツッキーが一人だけでもくもくと買って来たものを食べなくちゃいけない瞬間がやってくる。こっちがじっと見ないように目をそらしていたとしても、俺が横で待っていると分かりながら食べるのでは、ツッキーだって心から楽しむ余裕なんてなくなってしまうだろう。
 遅いなぁ、と口を尖らせ顔を上げると、通りの向かいにある金魚すくいの屋台が目に留まった。屋台特有の大きな水色の水槽の前に、小学校に上がるかどうかといったくらいの小さな女の子と、その子のお母さんと思われる女の人が小さく座りこんでいた。赤い金魚がいくつも描かれている白地の浴衣を着た女の子は、隣にいるお母さんから応援されながら、一生懸命、水槽の金魚をすくおうと頑張っているみたいだった。ただ、どうにも思いどおりにすくえているわけではないみたいで、後ろから見ても分かるほど大げさに振り上げた腕を勢いよくスイングしてから一瞬動きを止め、それから必ずしばらくの間、ひどく悔しそうに身体を揺すってはお母さんの方を見て何か言葉を発していた。上手くできないよ、お母さん手伝って、本当にこれですくえるの、くらいの文句は言っているのかもしれない。がんばれ、と俺は思わず、その背中に囁いていた。聞こえるとも思えない声をこぼしてしまったのは、いつかの自分の感情と、目の前の女の子の仕草がそっくりだったからなのかもしれない。
「お待たせ」
 声をかけられて、初めてツッキーが戻ってきたのだと気が付いた。その手には焼きそばと、からあげの入った紙コップ。クレープとチョコバナナは今回買ってこなかったのかな、なんて思った直後に、いや、もしかしたらこの後ぶらぶら歩いてまわるターンに入ったら、しっかりどちらも買って食べ歩くつもりなのもしれない、とすぐに考えを改めていた。
「どっちか、すごく並んでたの?」
「からあげがちょうど揚げてるところで、少し待った」
「そっか」
 ツッキーが食べ始めるのを機に、俺はとっておいたたこ焼きをようやくとりだして、そのうちの一つを口の中に放りこんだ。放っておいたたこ焼きは、周りが少し冷め始めてはいたけれど、中心のあたりはちょうどいいくらいの温度を保っていて、これでも全然悪くないな、と思える調子だった。大きなタコの弾力に舌鼓を打ちながら、もう一度金魚すくいの屋台に目を向ける。そこまで長い時間、目を離していたわけでもないのに、もうそこにさっきの親子の姿は見えなくなっていた。
「金魚すくいの金魚って、売れ残りの、弱ってるやつだって噂」
 不意に投げかけられたツッキーの声に、俺は思わず顔を向けた。
「え?」
「子どもでもすくいやすいように、泳ぎの遅くなったやつを選んで出してるって聞いた。だから誰がどう育てても、縁日の金魚は長生きしづらいんだ、って」
 突然何の話だろう、と俺はツッキーの顔を見つめていた。ツッキーは揚げたてのからあげに顔をしかめ、ふと俺の視線がしばらく自分に向けられていたと気づくなり、気まずそうに目をそらしてから続きを口にした。
「だから、小学校の教室の金魚のことは、お前の責任なんかじゃないから」
 そこまで言われて、ようやく、何の話か思い当たる記憶を掘り起こしていた。自分でもすっかり忘れ去っていた記憶の中の風景が、ひとつの映像となって目の前で広がっていった。小学校五年一組の教室の隅、ランドセルを押し込んでいた棚の上に置かれた小さな水槽、その中をゆったりと泳ぐ真っ赤な金魚たち。少なくとも五匹はいたはずの、誰かが縁日の屋台ですくってきただろう、小さすぎるその金魚たちの世話をクラスの中で任されていたのは、その時、生き物係を担っていた、俺自身だった。
 今の今まで忘れていたことに、俺は自然と笑ってしまっていた。そうだ、たしかにクラスで飼っていたあの金魚は一か月もしないうちに一匹、また一匹と姿を消し、運動会が始まる前に全部いなくなってしまったのだった。それを生き物係が怠けたせいだと誰かに言われたかどうかについては、さだかではないけれど、俺よりはるかに記憶力に自身のあるツッキーがそう言うのだから、きっと、それに近いことを当時の俺は言われたのだろう。今の今まで忘れていたことに可笑しさをおぼえ、それと同時に、本人である俺より全然関係のないツッキーが覚えていたことに感動しそうになっていた。だってたしか、その時俺とツッキーは同じクラスでもなかったはずなのだから。
「ツッキーって、そういうところ、優しいよね」
 何年も前の、しかも自分でも忘れていたような些細な出来事に対して、こんな風に気を遣ってくれるのは、俺が知る限りツッキーくらいなものだ。ツッキーのことをぶっきらぼうで冷たい人間だと勘違いする人も少なくないけれど、俺はツッキーのこんなところも、ちゃんと知っている。照れ隠しにこっちを見てくれない横顔を見ながら、俺は嬉しさで顔を緩めていた。
「ねぇツッキー、りんご飴、俺が買ったら半分食べてくれる?」
 ツッキーの手の中に飴の類がなかったことを思い出し、俺は確信をもって尋ねていた。りんご飴が好きなのは、俺より断然ツッキーの方だ。でもいつだったかツッキーの本人の口から、りんご飴は一人で食べきるには大きすぎて、持ち帰る頃にはベタベタになってしまいがちだから、いつも買うかどうしようかすごく迷う、って言っていたことを、俺はちゃんと覚えていた。今ここで二人で食べ始めるならば、帰る時間までに食べきってしまうのは難しいことではないはずだ。
「食べたいなら、持って帰れば?」
 冷静に言い返したツッキーに、俺は満面の笑顔と一緒に、こう返した。
「ツッキーと一緒に、食べていきたいんだ」
 横目に俺の顔を見たツッキーが何かしらの言葉を詰まらせながら、口を尖らせたまま、仕方なさそうに何度かうなづいてみせた。それは了承の合図で、いかにも渋々、という空気を嫌というほど醸し出してはいるけれど、今のツッキーが内心すごく嬉しいと思っていることを、俺はちゃんと見透かしていた。その証拠に、焼きそばを食べ終わったツッキーは、すぐさまりんご飴の屋台へ俺を引きつれて向かって行き、そして店先に並んだ商品の中から、一番りんごも飴も量の多い、そのひとつを選んで手に取ってみせた。
「ツッキーって、いつも大きいのを選ぶね」
 思わず口にした俺に、ツッキーはますます渋い顔をし、小さく舌打ちをした。
「当たり前でしょ、値段は一緒なんだから」
 そう言いつつ、律儀に値段の半分の150円を財布から取り出したツッキーの手元を、俺はニヤニヤしながら見つめていた。別に全額俺が出したって構わないのだけれど、こうやって割り勘にした方がツッキーが気兼ねなく食べてくれるから、俺は何も言わず受け取るようになった。こうした方が、より嬉しそうに、かつすごく美味しそうにりんご飴を食べるツッキーが見られるのだから。
 また元の少し開けた場所に戻ってりんご飴のビニルをはがした時、さっき目にした浴衣姿の女の子がお母さんに手を引かれて歩いていくのを目の端で見つけていた。通りの奥、人混みの向こうで歩く女の子の手元には、金魚すくいの屋台で渡される、あの小さなビニル袋が提げられていた。七分目まで注がれた水の中で、真っ赤な金魚が三匹、ゆったりと泳いでいるのが見えた。小さな金魚たちの真っ赤なヒレが水の中でゆらめくように翻されていくのを、俺はぼんやりと見つめてしまっていた。
「どうかした?」
 遠くに視線を投げたまま固まっていた俺に、ツッキーが声をかけてくれた。握りしめたままのりんご飴に視線を戻せば、真っ赤なりんご飴に俺の顔が映りこんでいた。境内の至る所に吊るされている祭り提灯の光を反射するその表面は、まるで水に濡れているように思えるほど、艶やかだった。俺は、ううん、なんでもない、と告げ、その表面に唇を寄せた。ガリっとかじりついたりんご飴は何よりも赤く、口の中に広がっていくその甘さに、俺は自然と目を細めていた。
「俺、ツッキーと来られて、本当に良かったよ」
 歯触りの良いりんごを飲み込んで、俺はそっと囁いていた。俺に続けてりんご飴にかじりついていたツッキーは、一口頬張ると、俺のことを怪訝そうに見つめては、口を動かしはじめていた。
「いきなり、何?」
 不思議そうに首を傾げたツッキーに、俺は小さく首を振って、頭の中にある言葉をそのまま口から発していた。
「また来年も一緒に来ようね、ってこと」
 頭の片隅では、水の中を気持ちよさそうに泳ぐ金魚たちの姿が、軽やかに、赤く焼き付いていた。





Twitter相互フォローの唐さん(@k_n_z_m_e)から頂いたタイトルをきっかけに書かせていただきました。