三週間ぶりにたどる帰り道は、すっかり春の色に染め上げられていた。卒業の日にはまだ蕾も目立たなかった桜並木はすっかり満開を迎え、俺はつい目線を奪われては上を向いたまま歩いていた。それを隣で歩くツッキーに諌められたけど、俺はツッキーの顔を見ることもせず、そのまま無視して歩きつづけた。
「転んでも知らないから」
 大丈夫、とつぶやいて、無理に笑顔をつくる。視線をいつもの高さに戻したら、溢れそうな涙がこぼれ落ちてしまいそうだと思った。頭の中には、体育館で流されていたピアノのメロディが漂っている。見送った先生たちの中に思い入れのある顔があるわけではなかったけれど、綺麗な旋律に混じって誰かの嗚咽が漏れ聞こえてくると、どうしても感化されて胸が震えてしまう。自分たちの卒業式でも涙をこぼすことはあまりなかったというのに、今日に限っては、もうこの校門をくぐることも体育館を訪れることも無くなってしまうんだな、と思った途端に、自然と涙がにじんできてしまった。
 青い空に散りばめたような桜の花が、温かい南からの風に押されて揺れる。まばたきの合間に、どこからか剥がれ落ちてきた桜の花びらが目の前をかすめていく。とっさに手を伸ばしたけれど、一瞬、間に合わずに指の間をすり抜けていく。
「へたくそ」
 そうつぶやいたツッキーが、ふと足を止めて手をのばした。空をつかんだ手を差し出される。
「ほら」
 手の中にある淡い色の花びらに、俺は目を細めた。
「さすがツッキー」
 その瞬間、目の端から不意に涙が伝って落ちた。あ、と声に出した時には遅く、足元に目線を逸らした俺の目からは、さらにもう一粒の涙の滴が伝い落ちていった。ちらっと見上げたツッキーの目が、どうして泣いているのかと不思議そうに俺を見ているように思えて、俺は言い訳がましく口を開いていた。
「こうやってツッキーとこの道を歩くのも最後なんだな、って思ったら、寂しいなぁ…って」
 気まずさから逃げるように、また舞い落ちてきた桜の花びらに手を伸ばす。無理に掴もうとすればするほど、その勢いで花弁はますます遠ざかっていく。その様子を見つめながら、俺は感嘆の息を吐く。綺麗なものほど、簡単に掴めないようになっているみたいだ。それは、モノに限らず、一番近くにいる人さえも。
「そうとは限らないでしょ」
 ぼそっと告げられた言葉があまりにも噛み合いすぎて、今まさに自分の考えていたことをツッキーに読み取られてしまっていたんじゃないかと、ドキリとする。ツッキーは俺の顔を見ることなく、満開に開いた桜の花を見上げては、優しい表情のまま、こう告げた。
「卒業したって、またこうして二人でここを歩くこともあるだろうし、今と同じように、またこうしてお前とこの桜並木を見上げたって構わないんだから」
 その穏やかな横顔に、俺の胸は強く締めつけられていく。気づけば、じゃあ、と口を開いた後だった。
「じゃあ、今すぐ俺がツッキーの、一年後の今日を予約しても良い? そして、一年後の今日の今、またこうやって桜を見ようよ」
 少し驚いた表情になったツッキーは俺の顔を見つめ、そして、目を合わせるなり、どこか嬉しそうな様子で目を細めた。それは了承の意味だと、俺には充分わかる反応だった。
「山口こそ、忘れないでよ」
「もちろんだよ、忘れるわけないじゃん」
 ふざけた調子でわざと笑う。目じりに残っていた涙が、未練がましく頬を伝った。二度とこぼれないように力まかせに拳で拭う。
「無理に止めなくても良いけど……こんな日なんだし」
 そのツッキーの声があまりにも優しすぎて、せっかく止めた涙が戻ってきそうだった。
「無理に泣かそうとしたって、そうはいかないから」
 止まっているツッキーの腕を肘で小突く。にしし、と笑って一歩先に足を踏み出すと、ツッキーも合わせて笑ってくれた。青い空に舞う桜吹雪の中に、その笑顔はまぶしく映えた。
 きっと来年もこうしてツッキーと桜を見る。その時までには、俺のずっと抱えたこの気持ちも伝えられるようになっていたら良いな。そう思いながら頭の上に手を伸ばすと、するりと手の中に何かが滑りこんでくる感覚がした。慎重に下げた掌の中には、薄いピンク色の花びらが一枚、ひらりと舞いこんできていた。もしかしたら望んでいるものは、こうやって自分の意図しないところで手の中にやってくるのかもしれない。そう思った瞬間、俺はツッキーに向け、その花びらを乗せた掌を差し出していた。





2020/3/31〜4/7の期間にて、セブンイレブンのネットプリントサービス利用で配布したもの。
実際のツイートがこちら
A3片面カラーで切り込みを入れて冊子になるちょっとしたものでした。