山口の気まぐれは二十代のあの頃から始まって、今や二十年近く続けられていた。台所の片隅に一輪だけというのに、毎日意図された色が日常の一画に添えられるのは、どこかくすぐったさを含みながらも穏やかな幸せの形を代弁してくれるように見えた。それは春先の公園に咲いた小さなタンポポであったり、それなりの洋菓子と似た値段のするバラの花だったりしたが、いつでも山口の優しさを自分に語りかけてくるようでもあった。毎朝目が覚めるとすぐに山口はそれに手をかけ、新しい水をやり、そして頃合いをうかがって適したものに替えていく。いつだかは、それだけでなく、山口が役目を終えた褪せた花を処分するにあたって「ありがとう」と礼を述べる姿さえ目にしたこともあった。その謝礼の真意を尋ねた時、山口はこう答えたのだ。
「ツッキーと俺の毎日に力を貸してくれて、ありがとうって意味だよ」
そんな、他の人間には瑣末でとりとめもない言葉に、隣にいてくれるのが山口で本当に良かったのだと思い知らされる。
初めの頃は山口が長く留守にする度に、戻った証として、新しい花を二人で求めに出かけるのが通例となりつつあったが、それはいつしか、山口の持ち帰るお土産へとすり替わっていった。それこそ、放っておいてしまった花の水やりを気に病むように、長く留守にすることをお互い心苦しく思っていたのだが、歳を重ねるごとに仕事の融通も効かなくなりだしたのもあって、二十代の頃のように早く帰るために切り上げる努力については諦めるようになった。その代わり、山口は、出先の思い出を持ち帰るかのように、何かしらの「花」を僕へのお土産として集めてくるようになった。それは道端に咲いた名もない花の押し花であったり、その国の有名な花畑の写真を用いたポストカードであったり、月明かりに照らされた大きな一輪の花の写真であったりした。
いずれも山口がそこで過ごし、そこで感じ、頭で考えていた物事が反映されたような、そんな花を留守にしていた長さに比例して、集めてくるようになった。そして、それだけでなく、山口は、とっておきという口調で、その「花」を見つけ、選び、持ち帰った時のことを面白おかしく、楽しそうにその日のうちにひとつも漏らさぬように僕に語り聞かせるのだった。それを聞くのがいつしか自分も留守番の楽しみになり、そして反対に山口を置いて長期で家を留守にする際には、山口の真似と分かりつつも、自分なりに語り聞かせるエピソードを託せるような「花」を探しては、ひとつでも多く持ち帰るようになった。
お土産のお菓子と、持ち帰った「花」をダイニングテーブルの上に並べ、温かい紅茶を片手に過ごすそのひと時こそが、何よりも穏やかで静かな自分たちなりの幸せを与えてくれる時間になった。
ピンポーン、と使い古したドアチャイムの音がした。ドアの向こうから「ただいま」と顔をのぞかせた山口と目が合う。
「はい」
前置きもなく差し出された一輪だけのその花は、鮮やかな赤い花びらを多く有していて、まるで春の温かな太陽を思い起こさせた。どこで手に入れたのか聞くのは、紅茶を淹れてからでも遅くはない。そう思いながら、大きな荷物を山口から受け取って、ダイニングテーブルの傍らへと下ろした。
さて、今回はどんな話を聞かせてくれるのだろうか。そう期待しながら、赤い花の香りに目を細めた。
Twitterの『山月12ヵ月の物語』3月のお題「花」を元に執筆したもの。
企画主催アカウント様⇒山月12ヵ月の物語