「おじさま、おはようございます。今朝も早くからお庭のお手入れですか」
「おはよう。うん、暖かくなって少し草が増えてきたからね」
「草むしりですか。もしよかったら、お手伝いしましょうか」
「大丈夫、気持ちだけ受け取らせてもらうよ。制服を着てる、ってことは、これから学校に行くんだろう? ここで引き留めたせいで遅刻となったら、さすがに責任とれないよ」
「いえ……大丈夫です」
「それに、その綺麗な手に傷でもついたら、君の親御さんに俺が叱られちゃうよ。ほら、そう言ってる間に、電車の時間は大丈夫?」
「良いんです……今日は」
「え?」
「遅刻、しても良いんです、今日は……今日だけは」
「………そっか」
「だから、少しだけ、ここにいさせてもらえませんか。何か出来ることがあれば、何でもお手伝いしますから」
「うーん……そうだなぁ……。じゃあ、草むしりの後に、水撒きを手伝ってもらおうかな」
「……ありがとうございます!是非やらせてください」


「うん、もうそろそろ、それくらいで大丈夫かな。お疲れ様。じゃあここで休憩しようか。どうぞ、座って。アイスティー用意したけど、ガムシロップがいるかな?」
「いえ、このままで大丈夫です。いただきます」
「このクッキーはね、一緒に住んでる人のお兄さんからもらったものなんだ。俺ひとりじゃどうしても食べきれなくてね。もしよかったら、少し持って帰ってくれると正直、助かるよ」
「……おじさま、どなたかと一緒に住まわれてるんですか」
「あれ、話したこと無かったっけ」
「はい、てっきりここにお一人で住んでるんだとばかり。母も、家族も、知らないと思います」
「そうか……そうかもしれないね」
「でも、それを聞いて、ちょっとだけホッとしました。だって、こんな大きなお家に何で一人で住んでるだろう、って疑問に思っていたので」
「そうか、外からはそう見えるんだ」
「こちらには数年前に引っ越してこられたんでしたっけ?」
「うん、広い庭が欲しくてね」
「そうだったんですね……一緒にお住いの、その方とお二人でお庭のお手入れされてるんですか?」
「………、いや、この庭は、俺ひとりで面倒見てるんだ」
「その方はお花が好きではありませんの?」
「ううん、好きだよ。俺より、ずっと」
「じゃあ、どうして」
「……ちょっとした、事情でね」
「では、この広いお庭を、おじさま一人でお世話してるんですか……! 私、先ほどお手伝いして初めて知りましたが、お花にお水をあげるのだって、とても簡単なことではありませんのに」
「いやいや、慣れてしまえば、そうでもないよ。……お茶のお代わり、持ってこようか。今日は少し日差しが強いね」
「ええ、少し。でも、ここは木陰で風が吹いて、すごく居心地が良くて……、このお庭の特等席ですわね」
「そうだね、少し前までは、ここでよく、お茶をしたよ」
「その方と、お二人で?」
「……うん。まさか、隣にまた誰かが座るなんて思ってもみなかったけど。やっぱりこの場所を作って正解だった」
「おじさまが作られたんですか、このテーブルと椅子を?」
「作ったわけじゃないよ、古物市で見つけて買ってきただけ。でも、自分でも良い掘り出し物を見つけたと思ったよ」
「そうでしたの。あ、ありがとうございます」
「お代わりしたかったら、また言って。まだあるから。クッキーも、少し持ってきたよ」
「このクッキー、苺のジャムがたっぷりで、すごく美味しいです。こちらのマカロンも、クリームにフリーズドライの苺がたくさん入ってて……苺、お好きなんですか?」
「……うん、俺じゃなくて、彼、がね」
「そうでしたの。………!……おじさま、もしよろしければ、その方について、もう少しお話聞かせていただいてもよろしいかしら?」
「え?」
「お嫌でしたら、お断りして頂いても構いませんわ、でも、私、もう少しその方について、おじさまからお話しいただきたいと思いまして……あら、嫌だ、おじさま、そんなお顔するのなら良いんです、ご無理はしないで、単なる私のわがままですもの、そんな悲しいお顔になってしまうのなら、私、これ以上は、」
「ううん、良いんだ。誰かに聞かれて困る話ではないから。でも、彼についての話なんて、どうして聞きたがるんだい?」
「それは……、………。おじさま、私、人が人として抱く大きな命題について、ずいぶん前から考えているんです」
「命題?」
「おじさま、人はどうして人を愛するんでしょう?人が人として、誰かと一生を共にしようと決めたとき、何が一番の決め手となるのでしょうか?」
「……君は、その答えを、今すぐ見つけないといけない、って思っているの?」
「いえ、すぐじゃなくて良いんです。ただ、少し……分からなくなってしまって」
「君は、今、大切にしたいと思っている相手が、誰かひとり……いるのかな?」
「………はい」
「それは、学校にいる誰か……?」
「……はい、クラスメイトです」
「そっか。……もしかして、その相手と、昨日……ケンカした?」
「どうして……!?」
「そうか、そういうこと。……でも、だからって、俺がツッキーのことを君に話したところで、何かの参考になるのかな」
「私にも分かりません。でも、おじさまが先ほどから、その、ツッキーさん、のことを口にする度に、少しお声が柔らかくなるのをお聞きしていると、何かそこにヒントがあるんじゃないかしらと、そんな気持ちが芽生えてきたんです。だからおじさま、ほんの少しで良いんです、おじさまがその方のことをどう思ってらっしゃるのか、それだけでも構いませんから、私に聞かせてはいただけませんか」
「そうだなぁ、そういうことなら……君には少しだけ、俺とツッキーの詳しい話をしても良いかもしれない。あんまり楽しい話ではないんだけれどね」
「構いませんわ」
「そこまで言うなら、じゃあ……」



「俺とツッキーはね、今の君くらいの歳、つまり高校1年の夏に、友達以上の関係になったんだ。出会ったのは小学校の時だったけど、高校までは友達としての関係がしばらく続いて、一緒にバレーボールをする大切な仲間としてずっと側にいたんだ。
先に告白したのは多分俺の方だったと思うんだけど、もう随分と昔の話だから、正直あんまり覚えてないや。でも、告白、ってなる前から、ツッキーはどうか分からないけど、俺はツッキーのこと、両想いだったら良いな、ってずっと考えてた。だから、付き合おうってなった時は嬉しくて大騒ぎしたことだけは確かに覚えてる。ツッキーには、うるさい、って顔をしかめられたけど、でも、後から聞いたら、ツッキーもすごく嬉しかったんだ、って。それを知った時、俺は何回目かはもう分からなかったけど、ツッキーのこと改めて好きだなって惚れ直した。
ツッキーとは高校を卒業して、大学に進学したタイミングで一緒に暮らすようになった。その当時はルームシェアって言葉が広まりだした頃でね、友達と一緒に暮らす大学生は少なくなかった。だから、お互い周りには恋仲だって言わずに済んだんだ。今は反対に、男子大学生が二人で同じ部屋で寝食を共にする、ってなったら察する人も多くなったけれど、その時代は別に疑われることもなかったからね。だから、俺とツッキーがずっと一緒にいよう、って約束を交わしたのは、大学生活も終わりの頃、お互い就職先が決まって、次の住まいをどこにしようか話し合った時だった。それを切り出したのは、ツッキーの方だった。本当は俺から言い出したかったんだけど、先を越されてしまってね。その瞬間は本当に悔しかったけど、その約束を持ちかけられたことが心から嬉しくて、三秒後にはどうでもよくなっていたよ。
これからもずっと一緒にいようね、って何回も指切りをして、指切りの代わりに、それからすぐ、おそろいの指輪を買ったんだ。それが、これ。ちゃんとデパートの売り場でサイズを計って、一生ものの指輪をお互いにプレゼントしたんだよ。その時は恥ずかしくて、俺もツッキーも耳まで熱くなってたけど、今では、それも良い思い出だなって話せるようになったんだ。
社会人になってもこのまま、と思っていた矢先に、俺の転勤が決まってね。少なくとも三年、もしかしたら、さらにもっと長い期間、九州の田舎で過ごさないといけないかもしれない、ってなった。ツッキーは優しいから、ついてきてくれる、って言ってくれたけど、俺は、仕事を変えてまでツッキーに無理をさせたくなんかなかったから、単身赴任で大分に向かうことにしたんだ。せっかく二人で広い部屋を契約したばっかりで、ツッキーをそこに一人で残すのも胸が痛んだけれど、でも、ツッキーにはツッキーの仕事があったから……会社の上司も、いつかは東京に戻って来られる、って約束してくれていたから、最終的には、その言葉を信じて転勤することに決めたんだよ。
でも、実際は、俺が半年で心も体もボロボロになってしまって……今でも恥ずかしい話だけど、一年経たずに東京に戻って来たんだ。その時、俺は、心からツッキーにこう言った。『ツッキーがいない生活は、生きた心地がしなかったよ』って。それは紛れもなく本心ではあったけれど、表現としては少し大げさにしすぎたのかもしれない。ツッキーは俺のその言葉と、俺の状態を重く受け止めすぎたんだろうね。その頃からだよ、ツッキーの身体に不思議なことが起こり始めたのは。
その頃からツッキーは、普通の人よりはるかに長く眠るようになってしまったんだ。」



「長く、というと……?」
「最初の頃は一時間、二時間という長さだったから、睡眠時間については、その頃の俺も気にはならなかった。ただ、ある日、俺は気づいてしまったんだよ。眠っているツッキーの身体が、とても冷たいということに」
「冷たい……?」
「そう。冷凍睡眠、って知ってる?体温を一定の温度に下げると心臓の動きがゆっくりになって、生きたままの状態で細胞の分裂を止める。そうすると、理論上は歳をとらないまま、次に体温を元に戻すまで成長も老化も止まる、っていうものなんだけれど、ツッキーの状態は、とてもそれに近いものになっていたんだよ」
「自ら体温を低下させて、その状態になった……と?」
「憶測の域を越えないけれど、多分、そうだろう、ってツッキーを診た医者は、そろって言った。俺もそうだと思う。でも、何故そんな状態になってるのか、目覚めたツッキーに尋ねても、分からない、と言うだけなんだ。それだけじゃなく、ツッキー本人は、今も普通に眠っているのと変わらない、とも言うから、誰にもその真意は分からない……。ツッキーはよく俺にこう言うよ、眠っている間は、いつも夢を見ているんだ、って」
「夢?」
「そう、夢では、いつも俺がツッキーの隣にいるんだ、って。俺はそれを聞いて、東京に戻って来た時に告げた自分の言葉を思い出したよ。もしかしたらツッキーは、一秒でも長く俺の側にいるために、無意識にそうすることを選んだのかもしれない、って。その証拠に、ツッキーの睡眠時間は、ツッキーの身体に病気が見つかったのを皮切りに、一気に長くなった。そう、一日二日だったのはもう何年も前のことで、今は一度眠りについたら、早くても三カ月は目覚めることは無いんだ」
「……ツッキーさんは、今も、眠っているんですか」
「うん、俺の計算では、あと一週間は少なくとも目が覚めないと思うよ」
「病気、というのは……?」
「その難しい名前まで、この場で伝えることはできないけれど、現代の医学では未だ難病に指定されている厄介なものだよ。もちろん、余命宣告だってとっくに俺たちの耳には告げられている。でもね、不思議なことに、その期間はとっくに五年前に過ぎ去っているんだよ」
「それはツッキーさんの、その、眠りのおかげということでしょうか……?」
「俺には分からない。でも、ツッキーが目覚めた時、そこには俺がいないといけないんだろうな、って……いや、そうだと良いな、と、勝手に思っているんだ。そう言うと、ツッキーはきっとすごく怒って、そして申し訳なさそうに微笑むんだけどね。それは俺のワガママだよ。この指輪に誓った、『ずっと一緒にいようね』って約束に執着しているんだ、俺はもちろんだけど、きっと、ツッキーも同じ」
「ツッキーさんは目覚めたら、どれくらい起きてらっしゃるんですか?」
「大抵は一日。でも、ツッキー本人も、一度眠りについたらしばらく目が覚めないことを知ってからは、二日以上起きつづけようとすることもあるよ。反対に、目が覚めても、数時間で再び眠りについてしまうこともある。だから、次に目が覚めてどれくらい一緒に過ごせるかは、俺にもハッキリとは分からないんだ」
「寂しくは、ありませんか?」
「……寂しくない、と言ったら嘘になるけれど、ツッキーと一緒にいられるなら、俺はそれだけで充分だと思えるよ」
「だから、次に目が覚めるまで、ツッキーさんの好きなものを用意して待っていらっしゃるんですか」
「……そうだね」
「このお菓子も、このお庭も、ツッキーさんのため?」
「うん、その通り……君は鋭いね」
「だって、このお庭、いつ見ても何かしらのお花が咲いているから……今がどんな季節か、見てすぐに分かるように、そうされているのかもしれない、って思ったら……」
「君は優しい子だね、こんな俺のために泣くことは無いんだよ」
「いえ、もし自分がおじさまと同じ境遇になったとしたら、同じように待てるかしらと思ったら、つい……大切な相手がもしかしたら、もう目が覚めないかもしれない、と不安にならずにはいられないと思うんです」
「そうだね、正直、今も不安だよ。でも、ツッキーはきっと諦めないと思う」
「え……?」
「ツッキーが意外と頑固だ、っていうことは、俺が一番よく知ってるから。だから、俺も諦めないよ。……ほら、涙を拭いて」
「ありがとうございます。……私、おじさまからお話が聞けて、本当に良かった」
「参考にはなったのかな」
「はい。もう少しここで休んだら、学校に行くことにします」
「そう……仲直り、出来ると良いね」
「………はい」
「俺は家の中に戻ってしまうけど、気が済むまでここにいてくれて構わないから」
「ありがとうございます」



「そろそろ行かないと三限にも間に合わなくなってしまうわね……教室に行ったら、私から謝らなくちゃ……あら、あそこの窓、カーテン開いていたかしら?あぁ、あそこにいるのは、おじさまだわ」
「ツッキー、気分はどう?まだ夢を見てるのかな……?」
「あそこがツッキーさんのいらっしゃるお部屋なのね」
「今日は聖英女学院のあの子にいろいろ話しちゃったけど、許してくれるよね?彼女も、あの頃の俺たちみたいに悩んでるみたいだったから、少し手助けしたくなってさ。ツッキー、次に直接話せるのは、いつかな……」
「おじさまの手に握られた、あの白くて綺麗な手はツッキーさんのものなのね。あんな風に唇を寄せられているのだから、やはり、そうなんだわ。……あらいけない、忘れ物。お茶を頂いたときに落としてしまっていたのね。……良かった、失くす前に見つけられて。あら、このお席、見上げるとすぐ目の前がおじさまの書斎の窓だわ。ちょうどおじさまが戻って来られた……もしかしたら、ツッキーさんはいつもここからおじさまのお仕事される横顔を見上げていらっしゃったのかしら……なんてね。……あぁ、私たちもおじさまとツッキーさんのようになれるかしら……いいえ、なれるといいわ。ありがとう、おじさま。ツッキーさんと、さいごまで一緒にいられるよう、私もお祈り申し上げますわ。私も、私の愛を失くさぬようにしなければ。おじさま、ツッキーさん、今日はこれでお暇させていただきます。またお会いできると嬉しいわ。それでは、さようなら」





Twitterにて2019年4月20日山月真ん中バースデーに合わせて催された
「#ヤマツキ春のSSまつり」企画へ執筆者として参加した際の山月小説。
企画主催アカウント様⇒@12ymtk11