いたずら、って聞いて思い浮かぶのはどんなことだろう。相手の筆箱の中身を入れ替えるとか、相手が座ろうとしたときにぴったしのタイミングで椅子を引くとか、はたまた黒板消しを扉に挟むとか。一歩間違えれば、いじめと紙一重の被害になる可能性は充分高い。そう考えたら、ハロウィンの定番「トリックオアトリート」ってすごい質問だなと思う。相手からお菓子をもらえなかったからってだけで、いたずらの口実になる。
 十月三十日の帰り道、ツッキーと二人でいつもの通学路を歩いている間に、不意にツッキーが思い出したように口にした。
「明日は必ず一人くらいはハロウィンだからって浮かれて面倒くさいことが起きそう」
 ため息まじりのツッキーの声に、俺の頭の中をいろんなイメージが飛び交った。日向や先輩のうちの何人かは特に力をこめて何かしかけてきそうな雰囲気がある。もしもツッキーがそれに巻き込まれたら、なんて考えていると、次第に心配で不安が襲ってきた。
 ツッキーは、帰り道のその一言しか特に口にすることはなく、あまり心配している気配はなかった。でもそんなツッキーを見て、俺はますます明日ツッキーが油断した瞬間に何か大変なことが起きるんじゃないかと、そんな嫌な想像ばかりをしてしまっていた。
 家に帰って夕飯を食べ、明日の支度をしてベッドにもぐりこんだ後も、なんだかそわそわして俺は上手く寝付けなかった。
 明日はツッキーのこと、俺が護ってあげなくちゃ。
 そう思いたったのは、草木も眠る丑三つ時、深夜二時半を過ぎたころだった。
 目が覚めて、俺はいつもより三十分も早く家を出た。家の中にあるお菓子を鞄に入れて、近所で唯一朝一でも開いている個人商店に寄ってから、ツッキーとの待ち合わせ場所に向かった。
 通学路の途中、ツッキーと俺の家のちょうど真ん中の距離にあたるところで俺たちは毎朝待ち合わせをしてから学校へ登校する。いつもは俺の方が先に待ち合わせ場所に立っているんだけれど、今日は俺の方が遅れて到着した。
「ごめん、ツッキーお待たせ!」
 姿が見えたのをきっかけに駆け寄ると、ツッキーは眠たげに、ひとつ大きなあくびをした。俺はツッキーが目を閉じているその一瞬の隙を狙って、ポケットにしのばせていた飴玉をツッキーの鞄の外ポケットに押し込んだ。
 さっと腕を引いた俺を見て「何?」とツッキーは顔をしかめたけれど、俺は「なんでもないよ」と笑って先を急いだ。ツッキーに近づく誰かに不意打ちされないよう、いつもとは違ってツッキーの半歩前を歩いていく。
「月島くん、おはよう」
 学校の昇降口で靴を履きかえているツッキーに声をかけてきたのは、同じクラスの学級委員長の佐山さんだった。
「おはよう、佐山さん、良い天気だね。何かツッキーに用事?」
 ツッキーと佐山さんの間に身体をねじこんで俺は遮るように言った。佐山さんは驚いた様子で俺を見上げ、「いや、別に……何でもないけど」と少し首をかしげると、昇降口の時計を横目に見た。急がなくちゃ、と口にするなり、そのまま教室へと小走りで向かっていった。
 よし、まずは一人目。ツッキーをちゃんと守れたぞ。俺はツッキーから見えない位置で小さく右手でガッツポーズした。このままこの調子でツッキーを守れたら、
「月島ー、トリックオアトリート!」
 そう思った俺の後ろから、突然現れた日向がツッキーに向かって駆け寄った。しまった、と思った時には遅く、ツッキーの目の前に右手を差し出して、期待に輝かせたその視線をツッキーに向けていた。
 うわ、と聞こえてきそうなくらい嫌そうな顔をして、ツッキーは大げさなため息をひとつ。
「持ってない」
 えぇ、と日向は残念そうな声を出して、あからさまに肩を落とした。いけない、と俺はあわてて、
「ツッキー昨日俺に飴くれたよね。まだ残ってたりしないの?」
 さりげなく鞄の外ポケットを指さす。ツッキーは俺を見て迷惑そうな顔をしたけれど、うながされるままに鞄のポケットに手を入れる。二、三度ごそごそ音を立てたツッキーは俺を見て、
「やっぱりない」
 日向に向かってそう言った。そんなわけない、と思って俺は自分の学ランのポケットに手を入れた。俺のポケットに飴玉はない。やっぱりさっきちゃんと入れたのは確かなのに。
 おかしいな、と首を傾げた俺の隣で日向はだるそうに靴を脱いで靴箱に入れる。ため息をついて上履きに履き替えるなり、
「じゃあいい。今日だけはタダでお菓子もらえると思ったのになー、ちぇ」
 そう言ってぶらぶら廊下を歩いていった。
 日向の目的がお菓子だけで良かった。俺はホッと息をついた。でも、もしいたずらの方を目的としていたなら、今頃ツッキーは面倒なことに巻き込まれていたかもしれない。そう思うと、俺の背筋を冷たいものが走っていく。
 ツッキーの持つ鞄の外ポケットは、ファスナーが付いていない。一番俺がツッキーに気付かれずにお菓子を忍ばせることが出来る場所だけれど、それはつまり逆を言えば失くしやすい場所でもある。もしかしたら学校まで歩いてくる途中で落としてしまったのかもしれない。俺はそう結論付けて、次はツッキーの学ランのポケットにしよう、と思った。
 そうして始まった十月三十一日。俺はツッキーのポケットから始まり、鞄、机の中、筆箱の中、とあらゆる場所にお菓子を潜り込ませた。ツッキーに話しかける人がいたら耳をそばだてて、もし相手が「トリック オア トリート」と口にするのなら、すかさず近づいてツッキーがお菓子を出すようにアドバイスする。そうすればツッキーがいたずらされることはなくなる。
 俺は自信に満ち溢れた作戦を胸に、ツッキーを守ることに専念した。だけれど、それは決まって上手くいかなかった。不思議なことに、俺が隠したお菓子は俺の知らないうちに、どこかへ迷い込んでなくなってしまった。何故、と俺は不安になったけれど、ツッキーにそれを確かめるわけにも相談するわけにもいかないと思った。俺がツッキーを守ろうとしてるのに上手くいかない、そんなことを俺本人がツッキーに言うのはカッコ悪いとしか言えないからだ。
 それでも俺はめげずにツッキーの周りにお菓子を隠し続けた。ツッキーは部活が終わるまでいろんな人に声をかけられ、クラスの女子や田中さんや西谷さんに「トリック オア トリート」と投げかけられた。でもその直後ツッキーの手にお菓子はなく、女子からは眼鏡をとられ、田中さんからはほっぺをつねられ、西谷さんには頭をぐしゃぐしゃに撫でまわされた。俺はそんなツッキーを見て、ただひたすら「何で?」と困惑した。
 俺のやり方が悪いのだろうか。それとも、誰かがツッキーをハメようと悪巧みしているのだろうか。
 部活の終わった帰り道、暗くなった田んぼのあぜ道を歩きながら俺はぐるぐる考え込んだ。今日一日ツッキーを襲った出来事は運よく些細ないたずらだけで済んだけれど、何か一歩間違っていたとしたら、とんでもないことが起きていたかもしれない。もしそうなったとしたら、完全に俺のせいでしかない。ツッキーを護ろうと万全の対策を練ったのに上手くいかなかったのなら、俺の力不足の何物でもない。
 はぁ、とため息をひとつこぼすと、隣を歩いていたツッキーが軽く俺をにらんでいた。
「あ、ごめんツッキー、俺、ボーっとしてて」
 もしや俺の気づかないうちにツッキーが話しかけてくれていたのかもしれない、と思った俺はあわててツッキーに笑顔を向けた。ツッキーは不快そうに目を細め、
「今日みたいな日に限って、何にもないとか」
 独り言のようにポツリとこぼした。え、と聞き返した俺をいまいましそうに見て、視線を逸らす。
「別に」
 何か言わなくちゃ、なんて聞けば応えてくれるだろう、俺の頭の中をぐるぐると言葉が駆け巡る。唇が言葉を紡ぐ態勢に入っているのに上手く出てこなくて、あわあわと震え出すのが分かる。どうしようどうしよう、と迷っていると、ツッキーが浅く息を吐き出した。
「イベント大好きなどこかの誰かは、いの一番に聞いてくると思ったのに、ってだけ」
 盗み見るように向けられたツッキーの視線が俺とぶつかる。まだ納得のいっていない俺を見て、ツッキーはイラッとしたのか自分の鞄の中に手を入れると、小さなビニル袋を引きずり出して、俺の手に押し付けた。
「返す」
 何だろう、と袋の中をのぞきこめば、見覚えのあるお菓子の山。もしかして、と俺が思い当たる前に今度はツッキーの手が袋を俺から取り上げて、
「持ってるの全部ここに入れなよ」
 俺は意味が分からないまま、ツッキーの視線に促されて鞄の中にあるお菓子の全てを、ツッキーの広げるそのビニル袋の中に押し込んだ。
「うわ」
 こんなに、とつぶやいて、ツッキーは大きく膨らんだその袋の中身を見下ろした。
 見たくないものにフタをするように、ツッキーは袋の口をすぼめてギュッと縛ると、俺の顔を見つめ、こう聞いた。
「トリック オア トリート……?」
 その時、俺はぽかんと大きく口を開けて突っ立っていたんだろう。ツッキーの右手が目の前に迫って来て、俺の鼻を強くつまんだ。どうだ、と言わんばかりのツッキーが、
「いたずらって言ったって、これくらいでしょ」
 それは俺の行動を全部知ってた、と伝えるための一言だった。俺はその時、ようやく消えるお菓子の真相に気が付いた。犯人は、ツッキーだったんだ。
 驚きで目を丸くした俺に、ツッキーは、やっと気づいたか、と呆れた様子だった。手にしていたお菓子の詰まった袋を俺につき返し、じぃっと俺を見る。
 真相の分かった俺はようやく頭の中のもやもやが消えてスッキリした気分になった。でもそれは一瞬の間だけで、今度は新しい疑問が頭を覆った。
 じゃあどうしてツッキーはそんなことをしたんだろう?
 首を傾げていると、ツッキーが怒った調子でこう聞いた。
「で、いつ聞いてくれるの?」
 ツッキーは俺の目の前で両手を広げて、興味なさそうにこうつけたした。
「今なら、どんないたずらされたって、こっちは何の文句も言えない状況なんだけど?」
 俺はようやくツッキーの本音に気が付いて、ドキドキしはじめた胸を押さえて唇を開いた。
「トリック オア トリート……?」
 その声は自分でも笑ってしまいそうなほど震えていて、次に何をすべきなのか、俺の脳みそは急激に加速して動き始めていた。