家から持ってきたライターの火打石を回す。プラスチックでできた安っぽい百円のライターは古いせいか、なかなか火がついてはくれない。そうやって何度も試しているうちに、俺の親指はじんじん痺れて、なんだか見えない誰かに邪魔されているような、そんな気持ちになった。
 遠くで打ち上げられた大きな花火が夜空の向こうに光って消える。ようやく火のともったろうそくを石段の上に立てれば、暗い木々の姿がぼんやりと浮かび上がった。人気のない奥まったところにある社とはいえ、後できちんと片付けておかないと罰が当たってしまうかもしれない、なんてことを考えている俺の横で、浴衣のすそを整えながらツッキーが腰を下ろす。
 思えば、こうやってツッキーと並んで花火をするのは今年で五度目になる。初めの年はまだ明光くんも一緒で、準備から片づけまで、火の扱いはすべて任せていたっけ。
 ズボンのポケットに入れていた線香花火の束を取り出す。持ち手をまとめる細い紙をちぎって広げれば、赤い和紙でつくられた線香花火の束は、ちょうど十本あった。
 俺はそのうちの一本をツッキーに、そして自分の分の一本を手に取った。じりじりと揺れるろうそくの炎に、こよりの先をそっと垂らす。じりっと焦げる音がして、一瞬で火がついた。
 パチパチと四方八方にはじける火の姿に目を細める。隣に座るツッキーの手にする花火にも火がついて、俺よりも細やかな火花がはじけて光る。俺はその光を目にしてから、もう一度自分の持つ線香花火に目を向けた。
 遠くで打ちあがる花火に合わせて、祭囃子がおどる。きっと神社の前の大通りはすごい人だかりが出来ているのだろう。夜風に揺れる木々の葉の向こうから、かすかな喧騒が聞こえてくる。
 じりっと鈍い音がして、俺の線香花火の火は石段の上へと落ちていった。あんなにも明るかった手元が、不意に暗さを増す。残る花火は四本。ふっと視界のすみっこが暗くなって、ツッキーの手にしていた線香花火も消えてしまった。
 ツッキーに新しい一本を手渡しながら、二本目に火をつける。すぐにはじけはじめた光の花に、じっと目を向ける。
 全ての火花が散ったら、そのとき俺のこの恋は終わる。
 俺はそっと胸の中で囁いてから、揺れる光の花をじっと見つめた。

 一か月のうちに返事をくれれば良いからと、そう言ったのは俺の方だった。それは部活の帰り道、ツッキーに思い切って自分の気持ちを告げた上での言葉で、それは単に部活やら勉強で忙しいツッキーを急かすようなことはしたくないと思ってのことだった。今思えば、単に俺自身がすぐに断られて傷つくのは嫌だっただけのことかもしれないけれど、ツッキーはそんな俺を見越したのか、その時は表情を崩すことなく「分かった」「考えておく」の二言でその話を終えた。
 それから二週間もしないうちに夏休みが来て、合宿とか練習試合がみっちり組まれたおかげで、俺もツッキーもそれどころではなくなってしまうくらい、部活が忙しすぎた。俺からツッキーに返事をうながすことが出来るわけもなく、なんてことはない、いつもの毎日が続いて、知らぬ間に一か月が経とうとしていた。
 もしかしたらツッキーは俺の示した「一か月」を忘れてしまっているのかもしれないし、そもそもあの時もらった、そっけない二言の時点で答えは出されていたのかもしれない。俺がいくらぐるぐる考え込んだところで状況が変わるわけもなく、夏休みも半分が終わろうかという時、ふいにツッキーからお祭りのことを持ちかけられた。
 市内でも大きな神社の祭りに、俺とツッキーは小学生のころから毎年決まって遊びに出かけていた。いつもは決まって俺からツッキーを誘うのに、今年だけは違っていて、
「今年は、行く気あるの?」
 ツッキーのその言い方に何か引っかかるところがあったのだけれど、結局分からないまま、
「ツッキーが良いなら、俺の返事は決まってるよ?」
 そんな風に答えていた。ツッキーは何かを考えているようだったけれど「じゃあ部活の後で」と言ってくれた。
 祭りの当日、つまり今日の夕方、部活を終えて一緒にいつもの帰り道をたどったあとで、俺は急いで自分の家に帰った。着替えを済ませるなり一分一秒でも早くツッキーとお祭りに行けるよう、必要最低限の荷物であるケータイと財布をポケットに押し込んで家を出た。
 ツッキーの家に着くと、「もう少し待っててね」と遠くからツッキーのお母さんの声だけが返って来た。仕方がないから玄関の上がり框に腰を下ろして五分ほど待った。近づく足音に気が付いて顔を上げれば、そこには浴衣姿のツッキーが俺を見下ろしていた。
「あ、れ……?」
 その瞬間、きっと俺は驚いた顔になっていただろう。俺の顔を見たツッキーが一瞬ムッとした表情を浮かべ、
「だから言ったのに」
なんてつぶやいていた。奥からぱたぱたと出てきたツッキーのお母さんが俺を見て「あら」と口を手で押さえた。
「ツッキー……浴衣、似合ってるね」
 いつもは制服の学ランや部活のジャージに包んでいるツッキーのすらりとした身体は、麻の淡い白地の浴衣に包まれていた。普段はあまり感じない腰元の細さだとか、手足の長さが何倍も際立って感じられる。俺は思ったままの気持ちを、つい口から漏らしてしまっただけなのだが、ツッキーはそれがひどく気に食わなかったらしく、
「やっぱり着替えてくる」
 俺に背を向けて部屋に戻ろうとしたその裾を、俺の手はとっさにつかんでいた。
「何で?もったいないよ。ツッキーがそのまま浴衣で出かけるなら、俺も急いで家に戻って着替えてくるよ?」
 足を止めたツッキーは恨めしそうに俺を見下ろすと、渋い顔で目をそらし、「今からそんなことしてたら、祭りに間に合わなくなるけど」そんなことを小さくつぶやいた。
 俺は、そうだね、と相づちを打って、ツッキーが着替えるのを待とうと思った。けれど、ツッキーは何故かそのまま俺の横に立ち、ツッキーのお母さんの出した草履に足を入れた。
「着替えなくて、良いの?」
 玄関の戸に手をかけたツッキーに尋ねると、ツッキーは俺に目を向けることなく、こう返事をした。
「今さら着替えるの面倒だから、別に」

 お祭りは例年通りとてもにぎわっていた。神社の前の大通りは人通りが増え、もう三十分もしないうちに始まる打ち上げ花火に向けて場所取り合戦がはじまっていた。花火の見える位置に向かって移動する人々の流れに逆らって神社の境内へ向かう。これからの時間帯は、むしろ境内の方が空きはじめる頃だ。毎年、俺とツッキーはこの時間帯をねらって境内の屋台をぐるりとめぐるのが、いつもの楽しみ方になっていた。
「何から食べようか、たこ焼き?お好み焼き?それともじゃがバタ?」
 何年かぶりに浴衣姿で歩くツッキーは普段と勝手の違う格好に苦戦しているのか、いつもより歩くのがゆっくりになっていた。俺は半歩後ろのツッキーに歩幅を合わせながら、いろんな屋台を指さした。
「暑いから、かき氷とかの方が良いかな」
 目の前に現れた「氷」の文字を指さすと、ツッキーが小さくうなづいた。いちごミルクで良かったよね、と確認をとってから屋台の前にかけよって注文する。大きなかき氷のカップを受け取ってツッキーのところに戻ると、俺を待つ間に用意していたのか、代金の半分のお金を手渡された。いろんなものをちょっとずつ食べたい俺たちは、いつでも二人でひとつを割り勘で買うのが当たり前になっていた。当然、屋台の人に言ってストロースプーンを2本もらってくるのを忘れることはなく、氷の山にささった片方をツッキーの手が取った。
 二人でひとつのかき氷をつつきながら屋台を散策していると、金魚すくいの店の前で日向と影山を見つけた。二人並んで水槽の前に座り込んでいるのを見て、どうせまたどっちが多く取れるか勝負しているに違いない、とツッキーと一緒に予想していると、
「よっし、おれの方が2匹も多い!」
「馬鹿、俺の方が大きい出目金が2匹もいる、だから俺の勝ちだ」
「なんだとぅおおお?数で勝負って話だろ?」
「大きいやつと小さいやつが同じ数なわけないだろ?」
「でも、おれの出目金の方がお前のより大きい!だから俺の勝ち!」
 そんなやりとりが聞こえてきて、ほらやっぱりそんなことだろうと思った、とツッキーと二人、くすくすと笑ったのだった。
 焼きそばにたこ焼き、クレープにチョコバナナ、いつもの外せない屋台メニューを一通り網羅したところで、遠くの夜空に大きな花火が打ち上げられた。遠巻きに響く破裂音、一瞬の間をおいて広がる光の花に、見上げた人々の口からため息が漏れる。残念ながら境内の中からは、神社の敷地内に植えられた木が空を覆って、全体像までは良く見えない。花火の音と断片的な光に誘われて、屋台の前にいた人たちが鳥居の外へとまた一人、歩いていく。その背中を見ながら、俺はそろそろだな、と思ってツッキーの袖をひいて、おもちゃ屋の屋台を指さした。
「今年も一緒にやろうよ」
 おもちゃ屋の隅に下げられた花火セットの中でも一番値段の安い線香花火だけの束。それを見つけたツッキーの唇が、ほんの少しとなりで緩むのが分かった。

 お祭りのメインである大きな社の奥、林になっている木々を抜けると、もうひとつ小さな社がある。俺とツッキーは毎年決まってここで花火をやるのが、夏祭りの最後の仕上げみたいになっていた。小さな社の前の、たった五段しかない石段の中段に腰を下ろす。危うく家を出る時忘れそうになったライターとろうそくをポケットから出すと、休憩を挟んでいた花火が再び打ち上げられる音がした。
 夜空に響くその音を耳にしながら、俺はしずかに花火の準備をした。ツッキーは黙って俺の隣で待っていて、俺がろうそくを用意したところでようやく石段に腰を下ろした。耳元に蚊が飛んでくる羽音がして、出かけ際ツッキーに虫除けスプレーを貸してもらえて良かった、なんてことを思った。
 はじける火花の光に浮かび上がるツッキーの横顔は、とても綺麗だった。ふせられたまぶたの縁に並んだまつ毛はかすかに揺れ、眼鏡のレンズの奥の瞳には花火の光が反射して、その薄い黒目を彩っていた。浴衣のそでから伸びる手首の白さは夜の闇にぼんやり浮かぶ光のようで、すらりとまとまった指先につままれた花火が小刻みに揺れている。じいっと見入るその視線に俺の目が奪われそうになって、とっさに目をそらして自分の花火を見やった。
「あ」
 あわてて視線を戻したせいか、あっけなく二本目の線香花火は散ってしまった。あぁ、と胸の中で言葉にならないため息をひとつ。
 あと三本。俺は隣に光るツッキーの花火を横目にして、そう自分に言い聞かせた。
 三本目を手に取る。ツッキーの花火が終わったタイミングで火をつける。ツッキーに告げたあの日は、今日からちょうど一か月前の今日だった。そう、俺の示した一か月のタイムリミットは、今日が最後。
 小さくなりはじめたろうそくの火に、ツッキーが三本目の花火を近づける。鳥居のある方角から、ひときわ大きな歓声が聞こえた。もうすぐ打ち上げ花火の方もクライマックスを迎えるだろう。あの打ち上げ花火を、俺はちゃんと見たことがない。
 このお祭りに来るようになったのはツッキーと初めて来た五年前からのことで、それまで俺はこの神社に来たことさえなかった。ツッキーは打ち上げ花火を好きではないみたいだった。音がうるさいし、人混みは息苦しいし、始まったかと思うとあっという間に終わるのに首が疲れる。そんなことをツッキーは理由に挙げた。実際そうなのか、俺は今も知らないけれど、そんなツッキーでも花火自体が嫌いなわけではないみたいだった。初めは明光君が言いだしっぺだったけど、ツッキーはささやかに弾ける線香花火が中でも気に入っているみたいだった。俺とツッキーが二人だけでお祭りに来るようになった年から、“おもちゃ屋の安い線香花火を一束やる”それがいつしか、俺たちの約束になった。
 じりじり、とくすぶる音がして、俺の三本目の線香花火は火玉を膨らませて焦れた。電気の玉のようにびりびり音を立てた火の塊は、醜く足掻きはじめたと思いきや、すぐに音を上げて、ぽたりとあっけなく石段の上へ落下した。
 見ればツッキーの三本目はまだパチパチと大きく爆ぜて、綺麗な形を保っている。ツッキーはすごいなぁ、と独り言をこぼすと、たまたまでしょ、と呆れたように返された。
「きっと日向と影山が一緒だったら、どっちが長く続くかって、またつまらない競争するんだろうな」
 ふと思いついた俺に、ツッキーは「くだらない」と言葉をもらした。
「こんなの、運でしょ。自分が作ったわけでもないし」
 はぁ、とため息をついた拍子に、ツッキーの三本目の花火も、ふっと光を失った。
 大きくはじける音が頭の上に響き渡る。今までとは比べようのない大玉が打ちあがる。あと数発で打ち上げ花火は終わるだろう。俺は半分しか見えない大きな花火から目をそらして四本目に火をつけた。
 あと二本。これが散ったら、俺のツッキーへの恋は終わる。
 パチッと目の覚めるような高い破裂音を皮切りに、四方に火花が広がる。ツッキーはきっと俺への返事を忘れてはいないだろう。いつだって忘れっぽいのは俺の方で、ツッキーはいつだって俺のうっかりをフォローしてくれてばかりいた。パチパチッと爆ぜる光はこれまでの中でも大きく花開く。一か月。その期限を作ったのは俺だ。ツッキーの言葉も待たず、勝手に作ったタイムリミット。それまでは何度でも諦めずにいられるよう、自分に与えた執行猶予の時間。ただの俺の悪あがきの時間。その一か月の間にツッキーが一度でも多く、一分でも一秒でも長く俺のことを考えてもらえるんじゃないかと願った時間。そう、それは単なる俺のわがまま。
 視線をツッキーに向ける。ツッキーは四本目の花火を手にして火をつけるところだった。パチリ、と音を立て、小さな光の花がその手元で咲きひらく。
 ツッキーにそのつもりがないのなら、俺がこうして一秒でも長く待とうとしているのは、ただひたすら迷惑なことなんじゃないだろうか。男に想われていると知ったツッキーは、この一か月気持ちが悪かったに違いない。それなのにツッキーは“いつも通り”を俺にくれた。そしてそれはきっと、これからも。だったら、その“いつも通り”だけで充分なんじゃないのか。欲張ってまでツッキーを苦しめる必要なんてどこにあるんだろう。
 俺は唇をきゅっと結んだ。ふるり、と震えた指の先で、灯っていた細やかな光が、すぅっと消えた。俺は迷わず、最後の一本に手を伸ばした。最初に比べて半分以下になってしまったろうそくの火に先を垂らし、息を吸い込む。ジッと鈍い音がして、最後の花火に火がともる。じりじりと少しずつ赤い和紙を燃やしていく熱が、その中に包まれた火薬を燃やす。パチッとひときわ大きくはじけた花がツッキーの方へと広がった。
 右へ左へ、方向を変え、いびつに広がる花の光に、俺は熱い視線を注いだ。あと何秒、あとどれくらいを俺はこうしてツッキーの隣でいられるだろう。手元の光は細やかな花びらの形になって音を立てて弾けていく。あと少し、もう少しだけ、そう願いそうになる自分の心なんてどこかに捨ててしまいたいのに。
 まだ、もう少し。
 弱まりそうになってはパチリと爆ぜる光の形に、俺の胸もじりじりと焦げていってしまいそうだった。































 ひときわ高らかに響く音を最後に、南の空は静けさを取り戻した。それから間もなくして、俺の最後の花火は光を失った。きしきしする自分の胸を見て見ぬふりしてツッキーの方を見る。するとツッキーは四本目の燃えカスを持ったまま、ぼんやり夜空を見上げていた。
 ツッキーの分の最後の一本は、ただ静かに石段の上段に横たえられていた。俺は様子をうかがいながらツッキーに最後の一本をすすめた。
「あぁ、うん」
 ツッキーはひどく、ぼぅっとした顔つきで曖昧な返事をした。最後の一本を一瞥するなり、そっと手に取って、
「ん」
 何故か俺の目の前に差し出した。
「別にいいよ、やれば」
 え?と俺は思わず聞き返していた。ツッキーは浅い息を長く吐いて、静かになった空を見上げた。
「向こうの花火も終わったみたいだし」
 だから、ほら。
 そう言って差し出された最後の一本を、俺は何となく受け取った。まさか最後の一本をツッキーがくれるとは全く考えていなかった俺は、どうしていいのか戸惑ってしまった。さっきの一本で最後だと、そう心に決めたはずなのに、今さらもう一本をやるのはどこか気まずく思えて仕方がない。
「やっぱりツッキーがやった方が……俺、先にもう五本やったし……」
 言葉を濁す俺に、ツッキーはあきれたようにため息をひとつ。
「別に、また来年一緒に来た時にやればいいでしょ」
 ぷい、とそっぽを向いたツッキーはその場に立ち上がった。浴衣のすその土ぼこりを払うツッキーの耳元がほんのり赤く染まっているように見えて、俺は初めてツッキーの言葉の意味を察した。さっきまで締めつけられていた心臓が、とつぜん大きく震えたのが分かった。
 ツッキーは俺の足先から肩までを見つめながら、こうも言った。
「来年は、そっちも浴衣で来ないと許さないから」
 俺は騒がしい心臓をなだめるように、手の中にある最後の線香花火をぎゅっと握りしめた。じゃあ、と小さく口にすれば、頭の奥が、じんと熱を持つのがわかった。
「じゃあ、この最後の一本は、来年までとっておいても良いかな」
 ツッキーは俺の顔を見るなり呆れたように笑うと、「なにそれ、湿気るに決まってるでしょ」と、そっけなく告げた。
 短くなったろうそくの火を吹き消し、俺は無言でツッキーの隣に立った。暗くなった神社の石段の上で、線香花火を握りしめた俺の手の上にツッキーの右手が重ねられて、そっと強く握りしめられたのだった。