ある昼下がりのこと。カナブンのこどもである山口忠は、雨上がりで濡れた草の合間をかき分けながら、えさばの木にむかって歩いていました。
 雨粒にしめった葉っぱからは濃いみどりのにおいがします。そのにおいを胸いっぱいに吸いこみながら大きな葉を手でおしやったとき、大きな木のかげにふんわりと灯る光りがあることに気がつきました。
 その光はとても優しく、ずっとむかし、もっともっと忠が幼かったときに目にした、あのいちばん星のようでした。
 なんだろう。
 首をかしげて、いっぽ近づいてみます。見れば、大きな木の太い根っこに出来たほら穴のなかに、知らない虫のこどもが、いっぴき座っているのが見えました。
「きみは誰?」
 たずねた忠を見て、そのこどもの虫は言いました。
「そっちこそ。まずは自分から名乗ったら?」
 それもそうかもしれない。そんな風に思った忠は、はじめましての時に決まってするその笑顔をうかべて言いました。
「俺の名前は山口忠、君の名前は?」
 ほら穴の中のこどもの虫は、ぷいとそっぽを向きました。
「月島」
「したの名前は?」
「言わない。好きじゃないから」
 つんとすまし顔の月島に、忠はなんて言ったらいいのか分からずに、困ってしまいました。しかたがないので、だまったままあたりを見回します。けれどさっきまで見えていたはずのあの光は、もうどこにも見あたりません。ふしぎに思った忠は、月島に聞いてみることにしました。
「今ここで光っていたものは何だったか、分かる?」
 知らない、とそっけなく口にした月島が、忠のいる方向に背中を向けました。あっ、と忠は短く叫びました。
「もしかして君ってホタルなの?」
 月島のおしりには、消えかけた光がありました。
「ホタルじゃない。正しくは "蛍 "だよ」
 光の正体を見つけたことがあまりにもうれしくて、忠は月島の言葉をあまり聞いていません。不機嫌そうな月島の目の前まで走ってちかづくと、さっきの笑顔よりもっと何倍もまぶしい笑顔を浮かべて言いました。
「すごいね、自分で光れるなんて、ほんとうにすごい。ねぇ光ってみせてよ」
「嫌だね」
「どうして?」
「もう光らないって決めたから」
 どうして、と忠はもういちど聞いてみましたが、月島はもう何も答えてはくれませんでした。
「きれいだったのになぁ」
 ざんねんそうにぼやいた忠を見て、月島は少しだけ心が揺らぎました。でもそれはもう月島にとっては決定事項で、変えるわけにはいかないと思っていたことでした。
「俺も、ホタルに生まれたかったなぁ」
 ぽつっとこぼした忠の声を、月島は聞き逃しませんでした。
「何それ、本気で言ってんの?」
「もちろん、だってホタルって、すっごくきれいに光るから。俺もあんな風に光れたら、どんなに良いんだろうって、ずっとそう思ってた」
「みんながみんな、きれいに光れるわけじゃない」
 目をそらすように伏せた月島の声は、とても弱々しいものでした。忠はその声色に首をかしげながら、すこし何かを考えこんで、こう提案しました。
「ねぇ何て呼んだら良いかなぁ、下の名前は嫌いなんだよね?」
 べつに何でもいいよ、と曖昧に月島は答えました。
「じゃあ、ツッキーって呼ぶね。ツッキー、」
「何」
「さっきの光り、すっごくきれいだったよ」
 飾り気のない忠のことばに、月島はすこし驚きながらも、なんだか悪い気持ちはしないのでした。





 こうして、この日をきっかけにして、山口と月島は友達どうしになりました。といっても、他の虫たちから見れば、月島の後ろをいつも山口がくっついて歩いているので、友だちというよりも親分とその子分にしか見えません。
 山口は月島の背中を追いかけながら、いつでも注意深く目をこらして待っていました。いつ月島が光ってもいいように、絶対に見のがすことがないようにと。そう気をつけているうちに、いつしか月島の半歩後ろをあるくことが当たり前のことのようになっていました。
 けれど、一年が経ち、二年が経ち、五年が経っても、月島が、もう一度光ってみせることはありませんでした。
 それが忠はひどく残念に思えて、でも月島のとなりにいるうちに友だちとして、それ以外の楽しみや目的を持つようになりましたので、ツッキーが望まないなら仕方ないのかなぁ、なんて考えるようになりました。
 そんな春の日のこと。あたたかさに誘われて冬眠から目ざめた月島と山口は、テントウムシの日向とカミキリムシの影山に出会いました。つやつやとした背中に鮮やかな模様をもつ日向と、漆黒の体に強力なあごをもつ影山は、山口の目には、なぜかキラキラ光って見えました。
 自分はなんてつまらないやつなんだろう。
 自分のまわりにいる月島、日向、影山を見ながら、山口はなんだかさみしい気持ちになりました。
 俺だけ、ちがうんだ。俺も、みんなみたいになりたいな。
 くちびるをぎゅっと噛みしめて、山口はある決意をむねに秘めました。
 次の日から、山口はひとりで森の中をあるくようになりました。もちろん月島との関係は友だちのままです。それでも月島に断りをつげて、ひとつの目的のために森の中をしらみつぶしに歩きはじめました。
 まず山口がひろったのは小さなキノコでした。白いキノコを指でつつくと、真っ白な粉があたりに舞いました。山口はそれを見て、じぶんのお尻にその粉をつけてみました。なかなか良いんじゃないかと、葉っぱに垂れ下がった夜つゆのしずくに自分のすがたを映してみました。
 まあるい水面に、汚れた自分のからだが映っただけでした。
 ぜんぜんダメだ。
 せっかくつけた白い粉を手ではたき落とし、山口は再び森の中を歩きはじめました。
 二番目に目をつけたのは、硝子のかけらでした。木の葉のすきまから差しこむ太陽のひかりを反射して、キラキラと輝いて見えます。ためしに背中にのせて少し歩いてみましたが、小さなからだに対して、かなり大きなその板の重さに、すぐに下ろしてしまいました。
 つぎに山口が見つけたのは小さな木の実でした。つやつやとした真っ赤な実は、鮮やかにかがやいてきれいです。つるの部分をわっかにして首にかけてみました。ちょっとうれしくなってスキップしてみると、まるで蝶ネクタイのようで気分がよくなりました。
 鼻歌まじりにそのまま進んでいると、ふいに足先を草の根っこに引っかけてしまい、気づけばその場に転んでいました。じめんに手をついて起き上がれば、首にかけていた木の実はぺっちゃんこに潰れて、かがやきを失っていました。
 山口はため息をひとつついて、それでもあきらめずに森の中を進みました。表面がつるつるしたきれいな小石や、ちょっとかためのツヤのある葉っぱ、どこからか飛んできた黒い真珠のような花のたね、きらきら光る小川のせせらぎなんかも見つけはしましたが、どれもこれも、上手くいくことはありませんでした。
 そんなことを毎日、くる日もくる日も続けているうちに、山口のその様子は森のみんなの知るところになりました。誰にも言わずに始めたことでしたが、山口のその行為の目的をみんな誰しも分かっていました。そして、それを馬鹿だなぁと心の片すみで思っていて、誰も手伝おうとはしませんでした。
 山口本人はさいしょから、ずぅっと大真面目で、真剣そのものでした。みんなに馬鹿にされていることも、その行動がむくわれないことも気づかないまま、ただ毎日決まった時間森の中を歩きまわっては、何か良いものがないか見逃さないよう、ひっしに目をこらしていました。
 月島は、というと、そんな山口の様子を知りながら、特別なにかを口にすることはありませんでした。





 三か月が経ち、季節は夏の盛りを迎えました。暑い日差しの下でも、山口は変わらず森の中を歩きつづけていました。
 ひたいから落ちた汗をぬぐうこともなく、ただひたすら足元を見ながら、なにかを探しつづけています。
 森の仲間たちは、もうすっかり忠のことを相手にすることもなく、馬鹿にすることもなくなって、それぞれ自分の好きなことに夢中になっていました。たった、ひとりをのぞいて。
「ねぇ、いつまで続けるつもり?」
 涼しげな草のかげから、山口に話しかけたのは、月島でした。月島を見つけた山口は、笑って言いました。
「ツッキーも一緒にやる?」
「は?何で?」
 月島のつめたい言い方に、山口の心がちょっとだけピリッとしました。
「あ、そうだよね、ツッキーいそがしいよね……ごめん」
 触角をさげた山口のすがたに、月島は小さな舌打ちをひとつ。
「別にお前が何をしようと自由だけど、それが無意味だって誰もが馬鹿にしてるのに、お前自身は気づかないわけ?何のために毎日毎日、疲れ果てるまでやってんの?」
 といつめられた山口は、もごもご口の中でなにかを言いました。その様子にいらだちをつのらせ、月島はとうとう、ずっと我慢していたことばを口にしました。
「いくら頑張ったって、お前はもともと光る虫じゃないだろ、いい加減、気づけよ」
 ぎゅっと歯を食いしばった山口は、涙をこらえる顔でこう返しました。
「だったら、俺の代わりにツッキーが光ってみせてよ」
 今度は月島がことばを見失う番でした。強い山口の眼差しに折れた月島は、苦々しく、こう告げました。
「もう、光るのは止めたんだよ」
「どうして?あんなにきれいに光ってたのに、何で諦めちゃったの?」
 山口の質問に、月島は答えるそぶりを見せません。自分から距離をとろうとする月島のようすに、山口はひっしになって、こう投げかけました。
「ツッキーはずるいよ、もともと光ることが出来るはずなのに、勝手に自分で諦めて、」
「お前は何も知らないからそう言えるんだろ」
 山口の言葉をさえぎってみましたが、いきおいは止まりません。
「それともツッキーは光れなくなっちゃったっていうの?」
 ぐっとことばをつまらせた月島に、山口は、しぶい顔で言いました。
「もしそうだとしても、俺が何かいい方法を見つけたら、少なくともツッキーだけは、また光ってくれるようにならないかなって、そう思って、俺は……」
「なにそれ」
 意外なひと言に、月島の中でなにかがはじける音がしました。
「そんな同情とかいらないし、第一、誰がそんなことして欲しいって言った?全部お前が勝手に考えて決めつけたことでしょ、そもそも、お前はそれがすごく良いものだって思い込んでるみたいだけど、きれいに光るには体力も気力も削られるし、時には痛みもある。きれいに光ろうとすればするほど、長くは生きられなくなるし、それに、頑張ったところで自分の力なんて、たかがしれてる、結局誰かに比べられて優劣がつく……そういう悪いところ、お前は一個も知らないで言ってるだろ?」
「それでも」
 ひるむこともなく、山口はこう言い切りました。
「あんな風に光りたいって思っちゃったんだ、一度そう思ったら、今そうやって悪いことを知ったとしても、全然諦めてくれないんだよ……自分の、心が!」
 声を荒らげた山口はしばらく肩で息をしていました。月島は長いこと山口のひっしな顔を見つめていたかと思えば、ほんの少し、わずかに唇のはしを緩めました。
「よっぽど、お前の方がまぶしいよ」
 山口は目をまんまるにして、「え?」と聞き返しました。間の抜けた山口のその顔を鼻先で笑いながら、月島は悔しそうに言いました。
「お前の背中、誰よりも深く光ってることに、気づいてないでしょ」
 そう、本人は気づいてはいなかったのですが、カナブンのこどもである山口の背中は、いつだって誰にも負けないくらい鮮やかな緑色に光っていたのでした。森を歩き回っているうちに泥だらけになっていたそのはねを月島が雨水で拭ってやれば、今も深く濃いみどり色が、夏の太陽のひかりを反射してキラキラ光り輝いていました。
 ほら、とうながされて、水たまりに映った自分のすがたを見た山口は目を丸くしました。自分の背中がこんなにツヤツヤとしてきれいなことに、今の今まで気づくことは、なかったのです。
「それでもまだ光りたいって思うわけ?」
 月島のなげかけに、山口はすこし迷って考えこんでいるようでした。すると月島は、何も言わず小石のうえに座りこんで、山口の腕をひっぱりました。とまどう山口を、むりやりとなりに座らせ、ぴたりとおしりをくっつけました。
「だったら、頭の中で自分が光るところを想像してみてよ」
 いわれるままに山口は、目をとじて、頭の中で自分のおしりが光るところを描いてみました。すると、ぽう、と自分のイメージに合わせて、月島とくっつけたおしりが温かくなったような気がしました。
 おどろいて目を開けると、ふわっとした優しい光が自分の体をつつんでいました。山口は、またまたびっくりして、おもわず月島の方を見ました。月島は、照れくさそうにそっぽを向いて、目をそらしていました。
 もしかして、と言いかけた口を閉じます。言ってしまったら、きっと月島のことですから、おこって帰ってしまうでしょう。
 だまって、その光のまたたきを見つめていると、ぽつりとつぶやく月島のこえがしました。
「お前が光ってるせいで、こっちも光ってるように見えるだけだから」
 山口は月島の言葉のうらがわを感じとって、うん、とうなづきました。まぶしそうに目を細めると、まるで自分と月島が一緒に光っているように見えて、あまりの嬉しさになみだが滲んできました。
「ツッキーは優しいね」
 ふわりと溶けそうな黄色の光を受けて、みどり色の光がキラリと深くかがやきました。
 かわりばんこに灯るふたつの光は、まるで二つの変光星のように、キラキラとかがやき続けました。