待ち合わせの時間5分前に駅のホームに着くと、終電の開いた扉の前で寒そうなツッキーが立っていた。耳元まで隠れるようにぐるぐるに巻いたマフラーは一週間前、クリスマスに俺がプレゼントしたもので、その手触りの良さに迷わず決めたものだった。白と黒のストライプで編まれた厚手のマフラーの裾は、ずいぶん着込んでいるだろうツッキーの体を覆っている薄茶のダッフルコートの肩から背中に垂れ下がり、ツッキーがこちらに振り向くと同時に、端に並んだ飾りの毛先が軽やかに揺れた。
「待った?」
「別に」
 ほぅ、とツッキーが吐き出した息は一瞬で白く染まり、夜の冷たい空気に溶けて消えた。普段通りに耳に当てているヘッドホンからは音の気配はなく、ただ耳当て代わりに当てているみたいだ。色素の薄いツッキーの肌は素直で、その鼻先は少し赤くなっていた。
 俺はツッキーの手を引く代わりにコートの裾を引いて電車の中に乗り込んだ。ツッキーの両手はコートのポケットの中にそれぞれ押し込まれていて、出てくる様子は全くなかった。
 最終電車の中は暖房が効いて温かく、車両内に人は数えるほどしかいなかった。扉から離れた、車両中央のボックスタイプの座席に腰掛けると、何も言わず右隣にツッキーが並んで座った。肩から顔に面している車窓のガラスは外の冷たい空気に冷やされて、触れてもいないのにヒンヤリした空気が伝わってくる。
 急いで家を出てきたせいで手袋を忘れた指先をこすり合わせ、息を吐きかける。横目に隣のツッキーを見るとコートのポケットからのぞく手首に、見慣れた手袋の色があってホッとした。
 発車2分前のアナウンスが流れ、いくつか閉められていた車両のドアがすべて開かれる。外の冷たい空気が流れ込むにつれて、車内の空気が冷たくなりはじめる。
 ん、とかすかな声をかけられ、隣りから何かを差し出された。見ればオレンジのキャップのミルクティーで、手袋をしたツッキーの手から受け取ると、
「ぬるくなったからもういらない」
 そんな風にツッキーは言ったけれど、手渡されたボトルはまだ充分温かくて、冷えた指先にじんわりと熱が伝わってきた。きっと俺を待っている間、カイロ代わりに買ってポケットの中に入れていたんだろう。ありがとう、とお礼を言うと、ツッキーはチラッと俺を見ただけで何も言おうとしなかった。キャップを捻ると、未開封だったらしくプラスチックのペキペキっというあの独特な音がした。
 開けたボトルの口をツッキーの方に軽く向ける。寒そうに肩をすくめていたツッキーの首が伸びて、少し迷った様子で考えてから、渋々出した右手で受け取り、一度だけ口をつけると、黙って俺にボトルを差し戻した。俺も一口ミルクティーを飲んでから、ふたをしたボトルを両手で包むようにして持った。じわりと伝わる熱で、体の緊張が和らぐのが分かる。ほっと一息ついた時、アナウンスが流れてようやく電車が発車した。滑るように走り出した車内は再び暖房によって少しずつ温かくなりはじめる。
 指先を温めながら、合間合間に喉を潤していたら温まりきる前に少なくなった中身が冷え切ってしまった。仕方がないからボトルの残りを飲みほして鞄の中に押し込める。さっきより何倍も良くはなっているけれど、まだ少しかじかんでいる指先を強く握る。握っては広げて、を繰り返しているうちに限界を感じて仕方なく諦めて膝の上に手を下した。窓の外に目を向けると、真っ暗な闇の中にポツポツと電灯の明かりが浮かんでいて、あまりにも殺風景なその風景に寒さが際立つようだった。あまりの夜の深さに、景色が流れているのかさえ分からない。それだけじゃなく、時間が経つにつれて窓ガラスは結露によって外の闇すら隠し始めている。
 黙ったままのツッキーに、そっと「寒いね」とつぶやく。ツッキーは何か言葉を返すでもなく、俺の方をチラッと見ると、目をそらしてからポケットに入っていた左手を出して、手袋を外した。何をしているんだろうと思ったら、外した手袋をそのまま俺のひざの上に置いた。
 使えば。ツッキーの唇が動いて、小さな独り言が聞こえてきた。俺は戸惑いながらも、さんざん迷った挙句ツッキーの片方の手袋を左手にはめた。するとツッキーのむき出しの指先が俺の右手に触れ、そっと重ねられた。ツッキーの手は熱いくらい温かく、俺の指先がいろんな意味で火傷してしまいそうだと思った。
 冷た、と小さくツッキーがこぼした。
 ごめん、と返すと、黙ってツッキーの指先が俺の手を強く握った。
 ドキドキする心臓が騒がしくなって、少しずつ体が温かくなりはじめるのが分かった。きっとすぐに指先までこの温度が広がるんだろうな、と思うと、握っているツッキーの手もさっきより温まりはじめているような気がした。
「寒いね」
 へへ、と笑うと胸の奥と、つないだ手にじんわり熱が広がったような気がした。





 目的の駅で電車を降りると、冷たい夜の空気に迎えられた。あと三十分で年明けの時間帯にバスがあるわけもなくて、俺とツッキーはゆっくりと目的の方向へ歩き始めた。つないだ手はポカポカとして、なんだか胸のあたりがくすぐったかった。幸い、駅は無人駅だったし道を歩く人はまばらで、その人たちも俺たちと同じ目的なのか、寒そうに首をすくめて同じ方向に向かって歩いているばかりで俺たちを気にもとめようとしていない。
 街灯と民家が続くだけの道は坂道につづいて、小さな山に向かっている。その先の山の中腹に目的の神社があるのだけれど、予想通りその小さな神社に向かう人は多くはないらしく、あたりはとても静かだった。
 二十分か三十分くらい黙ってツッキーとゆっくり歩いていると、小さく前方に神社の鳥居が見えた。少しずつ辺りが賑やかになりはじめたのを感じて、俺とツッキーは何も言わず、どっちからというわけでもなくそっと手を離して、そのまま歩き続けた。
 神社の鳥居についたところで中をのぞくと、境内に行列ができているのが見えた。こんなに小さな神社でも大晦日だけはさすがに人が集まるらしい。予想外の光景に少し驚きながらも、俺とツッキーはその列の後ろに並ぶことにした。並んでいる人たちは近所の人がほとんどなのか、他愛もない話をしながらその時を待っているようだった。
 神社の境内にちらほら屋台の骨組みが並べられてはいるけれど、未だ青いビニルシートに覆われて開く気配はない。明日の昼あたりには店を開けるのかもしれない。  あくびをしたツッキーを見て、俺はちょっと計画が甘かったかな、と後悔をした。この後どうやって時間をつぶそうか全く考えてなかったと告げたら、ツッキーは怒るかもしれない。今回ここに誘ったのは紛れもない俺だから、責任は全部俺にある。
「ツッキー、ごめん」
「何が」
「誘って」
 ごめん、と言いかけた俺に、ツッキーは伏し目がちに「今さら」と言って軽く鼻で笑った。
「何とかなるでしょ、無人島じゃないんだから。いいよって言ったこっちも責任あるし」
 そう言ったツッキーは、これ以上俺の言葉を聞きたくない、という目で俺を見た。俺は仕方なく一度口を閉ざして、代わりの言葉を探していると、後ろに並んでいた女の子が持っていたスマホから『今年もあと30秒になりました』というアナウンサーの声が聞こえてきた。ワンセグのTV番組に合わせて一緒にカウントダウンする女の子たちの声に、ツッキーも気づいたらしく、ポケットから自分のスマホを取り出して時計を見た。
「そんなこと言ってるうちに今年も終わるし」
 ツッキーが見せた待ち受けの時計の秒針が、今年が残り10秒だと示す。9、8、7……そう口にする女の子の声が聞こえる。俺は何か言葉を発しようと必死になるけど上手くできず、どうしようと思っているうちに、残り3秒になって、ツッキーと目が合った。すると空いていた右手がふいに温かくなって、ぎゅっと強く握られた。思わず握り返した瞬間、「ゼロ!」とつぶやく声が後ろからして、時計を気にしながら並んでいた人たちが口々に「明けましておめでとう」「ハッピーニューイヤー!」と交わす声があたりを飛び交った。
 俺はどきどきする心臓になぜかにやけながら、ツッキーに向かって「おめでとう」とつぶやいた。
 そっと手を離したツッキーが、チラッと俺に視線を向けてから、「おめでとう」と返し、「何その顔」と続けて言った。
 少しずつ列は動きはじめ、十分もかからずに賽銭箱にたどり着いた。俺とツッキーは並んで立ち、ツッキーが鈴を鳴らして賽銭を投げた。ツッキーが投げた五円玉は、俺が譲ったもので、たまたま財布に入っていた二枚目だった。
「どんなお願いした?」
 列から離れたところで聞くとツッキーはめんどくさそうに誤魔化して、結局教えてはくれなかった。それどころか、逆にツッキーに「なんてお願いしたのか」と聞き返されてドキリとした。俺は必至で笑って誤魔化したけれど、そんな俺を見るツッキーの目は俺の考えを見透かしているようで、妙に照れくさかった。
 その後二人でひいたおみくじはツッキーが吉で、俺が末吉だった。吉と末吉ってどっちが良いんだっけ、と思い出そうとしたけど、答えが出ないままツッキーにうながされてあわててロープに縛り付けた。内容は去年とあまり変わりがなくて、今年も無事にツッキーの隣りにいられるなら何でもいいや、と俺は心の中で完結させた。
 真夜中の帰り道、俺とツッキーは始発までの時間を線路をたどって歩きながらつぶすことにした。並んで歩く速度はいつもの帰り道とあまり変わらないものだったけれど、澄んだ冬の空気に触れた鼻先はツンと冷えて、非日常の風景に胸の中は熱くなった。
「去年はツッキーといられて俺、幸せだった」
 ぽつり、とこぼした俺の言葉に反応して横目にこちらを見たツッキーがあきれた調子で言った。
「何、改まって」
 照れくささで高まるほっぺの温度に、ついにやけてしまう。
「今年もよろしくね、ツッキー」
 ツッキーはちょっと困ったような、迷惑そうな顔を一瞬見せてから、何も言わずそっと左手をコートのポケットから出した。その意味を俺は聞かなくても分かっていたから、自分の右手をそっと重ねるだけにした。今度はツッキーの手の方が冷たくて、俺は包むように強く握った。きっと今すごくだらしない顔してるんだろうな、と鏡を見なくても自分のしてる表情が想像できた瞬間、
「にやけすぎ」
 そう小さくこぼしながら鼻で笑うツッキーの声がした。