真っ暗な砂浜でツッキーと並んで歩いていると、ビーチサンダルから出たつまさきに硬いものが当たった。拾い上げると掌くらいの貝殻で、俺はそっと右耳に当ててみた。波の音が聞こえないかと期待したけれど、すぐ近くの波の音と混じって中から聞こえているのか分からない。ツッキーは立ち止まった俺を置いて数歩進んだ後、だるそうに振り返って待ってくれていた。海に向かって貝殻を投げる。思ったよりも低い着水音がして、波の形を縁取るように青く光った。砂浜に向かって打ち寄せる波は大きくうねりながら同じく青い光を放っている。
 きれいだね、とツッキーに笑いかけると、隣に立つツッキーの周りの空気がやわらかく緩むのがわかった。
 この前ツッキーと二人でぼんやり見ていたTV番組で夜行虫のことを知った。行きたいね、と言った俺に、いつもだったら適当に聞き流して終わりにするツッキーが珍しく肯定の返事をした。週間天気で一番降水確率が低い日、という理由で今日を選んだのだけど、夜行虫が見られるかは運任せだった。でも、結果は「まる」だったみたいだ。
 波が打ち寄せるたびに青く輝いては消える淡い光に目を細める。初夏を迎えて暑かった日中とは違って、ぐっと風が冷たくなっている。波打ち際に足を入れると、俺の足の周りを覆うように青い光が広がった。指を伸ばして波につける。跳ねあがった海水の粒が光り、俺の肌に触れてじわりと光った。
「ツッキー、見て見て、俺青くなっちゃった」
 ばしゃばしゃと海面を叩きながら砂浜に立つツッキーに向けて手を広げる。ツッキーはあきれたように笑っているみたいだけど、真っ暗な砂浜では良く見えなかった。遠くの外灯が小さく灯っていても、じりじりとぶれて今にも消えてしまいそうなほど弱々しくて頼りない。
 山口、と俺を呼ぶツッキーの声がした。何かを俺に向かって言ってるようだったけれど、波の音に掻き消されて上手く聞こえない。ざぶざぶと波を掻き分けながら砂浜に戻れば、ツッキーが俺の足を見て笑っているのだと分かった。見れば俺のひざ丈のズボンの裾が青く光っていて、全体的に飛沫によってびしょ濡れになっていた。ひざ下までの波でもこんなに濡れるんだ、と少し後悔する。さっきツッキーはそのことを俺に伝えようとしていたのかも。なんて考えていたら、ツッキーも足首まで濡れる位置まで足を進めて波に手を触れた。じわっと広がりながら青く輝く水の形に、ツッキーの顔が浮かび上がる。光ってから消えるまで瞬間的な光に照らされるツッキーの顔は本当に綺麗で、一瞬時間が止まりそうだと思えた。
 ぼうっと見とれる俺の名前をもう一度呼んで、ツッキーはふり返った。ごめん、何?と聞き返して近づいた俺の腕がつかまれて引っ張られる。ぐるっと世界のバランスが崩れて、気付けば波の中に尻もちをついた。肩に当たる波の感触に動転する頭が冷やされて、ようやくツッキーのしわざだと気がついた。全身びしょぬれになった俺を笑うかと思ったら、申し訳なさそうにツッキーの手が俺に差し出される。
「悪い」
 きっとからかうだけのつもりだったのに、暗くて俺がうっかり倒れてしまって驚いたんだろう。罪悪感を示すツッキーの声色から、俺はそう読み取った。
「ごめん、俺ダサくて」
 大丈夫だよ、という代わりに笑って誤魔化すことにした。目の前にある濡れたツッキーの手に右手を重ね、ゆっくり立ち上がろうと足に力をこめた。けれど、タイミング悪く大きな波がきてもう一度バランスを崩した俺に引っ張られ、今度はツッキーも波の中に倒れ込んだ。真っ青になった視界で、驚くツッキーの顔がほんのわずかな間だけ浮かび上がって消えた。
 ありえない、と怒って言うツッキーの声。立ちあがったツッキーの体から落ちた海のしずくが海面にぶつかって、青い光の水玉模様を描いていく。その光に照らされたツッキーの横顔がぼんやりと目に映って、本当に綺麗だなぁと改めて思った。
 ようやく波から立ち上がった時には、すっかり体が冷えたのか大きなくしゃみが出た。隣にいたツッキーがもう一度手をのばして砂浜へ戻ろうとうながしてくる。俺はその手をそっと握ると、離れようとするツッキーを強くひきとどめた。
 風邪ひいても知らないけど。そう言ったツッキーの体が少しだけ俺に近づく。波に掻き消されないよう、近くで囁くツッキーの声に誘われるように俺は顔を近づけた。逃げるように体をよじったツッキーの足元から光が広がって、ツッキーの顔を照らす。青く浮かび上がったツッキーの顔は、どう見ても普段真っ赤になった時の表情と全く同じで、赤くなってるのに青いなんて不思議だなぁと俺はのんきに考えた。
 こんなとこで、と口ごもるツッキー。暗いから見えないよ、ととっさに返す俺。動いたら見えるよ、と続けた俺の言葉に、ツッキーの肩にぐっと力が入る。あんなにも光っていた海面が静かになり、真っ暗になる。背伸びをして少しずつ顔を近づける。波の音がちゃぷんとして小さな光が生まれて消えた時、俺の唇がようやくツッキーの頬に届いた。離れようとしたら、ツッキーの顔がこっちを向いて、今度はツッキーから近づいてキスをした。冷えたツッキーの唇は普段よりもしょっぱくて、海水のせいだと気付くまで時間がかかった。何だ、ツッキーもちゅーしたかったんだ、と思った俺はツッキーの体に腕を伸ばしてツッキーの舌に舌を絡めた。冷えた唇とは反対に、その舌は熱っぽかった。ぐっと腕に力をこめて体をくっつけていれば寒さなんて感じなかった。それどころか、どきどきする心臓から熱が広がっていくようで、俺は愛しむようにひとしきりその唇をついばんでいた。
 波間に淡い光が浮かび上がって、ツッキーの顔がほんのり見えた。今が一番綺麗だな、と思いながら、俺はそっと目を閉じた。
 しばらくして離れたツッキーが振り向くことなく砂浜へ向かって歩き出した。さっきから繋いでいる左手で俺の手を引っ張っていくので、俺はその決して離れようとしない手に何も言うことはなかった。