春の暖かな日差しに眠気を誘われうつらうつらしていた東峰の肩をたたいたのは西谷だった。放課後英語の課題を片付けようと図書室の大きな窓に最も近い席に座ったは良いものの、あまりの心地良さに船をこぎだすまで間もなくというところだった。机の上には英語のプリントが手つかずのまま広げられ、陽は少し傾いていた。
「旭さん珍しいですね」
 そう彼に声をかけるなり、西谷は隣の席の椅子を引き出した。どさりと置いたのは分厚い広辞苑で、西谷こそ図書室という場所に珍しい存在だと東峰は思った。欠伸をひとつして腫れぼったい眼をこする。
 図書室の中は試験期間から外れた時期のせいか、人がまばらでとても静かだった。その中でも隣でばさり、ばさりとページをめくる西谷はあまりにもダイナミックで騒々しく、図書室と言う空間には似つかわしくない。
「あの……西谷?静かに……」
 困り顔で忠告しようとする東峰の声など、彼の耳には届かない様子だった。ただひたすらページをめくっては目で追い、まためくっては顔をしかめている。その横顔はまさに真剣そのもので、東峰は口を閉ざすしかなかった。
 そうしているうち、ばたん、と突然西谷は広辞苑を豪快に閉じた。
「旭さん」
 くるりと向けられた顔はきりりと緊張したもので、何を言い出すかと思っていると
「好きです」
 突然、それだけを言った。しかし彼が東峰に向けてこの言葉を告げるのは初めてのことではなく、もう数えきれないほどくり返されたものだった。
 頬を赤くしながらも眉尻を下げた東峰は口元に人差し指を立てて添えた。しーっ、と息を吐く。
「西谷、ありがとう、でも何で今ここで」
「俺、本当に旭さんのこと好きです」
 小声で囁きつつも同じ言葉をくり返し、西谷は閉じた広辞苑の上に右手を置いた。黒い表紙を見つめながら、でも、と唇を噛んでぼやくように口にした。
「何で”好き”って言葉は”好き”って単語いっこしかないんですかね?”好き”なんて言葉じゃ全然足りないのに」
 西谷の言わんとしていることに、ようやく彼が何故図書室を訪れたのか察することができた。彼は探しに来たのだ、自分の気持ちを表す言葉を。東峰は、そうかと納得し目を細めて微笑んだ。
「いっこしかないからこそ、皆その一言に想いをこめるんだと思うな。それに、俺は西谷の気持ちは充分知ってるから、その……」
 安心していい、か、俺も好きだから、か。どっちを口にするべきか迷っている間に、
「そうっすね」
と西谷の満面の笑顔が輝いた。その満足そうな表情に、つられて東峰も破顔した。そして心の中でそっと、それだけで充分だよ、と告げていた。