左手の薬指に通した金属の感触に目を細めていたら、ツッキーが呆れた顔でため息をついた。
「さっきからニヤニヤしすぎ」
そう口にして前髪をかき上げるツッキーの左手にも同じ色の同じ形の銀色のものが薬指にあるのを見て、俺は自分でも分かるくらいに頬を緩めた。
「だって、薬指の指輪なんて生まれて初めてだから。ほら、」
ツッキーの左手をとり、自分の左手に並べてみれば、お互いの薬指の根元にある金属の表面が、同じ部屋の同じ照明の光を、全く同じ角度で反射しているのが分かった。
「こうやって眺めてたら、頑張って買って来た甲斐があったなぁ、って」
指輪を買おうと提案したのは俺の方だった。付き合って5年、同棲して3年を迎えた日に、俺はツッキーに、いわゆるカップルにおけるプロポーズにあたる言葉を伝えた。
「これからも、ずっと俺と一緒にいてください」
ツッキーはいつも以上に赤い顔で、でも怒っている調子では決してない甘い響きで、こう言ってくれた。
「後悔しても、知らないから」
「後悔なんてしないよ、ツッキーと一緒にいられなくなることの方が、俺はもっと、ずっと、はるかに、後悔するに決まってるんだから」
そのままツッキーの身体をぎゅうっと抱きしめ、俺はその耳元で、さらにこう告げた。
「もしツッキーさえ嫌じゃなければ、おそろいの指輪をつけさせてほしいんだ」
ツッキーは珍しく、すぐに、いいよ、と答えてくれた。けれど、その指輪を一緒に買いに行きたいという願いには、零コンマ一秒もかからずに即答された。
「嫌だ、自分ひとりで買ってくれば」
さすがにそこまではツッキーも甘くはなってくれないか、と半分予想していたとはいえ、正直いざ店の前に立った瞬間、心が折れそうになった。身を決して店の中に入ってショーケースを眺め、前日ツッキーに手伝ってもらって自力で計ってみた指輪のサイズのメモを睨みつけた。右から左まで、ショーケースいっぱいに並べられた値段の桁の多さに、一瞬で頭がクラクラした。
前もって用意していた台詞を元に、結婚式を間近に控えている新郎を装って、販売員の女性に声をかけた。女性は慣れた様子で案内してくれたが、いくらその説明を耳にしても、目の前にある指輪はどれもシンプルで、その違いが俺にはあまりよく分からなかった。顔をしかめてしまう俺を前に、店員の女性は柔らかい調子で諭すように、こう言った。
「俗っぽい言い方ですけど、一生、ずっと身に着けていくものですから。シンプルで、飽きの来ない、年齢も時代も見据えたものをお選びになると良いですよ」
その一言を支えに、なんとか見繕ってもらった指輪を手に家に帰った。事前に計ってから行ったとはいえ、実際にツッキーの薬指に指輪をはめる瞬間は、心臓が飛び出そうなくらいドキドキした。
「少し緩いけど、こんなもの?」
はめた指輪を右手で回しながら、ツッキーが首を傾げた。実際に店で試した俺の指輪も、ツッキーと同じくらい、指で触れば回るくらいの大きさをしていた。
「うん、頻繁につけたり外したりするのなら、緩めの方が良いんじゃないか、って。試合とか練習ではさすがにつけられないだろうし」
まぁね、と言いながら、慣れない感触が気になるのか、指先でいじっていたかと思うと、ぽつりとつぶやいた。
「オフの時意外は、首から下げるつもりだし」
「えっ、本当!?」
思わず大きな声で叫んでいた。それってつまり、二十四時間ずっと肌身離さず持ち歩いてくれる、ってことなんじゃないのか。
「悪い?」
「そんなことない、そんなことないよ」
ぶんぶんと首を振り、嬉しさのあまりツッキーの左手を引き寄せる。二つ並べた左手に揃いの指輪が光っているのを改めて見つめては、胸の奥から湧き起こる感情に目を細めた。
「あのさ、本当にお前は後悔とか、してないわけ……その、実際、花占いなんかで始めて……」
俺の顔をじっと見つめ、不安そうにたずねたツッキーの目を見る。視線がぶつかったことで、ツッキーの両目が伏せられる。
「だいたい、もしもあの時、『付き合わない』になってたら、もうあの瞬間を境に、お前とは二度と会わないはずだったのに」
「え? そんなの、ならないよ。結果は『付き合う』に絶対なってたから」
「は? ……もしかして、最初から花びらが何枚あるか知ってた、とか言わないでよ」
「違うよ。もしも、あの時、花びらの最後の一枚が、『付き合わない』で終わってたら、俺、残った茎のところをツッキーに渡して『付き合う』って口にするつもりだったんだ」
何それ、と目を丸くしたツッキーに、俺は分からないように唇の端を緩めていた。
そもそもあの時、俺はツッキーと離れ離れになるつもりなんて、これっぽっちも考えてなかった。花占いは、最後どんな方法を使っても『付き合う』という結果にするつもりだったし、何より、あの時の俺は、ツッキーのことを諦めるわけにはいかなかった。
もっとずっと昔のことを蒸し返して思い返してみれば、俺はずっとツッキーの気持ちが知りたくて仕方がなかった。ずっと側で、ずっと隣で見てきたツッキーが、俺のことを好きなんじゃないかって、自分でも覚えていないくらい昔に、ぼんやりと思うようになっていた。でも、もしもそれが俺の気のせいだったらとんでもない勘違いになってしまうし、もしそれをツッキーに確認しようとして、結果、ツッキーと友達ではいられなくなったとしたら、俺はきっと死んでも死にきれないくらい絶対に後悔するだろう、と思っていた。それに、万が一、本当にツッキーが俺のことを好きだったとして、もしツッキー本人がそれを知られたくないと思っていたとしたら、俺は気づかないふりをする方が良いんじゃないかと思うこともあった。だから、結局、俺が出した答えというのは、ツッキーから明らかな言葉がない限り、俺はずっと触れずにいる、というものだった。
ただ、ずっと隣で過ごしていく中で、俺の抱く好奇心が抑えきれなくなる場面も何度かあった。もしかしたらきっかけがないとツッキーは伝えたくても伝えられないんじゃないか。そんな考えを元に、カマをかけてみたことも一度や二度ではなかったように思う。でもツッキーは一度も俺に明確な答えを示してはくれなかった。ツッキーの反応は、肯定とも否定ともとれ、俺の目にはいつでも、どちらの答えとしても捉えられるものばかりだった。
あまりにも難解でパズルみたいなこの問題を解き明かそうとして、俺は今まで何人かの女の子と付き合ってみたりもした。俺のことを好きだとハッキリ伝えてくれる女の子と一緒に過ごしてみれば、その子たちの言葉や仕草や行動から、ツッキーの普段の行動を比較して判断することも出来るんじゃないかと、そう考えたからだった。でも、結果は変わらず、俺は次第に『好き』という気持ちが何なのか、よく分からなくなっていった。
だから、あの日、ツッキーから好きだと言われた時、俺は待ちに待った瞬間に心が震えたのがわかった。生まれて初めてと言っていいほどの、あの興奮と感動は、きっと一生忘れられないと思う。それだけじゃなく、ツッキーの話を聞きながら、その瞬間まで俺に対して必死に気持ちを隠していたツッキーの長い年月を想像したことで、俺の胸の奥は痛いくらいに締めつけられた。そして、その感覚と同時に、こんなことを思った、いままで自分が付き合ってきた、どの女の子よりも、こんなにも俺のことを本当に心から大切に想ってくれている人は、ツッキー意外の誰でもないんだ、と。
「でもあの時、ツッキーがうなづいてくれて、本当に良かったなぁ、って思ってるよ」
頭に浮かんだ言葉たちをいくつも飲み込んで、俺はそうツッキーに笑いかけた。目が合ったツッキーはくすぐったそうな顔をして、俺の肩にもたれかかってきた。その重みに目を細めながら、もっと早く確かめればこんなに可愛いツッキーのことをもっとたくさん見られたのかもしれない、なんて考えた。
「だから、さっきからニヤニヤしすぎ」
俺の顔を見ずに告げたツッキーの声を聞き流して、俺はツッキーの左手にまた自らの左手を寄せて並べてみた。
「だって、すごく、幸せだなぁ、って思って」
そう口にしながら、数秒前に思い浮かべた自分の答えに自然と反論していた。いや、でもあの瞬間まで耐えていなかったら、ツッキーは今みたいにこうやって俺とずっと一緒にいてくれるって約束してくれなかったかもしれない。だってそうじゃなければ、俺はあの日ツッキーが捨ててしまった下着をずっと隠し持っていたことを打ち明けずにはいられなかっただろうから。
あの時ちゃんと見れなかった艶っぽい表情も、俺のことを好きだと滲ませる甘い表情も、もう何も我慢する必要もなく、俺はずっとこの距離で見つめていくことが出来る。もちろん、こんなことは、死んでもツッキーには口が裂けても言えないけれど。
ツッキーのなめらかな手の甲を上から覆うように手を重ねれば、触れ合った二つの金属が口づけをするみたいに、カチリと小さく音を立てるのが聞こえた。