夏の太陽が流れてきた白い雲に隠され、ようやく重苦しかった胸のあたりが少し楽になる。
 パラソルの傘ごしに見上げた空は眩しいほどの青さで、見上げている分には気持ちが良い。少し離れたところでビーチバレーに夢中になる仲間の声が耳に届く。その中には、もちろん西谷の声も。
「翔陽、任せろ!」
「お願いシアス!」
 おぉぉ、と間もなく聞こえた短い歓声はきっと隣に座る木下と成田が発したものだ。ズキズキしていた頭の痛みも軽くなった気がして、少し顔を上げる。
「お、生き返った」
「大丈夫かー」
 案の定、自分が寝ているレジャーシートの端っこに並んで座りこんでいる二人は、その間に大きなかき氷を挟んで交互に食べている。
「食べるか?イチゴだけど」
 成田が器を少し持ち上げて尋ねてきたけれど、「いや、遠慮しておく」とやんわり断る。きっとあのビーチバレー大会を抜けて、海の家にでも買いに行ったのだろう。
 額に滲んだ汗を手の甲で拭う。こもった熱を胸から吐き出す。下ろした指先が何かに触れて、誰かの荷物だろう、とぼんやり思った。
 部活のメンバーで海に来たらこんな光景になるのは大体予想がついていた。そのために昨日は意識して普段より早めにベッドに入ったというのに、強烈な夏の太陽に照らされて、結局一時間ももたなかった。
 荷物置き場のために広げたパラソルとレジャーシートに逃げ込んでそろそろ三十分。急遽開催された砂浜でのビーチバレー大会は決勝戦を迎えるようだ。どうやら勝ち残ったのは田中と西谷の騒がしいコンビと、菅原さんと大地さんの主将・副主将チームで、正直どっちが勝つか予想するのは難しそうだ。
 コートの側では、試合を終えた一年生たちが、次にやるのはスイカ割りだろうと先走りしてか、大きなスイカを抱えてごたごた揉めている。
「棒ってそこらの流木を拾って使うんじゃないのか」
「何言ってんの、そんな都合良い棒がそこらにあるわけないでしょ」
「なぁ、何にもないとこでやっても面白くないから、障害物競走っぽく網とか張ろうぜ」
「そんなのクリアできるの日向くらいしかいないだろ、止めておいた方がいいんじゃ……」
 やっぱりいつでもどこでも騒がしいのがこの部活らしい。俺はつい寝そべったまま耐え切れなくなって噴き出した。
「気分、良くなった?」
 パラソルの側に立って俺を見下ろしているのは清水先輩だった。淡い色の水着には合わない赤のパーカーは、さっき田中と西谷が必死になって
「潔子さんの美しい肌を傷つけるわけには……!」
「海には面倒な輩も山ほどいます、ぜひ、これで身の安全を守ってください」
とかなんとか言って、すすめていたっけ。
「心配かけてすみません。大分良くなりました」
 良かった、とつぶやいた清水先輩は、自分の荷物の中から水筒を取り出して、海の家の方へ向かっていった。きっと飲み物を補充するのだろう。さっきまでいたはずの木下と成田も、知らぬ間にどこかへ行ってしまったようだ。
 いっそう騒がしくなったコートが嘘のように静かになった頃、
「力、起き上がれそうか?」
 うとうとしはじめていた両目を開けると、心配そうに俺を見る西谷がいた。大騒ぎしているうちに日に焼け始めたのか、このわずかな時間でもその肌が少し黒くなったような気がする。
 返事をする代わりに俺はゆっくりと身体を起こした。太陽は西の方に移動し始めているが、まだまだ威力は強いままだ。
「もう大丈夫、心配かけて悪い」
 そっか、とうなづいた西谷は、ホッとした様子で大きく笑った。俺の存在なんて忘れて相変わらずの暴走をしているかと思ったのに、ちゃんと覚えていてくれたらしい。
「なぁ、力、ちょっと」
 運動して汗ばんだ西谷の手が俺の手を引く。なんだなんだ、と尋ねても答えてくれないばかりか、ぐいぐい引っ張られて立ち上がるように急かされる。仕方がないから言われるままについていく。
 砂浜に残っている仲間は一年生の準備したスイカ割りを始めようとしているところらしい。誰が一番にやるかとじゃんけんを始めて、どうやら影山がそのトップバッターに決まったようだ。
「なぁ、西谷はやらなくていいのか?」
 俺の質問に、あぁ、とか、うん、とか、曖昧な言葉しか返してくれない。どうしたんだよ、と思いながらもさらについていくと、砂浜からはなれた岩場を歩かされ、大きな崖のふもとにたどりついた。
 海に面した大きな岩のかげに入り込むと、小さな洞窟に続いていて、今は干潮の時間帯なのか、岩を伝って奥の方へ歩いて行けるようだ。西谷は岩場のふちを歩いて、ある程度進むと気が済んだのか足を止めた。
「ここなら向こうより涼しいだろ」
 俺の顔を見てそう言うので、意外と気をつかってくれてるんだとは思ったのだが、
「ここまで来るのに体力使って、また悪化する可能性は考えなかったのか」
俺の指摘に顔をこわばらせたところを見ると、やっぱり深くは考えていなかったようだ。
 俺は腰の高さの岩のでっぱりに座りこんで息を吐いた。見上げると、洞窟の天井に当たる部分が陥没したのか、小さく切り取られた空が目に映った。
「まぁ、悪くはないかな」
 俺のつぶやきに「そうだろ?」とあわてて口にする。こっちの機嫌を気にしてるってことは、きっと。
「で、本当の目的は?」
 まずいところを言い当てられて、西谷が肩に力をこめるのが分かった。あぁ、やっぱり。俺は合点がいって、西谷に顔を向けて目を閉じた。
 そっと西谷が近づいて、軽く触れて離れていった。
 目を開ければ、照れくさそうに笑った西谷が俺の頭を撫でる。重ねられた唇に熱が残っている。
それならそうとさっさと言って、さっさとすれば良いのに。俺は手の焼ける恋人に、くすぐったさを覚えてひとしきり笑った。
「何がおかしいんだ?」
 俺の顔をじいっと不思議そうに見てくるので、唇をキュッと結んで、
「秘密にしとく、西谷そういうの弱いだろ?」
 時にはこういうのも必要だろうと、不敵に笑ってみた。西谷は俺の考えなんて一ミリも分かってない顔で、まだ戻るには名残惜しいと言わんばかりに俺の目を見た。仕方がないから、小さな空をプレゼントしてもらったお礼の代わりに、これまた珍しく俺からその手を取って握りしめた。
 部活のメンバーのところに戻る、その直前まで俺たちは手を繋いだまま海辺を歩いた。この関係はもう半年続いているのだけれど、まだまだ他の仲間には秘密ってことにしている。
 隠し事の苦手な性格の西谷だけれど、今の今まで周りにそれを匂わせた気配はない。俺はそんな事実が嬉しくて、つい西谷に対して「秘密」っていう単語をくちにしてしまう。
 また今日のこの出来事も、俺と西谷だけの密やかな夏の思い出となるのだろう。