田中と西谷がイベントやらお祭り騒ぎなんかが好きなのは今に始まったことではないけれど、今回は珍しく大地さんと菅原さんが賛同者になって、バレー部全員でハロウィンパーティをひらくことが決まった。パーティと言っても部活終了後の一時間、持ち寄ったお菓子や飲み物を口にするだけの簡単な茶話会だ。ただひとつ特別なのは、せっかくのハロウィンなのだから全員仮装して参加しよう、という参加ルールが生まれたことだった。仮装に対して面倒そうな表情を見せたのは月島ただひとりで(そうはいっても月島のその反応を誰も気にするわけがなく)、当日は皆いつもの二倍の速さで片づけを終わらせたのだから、誰もがパーティの準備に心躍らせていたのだろう。
 かくいう俺は、というと、食べ散らかしたお菓子の後片付けやら、騒ぐだろう後輩と同学年のしつけを考えると少し面倒な気持ちは否定できなかったけれど、実は、そうは言っても、ほんの少し浮かれていた。仮装は簡単に出来る吸血鬼にしようと思って、朝、家から白のシャツと黒の長ズボン、黒のトレンチコートをマント代わりにしようとちゃんと持ってきていた。
 いつもはジャージからそれぞれ制服に着替えなおす部員でいっぱいになる部室は、今日だけは皆いろんな恰好に着替えはじめていた。田中はフランケンをやるのか、顔にマジックでツギハギを書き始めている。少し書いてから、
「おい、それ油性じゃないか?」
「えっ、あ、やべっ間違えた!」
「うわっ田中ダセーっ」
 なんてやりとりを木下と成田としている。田中を指さして腹を抱えて笑っている木下は魔法使い、成田はゾンビの格好をしている。手にしているゾンビのマスクは、去年のクリスマスのパーティの時に買っていたものと同じだろう。
「なんだそれ、犬か?」
「ちげーよ、オオカミだよオオカミ」
 窓際では、分厚い手袋をした日向が影山に両手を見せつけて言い張っているが、たしかに耳は小さいし、手作りに見えるマスクは可愛らしくてオオカミというより小型犬にしか見えない。その隣には黒いフードを被っただけの死神の月島と、骨格標本のような骨が書かれたTシャツとジャージをはいた山口の姿があって、影山と日向のやりとりにクスクス笑っている。
 さて先輩たちは何の仮装をするんだろう、と目を向ければ、鞄の中から大きな翼を取り出した菅原さんと目が合った。
「縁下はドラキュラかー。なんだ、皆意外と凝らないもんだな、失敗したな」
 そう言って照れくさそうに笑いながら、紙で作った張りぼての白い翼を背中に背負った。菅原さんが天使の格好をすると違和感がないから、逆に不思議だ。
「そりゃそうだろ、三日、準備する期間があるかないかで、翼まで作らないだろ」
 唇をとがらせる菅原さんに対して大地さんが笑う。かくいう主将は眼帯にナポレオンコートと、海賊のフック船長をイメージした格好をしている。
「それに比べてお前は……」
 菅原さんから視線をそらして、大地さんは嫌味っぽく旭さんを見て口にした。ちなみに旭さんは真っ赤な上着に真っ赤なズボンをはいていて、それはどこからどう見てもサンタクロースの格好に間違いなかった。
「いや、だって、家に仮装できそうな衣装がこれしかなくって。それこそ準備する時間が無かったんだから仕方ないだろ?」
 なんてことを言っているけれど、旭さんのそのサンタ衣装も、去年のクリスマスパーティでの罰ゲームで旭さんが着てきたものだろう。
 パーティが始まる前から部室の中のテンションは上り調子で、これじゃ始まった途端に相当うるさいことになるぞ、と俺はため息をついた。
「皆準備できたら始めるぞー」
 準備の出来た大地さんが他の部員に声をかける。まぁ、今回は帰りが遅くなるといけないからと清水先輩と谷地さんが先に帰ったことだけが救いだろう。もしあの二人も参加していたら、田中と西谷のブレーキがますます難しくなる。
 と、思ったところで、俺はふと西谷の姿が部室のどこにもないことに気が付いた。おかしいな、と今日の部活の記憶を振り返るが、先に帰るとも用事があるとも言わなかったはずだ。なんとなく気になってケータイを手に取る。新着メールが一件。もしや。
『 件名 : 無題
  本文 : 力、助けてくれ』
 やっぱり、と思いながら電話をかける。コール音はすぐに鳴り響いたが、いっこうに繋がらない。おかしい。
「西谷がどこにいるか、知ってる人―?」
「ノヤならトイレ行くって、さっき」
 必死にマジックの線を手でこする田中が答えた。俺はあわてて部室のドアを開けた。
「ちょっと西谷探してきます。皆の準備が出来たら先、始めててください」
 大地さんと菅原さんに告げて、俺は部室脇の外トイレに向かった。他の部活はすっかり下校したらしく、夜に向かう学校は妙に静かで不気味だった。
「西谷―?」
 外トイレの入り口から中に向かって声をかける。じっと待ってみたが、返事はない。ダメもとでケータイにもう一度着信を入れてみる。数秒の沈黙、そこからのコール音。ブブブ、とマナーモードのバイブらしき音がトイレの個室の方から聞こえた。
 信じられない気持ちを抱いたまま、個室のドアの前に立つ。
「西谷、いるのか?」
 水道の方からピチョン、と水の滴る音がして、俺はドキリとした。ごそごそと誰かがいる気配はドアの向こうからしている。俺は勇気を持って右手でドアを軽くノックした。
「に、し、の、やー」
 コン、と叩くと、ゴソゴソゴソッと這うような音がして、カチリ、と鍵の開く気配がした。ホラー映画のような展開に俺は一瞬背筋が冷たくなったが、なんとか叫ぶのをこらえて銀色のドアノブに手をかけた。キィィ、と軋みながら、わずかに扉が開く。すると、真っ白な布に包まれた何かが便器の上にのっていて、その布の重なった隙間から、
「西谷!」
 そう、西谷の眼元が布の下からのぞき見えたのだった。
「お前何してるんだよ、というか、これどういう状況だ」
 俺の質問に答えるように布の中で西谷の唸り声がする。これはもしかしたら命の危険があるかもしれない、と俺は思い到って、とりあえず訳も分からないまま、その布の一部を引っ張ってみた。よく見れば細長い布が何重にもぐるぐるに巻き付いているようだ。まずは呼吸の確保だと、西谷の顔と思われるところの布をとにかくつかんで引っ張ってみる。どこか緩まったかと思うと、どこかがキュッと締まる感触に、少し焦り始める。無我夢中で手を動かしていると、そのうちに布の下から現れた西谷の口が、ぷはぁと大きく息を吐き出した。
「あー、死ぬかと思った」
 洋式便器に座って布に包まれたまま、西谷は俺に感謝の意を述べた。
「ありがとな、力」
「何やってんだよ、こんなところで」
「仮装だよ、仮装」
「は?」
「見て分かるだろ、どっからどう見てもミイラ男の仮装だろ」
 西谷の一言に、頭の中を埋めつくしていた心配の気持ちがすぅっと退いていくのが分かった。心配して損した。俺は大きく息を吐き出すと、トイレのドアを閉めようとした。
「待てって、力。手伝ってくれ」
「何を?」
「便器の足に布が絡まって、立ち上がれねぇんだ」
 はは、と笑った西谷の言葉は嘘では無いようだ。見れば確かに西谷の腰かけている便器の足には、くるくると布の一部がまとわりついている。何をどうすればこんな事態になるんだ、と俺はこめかみのあたりに痛みを覚えた。
 仕方がない、と俺は腹をくくって面倒を見てやることにした。
「高くつくからな」
 そう言って西谷の肩のあたりの布を引っ張ってみる。悪いな、と西谷は言いながら体をよじらせているのだが、いっこうに良くはならない。それどころか解けはじめた布までさらに絡み始めて、なんとなく悪化していっているようにしか思えない。
「あー、もう、西谷は動くな」
 布は包帯やたすきのように端が整っているわけではなく、ほつれた糸が縁に絡んで、そのせいで布同士をこじらせているようだった。考えてみれば体全体を覆うほどの細い布なんて、そうそうにない。一体この布の正体はなんだ。
「これ、どっから持ってきたんだよ」
「家にあったいらないシーツを切って持ってきた。はじめは部活の包帯でも借りようと思ったら、潔子さんに止めてくれって言われてな」
 そりゃそうだ、と相づちを打つ。いらない布ならハサミで今すぐ切り刻んでしまいたいが、きっと西谷は他に仮装するものを持っていないだろうし、この後パーティに戻った時一人だけジャージでは、さすがに可哀想だ。
 悪戦苦闘しながら格闘すること十分。ようやく最後の大きなこぶを解くだけ、というところまでこぎつけた。俺がこぶに指をかけると、ふいに、西谷がこんなことを口にした。
「やっぱり、力に連絡して正解だったな」
「何でだよ?」
「だって、すぐ見つけに来てくれただろ、それって、俺がいないって気づいてくれたのも力だからなんだろうなって」
 ありがとな。そう口にした西谷の目が妙に優しくて、俺はなんだか胸のあたりがむず痒くなった。とにかく早く解いてやろう、と指先に集中してなんとか固いこぶを緩めた時、
「解けたぞ、にしの……」
 顔を上げた俺に対し、西谷の顔が俺に近づいて、唇が重なった。
「さんきゅ」
 にや、と笑って舌なめずりをした西谷を見て、意図的に重ねられたのだと脳みそが修正した。にこにこ笑って立ち上がろうとする西谷に対し、俺は黙っていた腹の虫がムカムカと騒ぎ出す気配を感じた。手にしていた布の切れ端をムチのように両手の間でピンと伸ばす。
「二度と動けないように縛り付けた方が良かったか?」
 怒りを抑えるためにわざと作った笑顔も、西谷には効かないどころか逆効果だったらしい。俺の顔を見上げて目を輝かせながら、
「力、婦警のコスプレ似合いそうだな、今度別の機会によろしくな」
 こんなことをのん気に告げたのだった。