ねぇ王様、王様には庶民の考えてることも、価値観もきっと分かりはしないんだろうね。
 普段はそんな風に思っているのに(そもそも自分でもよく分からない”ソレ”を、会って一年もしない他人の君が察することなんて不可能なんだろうけど)それでも、どこかでふと伝わってしまう瞬間があったとして、その後どうしたらいいだろうかと想定している自分がいる。
 コートの中でしか生きられない、その人格を形作った脳みそのどこかにバレー以外の欲望が存在するのだろうかとか、もしこちらから誘いの言葉を口にしたとしたらどんな風に反応してくるだろうかとか、そんな無意味に思えることばかりを無意識に考えている自分がいて、そんな自分を馬鹿げていると嘲笑って片付けようとするのだが、何故か胸のあたりに曖昧な違和感が居座っていることに気が付いて、いつも虫唾が走る。
 だからこんな展開も望んじゃいなかったというのに。
「王様って自分で性欲処理するの?」
 エロ本を部室に持ち込んだ二年の先輩たちが部室の外で叱られている間、部室の中には僕と影山しかいなかった。生活指導部の教師の怒声を耳にしながら、いつもと何も変わらない調子で着替えをするその姿を見て、興味の虫が悪さをした。
 こちらの問いに、あ゛ぁ?と声を濁らせて目を吊り上げた王様はこっちを見上げて顔をしかめた。
「そんなこと聞いて面白いか?」
「別に。ありとあらゆるエネルギーをバレーに注いでるんだとしたら、人間としてどうなのかなーって思ってさ」
 これは半分が本当のことだ。普段から抱いていた疑問を投げかけた、ただそれだけのこと。
 影山は僕の顔をにらみつけながら、
「お前はどうなんだよ」
 不意に返された一言に何と答えようか、一瞬だけ悩む。
「そりゃ誰だって当然あるでしょ、人間なんだから」
 単なる一般論を口にするだけにとどめておくことにした。あえて自分がどうだと告げるのは避けたかった。影山は僕の言葉を受け取った上で目をそらして、こう言った。
「じゃあそういうことで良いじゃねーか」
 着替えを終えた影山がシューズをつかんで部室を出ていく。その背中を見ながら、もやもやとした感情が残っていることに気が付いた。何で、こんないらいらしなきゃいけないんだ、と舌打ちをひとつ。もっと何か別の言葉が返ってきていたら、何か変わっていたんじゃないか、そう思っている自分がいることに、またひとつ舌打ちをした。



 部活の練習時間の終わりに、隣のクラスの女子に呼び出されて告白をされた。練習の後で疲れているというのに、いい迷惑だと思っていると、ふと部活前の影山との会話を思い出した。そういえば影山も入学してから数人の女子に呼び出しをされたことがあると風のうわさで耳にしていた。きっとバレー馬鹿の王様は全て断ったのだろうけれど、もし了承の返事をしていたとしたら、あの影山が異性とセックスすることも当然有り得るのだろうか。
 自分を呼び出した女子に断りを述べてから、部室に戻る前に頭の中に情景を描いていた。あのしなやかな指先で異性の肌に触れ、快楽とは無縁そうな顔を歪ませて、汗をにじませながら腰を動かしたりするのだろうか、あの王様が。
 胸の奥底で渦巻く何かにまた舌打ちをひとつして、部室に戻る。部屋の中には、もう着替えている部員の姿はなく、ただ一人気難しそうな顔で待っている影山の姿があった。
「おい、お前のせいで帰れないんだが」
 腕を組んで、威圧的に部室の中央で座っている姿に、ぷっと苦笑をひとつ。
「そっか、今日王様が部室の鍵当番だっけ?ごめんね、待っててくれて」
 いつもの調子で皮肉を口にしながら靴を脱いで畳の上に上がった。閉めてやろうかと思った、と悪態づく声にくすくす笑うと、気に食わない表情で黙り込んだ。他の部員たちは早々と帰ったのだろうし、いつもだったら頼みもしないのに待っている山口も今日に限っては家の用事を理由に、部活が始まる前に一足早く帰っている。
 残る一年の日向は、と尋ねると、「腹減って死にそうだ、つって帰った」と告げられた。
「ふぅん、じゃあもう王様だけなんだ」
 シャツのボタンを閉めつつ、そうからかうと、「おい」と鋭い声が飛んできた。
「お前、いつまでそうやって呼ぶつもりだ」
「何のこと、”王様”?」
 カッとなって立ち上がった影山の腕が僕にのびて、閉めたばかりのワイシャツの胸のあたりをつかんできた。分かっていながら僕がとぼけて、わざと口にしたことに影山も気が付いたようだ。睨むその目は、初めて会ったあの日と何も変わっていない。
「別に”王様”でも良いんじゃないの?カッコいいし、実際庶民の僕とは違うでしょ」
「何が言いてぇ?」
「”横暴な態度とっても良いんじゃない?”って言ってるんだよ。例えば、そう、性欲処理の道具にする、とかね」
 ギラギラしていた影山の目から力が抜ける。言葉に出さないまでも、心の中で全力で「は?」と発しているに違いない。その表情があまりにも面白いから、むずがゆくなる体の中を馬鹿にするみたいに、僕は笑った。
「良いよ、相手してあげる。”童貞の王様”なんて格好つかないもんね?」
 影山はきつねにつままれたかのような、間の抜けた顔をしている。わざと右手をのばして、影山の性器に、ジャージの布越しに触れる。驚いた様子で後ずさりした影山の手が離れ、つかまれていた胸の苦しさが和らぐ。
「それとも何?王様は庶民相手じゃ勃たないって言いたいの?」
 それは失礼だなぁ、と乾いた笑いを浮かべたところ、眉をひそめて困惑の表情の影山が、こう口にした。
「お前、何言ってるか分かってんのか、俺のこと嫌いなんだろ」
「あぁ、大っ嫌いだよ」
「じゃあ何で、」
「だからだよ、絶対僕のこと、好きにならないでしょ?あのさ、好きとか嫌いとかもうどうでも良いんだよね、面倒くさいし。せっかく気持ちいいことするなら、手っ取り早くて後腐れないのが一番だと思うわけ。そうでしょ、”王様”?」
 チッ、と舌打ちする音が耳に届いた。
「あ、それとも気持ちよくセックスする自信ないんだ?王様、そういうの下手そうだもんね」
 挑発に苛立ちを隠せないその表情を見つめて、僕は意地の悪い笑みを送った。
「そうだ、もし王様が上手くできたら、そしたら、もう”王様”って呼ぶのは止めてあげるよ。どう、”王様”?」
 胸に衝撃を覚えて、続けて背中に痛みが走った。視界がぐるりと回転し、見慣れない部室の天井が目の前に広がった。僕の襟を両手でつかみ、苦虫をかみつぶしたような顔でにらんでいる王様と目が合う。胸の中で心臓が震えていることに気が付かないふりをする。少しずつ、王様の顔が近づいてくる。不安を吹き飛ばすために、無理に鼻先で笑って見せた。
「もしかして、男とこんなことしてハマるのが怖い?」
 うるせぇ、と短く口にした顔が近づいて、首元に埋められた。夜の部室で冷やされた首元に、湿った息が吹きかかって背筋が震えた。大きく、心臓がはねる。そんな反応をしなくて良い、と自分の体を揶揄する。要領を得てない影山の唇が首元に触れる。そのまだるっこしい接触に、苛立ちがつのる。
「そういうのいらないから、下、脱いでよ」
 自分のベルトに手をかけながら促せば、舌打ちをしながら影山も自らのベルトを外しはじめる。制服のスラックスのファスナーを下ろした状態で待っていると、いらだつ影山の手は上手く動かないらしく、待つのも馬鹿らしくなって、知らぬ間に手を伸ばしていた。
「準備はこっちでしてあげるから、王様は大人しくしててよ」
 ベルトを外し、ファスナーを下ろす。下着をずりおろすと、影山のそれがまだまだかたさの足りない状態であることに気付く。仕方がないから手のひら全体でやわやわと揉んでやる。まだまだ挿入するには物足りない。
 直視しながら触る僕を見下ろしながら、影山は居心地の悪そうな顔をしていた。それでも物理的な刺激は心地いいらしく、しかめていた目の奥に快楽の色が灯るのを見逃せなかった。
「気持ちいいんだ、王様?」
 何だよ、と強がって発したその声は、明らかに艶っぽく揺れていた。それがひどく面白くて、指先に力をこめる。滲み出て来た先走りによって、ぐち、と生々しい音が大きく鳴った。続けて親指で先の方を撫でてやれば、影山の口から荒い息が二つ三つ漏れ出した。くそ、と頭を振った、その黒髪がさらりと揺れる。
「イって良いんだよ、王様」
 ギリ、とにらみつけた目が一瞬力をもつ。応えるように強くしごきあげれば、弱々しく逸らされた。握りしめた手の中は、もうどろどろに溶けている。このままいけばその瞬間の顔をしっかりと見ることが出来る、と思っていたところで、影山の左手が僕の肩をつかみ、乱暴に右手を下着の中に押し込まれた。指先で触れられた瞬間、身体が熱くなった。
「ハッ、お前も人のこと言えねーだろ」
 自分でも分かるくらい勃起したそれに影山の指が絡んでくる。ぞくぞくと痺れる背筋が熱い。
「やるんなら、もっと優しくしてよ、横暴だなぁ……”王様”だけに」
 ぎゅう、と指を強く絞められる。アッ、と短く声が出た。悔しくてお返しに先端を強くこすった。奥歯を噛みしめてこらえる表情に、いい気味だと思う。
「お前が先に出せよ」
 下着から引きずり出されたそれを上下にしごかれる。それをされると弱い、けれどそれを知られたら負けることになるから必死に余裕の表情をつくる。さっき反応が良かった、先端の部分に先走りを塗り付けるようにしてこすりあげる。くぐもった声が影山の喉もとから漏れ出した。裏すじのあたりを撫で上げたら、息を止めた影山の全身が大きく震えた。
「僕の勝ちだね」
 汚れた指を見せつけて告げる。荒い呼吸をつづけながら睨んできた視線に、心臓が跳ねる。乾いた唇を舌で湿らせ、唾液を飲み込む。掌に乗った白濁の液体を指にまとわりつかせ、自分の後孔へと塗り付ける。
「おい、何してんだ」
「何って、挿れる準備だけど」
 信じられない、という顔で僕の顔を食い入るように見てくる。自分が何をしているのか分かったうえで見られていると思うと、胸の中がざわざわとした。ようやく一本入った指をゆっくり動かす。今まで試してきた中で、もっとも早くそこまでいったように感じる。これなら大丈夫かもしれない、と思いながら指を増やす。
「”王様”も手伝ってよ」
 見ているだけの影山の手を取り、舌を這わせる。唾液で濡らした指先をあてがえば、ゆるゆると入って来た。もっと気持ちよくなりたいでしょ、とそそのかすと、挿れられた指を動かされたのか、体の中を快楽の波が駆け抜けた。
「悪くない、ね」
 皮肉をこめて笑いかける。興味を抱いた表情の影山が手を動かすのが分かった。ぞくりぞくり、と皮膚が震えて体温が上がる。緩んでいた性器に再び熱が膨らんでいくのを感じながら、もっと、とつぶやく。限界を迎えそうになるその一歩手前で体をひけば、ずるりと抜けていく感覚が鈍くした。見れば影山のそれは再び天を仰いでいる。
 挿れなよ、と告げると、張りつめた顔で腰を近づけた影山によって、ゆっくりと手さぐりで挿入されていくのが分かった。全身を裂くように内壁を割って侵入してくるそれに、息が詰まりそうになる。指とは比べようのない重量に息苦しさを覚えながら、少しでも楽になれるように深く息を吸って吐いた。ぐぐぐ、と進んできたそれが動かなくなったのを感じ、一息つく。視界に近づいた王様もそれはおなじだったらしく、僕の顔に熱っぽい吐息をこぼした。
「キツい」
「文句、言わないでよね」
 隙間なく、きちきちと密着している感覚に頭が溶けそうになる。むずむずとかゆくなる身体の奥が、早く動けと急かしている。言葉にするのは癪だったから、その顔を見上げるだけにとどめた。目が合うなり、深呼吸をひとつして、影山が腰を引いた。入口を擦られて、声が出た。少し痛いけれど、初めてだから仕方がない。王様の方はというと、さっき口にした通り少し窮屈そうな顔をしている。どうにか緩めてみようと息を吐く。少し楽になった瞬間、ぐっと奥に推し進められた。
「ちょっと、ん、」
 遠慮なしにくり返されるその挿入に、無意識に声が出る。自分の声のうるささに唇を噛みたいのだけれど、うわつく歯が震えて口が閉まらない。影山の手が僕の性器を握りしめる。ぞわり、と首筋が泡立つ。水気を含んだ淫らな音が部屋中に響いている気がして、耳のあたりが熱くなる。
 無言で腰を揺らす影山の顔は無心そのもので、試合の時の集中している時のそれに、どこか似ていた。
 少しずつ膨らむ快楽の波に、際限がないように思えた時、身体の中に熱いものが注ぎ込まれ、ふっと意識が飛んだ。ほんの刹那のその一瞬を挟んで、影山の体が脇に倒れこんだ。引き抜かれた感触に震えながら、僕はようやく胸の中に溜まっていた息を吐き出した。
「これで満足かよ」
 呼吸を整える間もなく尋ねられた。そうだな、と考える調子でつぶやいてから息を整える。
「うん、まぁ……悪くなかったんじゃない」
 そうかよ、と唇を尖らせた横顔を見つめ、あえて苦々しい調子で返した。
「仕方ないから、約束は守ってやるよ、影山」
 よっぽどお前の方が王様みたいだな、と悪態をつく声が真横からした。僕は胸の中に出来た、ぽっかりとしたものに想いを馳せながら、目を閉じる。自分の中にある矛盾には、決して目を向けないようにして。
 まだ身体を支配する挿入の感覚を鼻で笑い飛ばそうとして、胸の奥がわずかに痛みを伴った。自分がついた嘘を数える気にもなれない、と思った時、にじんでいた涙が頬を伝った。その涙の意味ですら、僕は必死に分からないふりをした。