昼休みの屋上は静かだけど、遠くの騒がしさが伝わってくる不思議な場所だと思う。いつもだったらツッキーと二人で坂ノ下で買った菓子パンをかじっている時間なのだけど、今日に限っては違う。グラウンドから聞こえてくるクラスメイトの掛け声がやけに大きく聞こえてくるのは、今俺が一人で黙っているからなんだと思う。
 学ランの胸ポケットに入れていた日程表を引っ張り出す。左手にあった、飲みかけだった紙パックのぶどうジュースを飲みほす。空になったパックから伸びるストローを噛んでぼんやり日程表を見ると、八等分に折りたたまれた紙には明日の日付とテストの時間割が印刷されていた。
 ガタンと大きな音がして、俺は後ろを振り返った。開かれた屋上のドアの前には、バレーボールを抱えた日向が立っていた。俺の顔を見て指を差すなり「あっ」と叫んだかと思ったら、何度も瞬きをしてから首をかしげた。いつ見ても、見てるこっちが疲れそうだと思えてくる。
「月島は?」
 警戒する小動物に似た調子で歩み寄って、それだけを口にした。俺は「風邪で休み」とだけ伝えて紙パックをたたみはじめた。ふぅん、と短い返事が耳に届いた。テスト週間で朝練がなかったから、別のクラスの日向が知らなくても当然か。少し紫色に染まったストローを押しこみながら、俺はそう思った。
「夏風邪ってバカがひくんだよな?月島ってバカだったのか」
 嬉しそうに「ニシシ」と笑って日向が言った。否定するのも面倒だったし、そもそも初夏の五月を夏に入れて良いのか分からないなと思った。
「風邪をこじらせないために休んでるんだと思う、明日テストだから。昨日風邪気味って言ってたし」
 ふぅん、と再び短い返事をして、日向は屋上の真ん中でボールをつきはじめた。その姿に、日向の制服姿をあまり見たことがないと気がついた。部活で一緒にいることの方が多いせいもあるけれど、休み時間で見かけても制服より体操着を着ている時の方が多いと思う。今日だって、一組と二組の体育は二時間目だったのを見たから、体操着でいるのは変だ。小さく折りたたんだ紙パックを手でいじりながら考えていると、日向が俺に声をかけた。
「暇ならさ練習相手やって」
 差し出されたボールには、よく見るとマジックでクラス名が書かれていた。そういえば一番最後の部活で、日向と影山がキャプテンに釘を刺されていたのを思い出した。部活がないのはテスト勉強をするためなんだから、しっかり勉強しなさい。こんな風に、さんざん耳にタコができそうなくらい言われていたのに、もう忘れてしまったらしい。
「部活休みの間はバレー禁止って」
 ぎくり、と日向の顔がこわばった。じゃあ、いい、おれだけでやる。そう言って俺から離れると、空に向かってくり返しボールを突き始めた。言いかけた言葉を遮られ、俺は後味悪く口を閉じた。もしかしたら、先輩たちに見つからずに練習できる場所を探して屋上に来たのかもしれない。きっとそうだ、体育館は今日PTAの集会でふさがっているし、中庭やグラウンドは廊下から丸見えになるから。
 一人でボールに触っている日向の横顔は相変わらず楽しそうに見える。中学の時もきっとこんな感じだったんだ。少し前に、日向が中学で一人で練習をしていたと聞いたことがある。きっとボールに触っていられるなら場所なんて関係なくて、それが当たり前になっているんだろうな。転がったボールを拾い上げる様子が、あまりに軽くて胸の奥に戸惑いが湧いていた。
 どうしてそんなにバレーが好きなんだろう。俺もツッキーももちろんバレーが好きだけど、日向とか影山みたいにはなれない。上級生に目をつけられて怒られてまで練習しようだなんて、俺には想像もつかない。でも、そういうとこが俺と日向の違いなんだと思う。レギュラーになれるか、なれないか。活躍できる選手か、そうじゃないか。
 胸の奥が、つきり、と痛んだ。
「山口ってさ」
 ボールを上げながら、日向が話しかけてくる。
「月島とずっと一緒だと思ってた」
「いつもじゃないよ、家は別だし授業でバラバラになることもある、それに」
試合中だって、一緒にコートにいられるわけじゃない。そう言いかけてとっさに止めた。ベンチで応援してる時は一緒に闘ってるんだと自分に言い聞かせていても、こういう肝心な時に本音は出てくるんだと思った。ツッキーがいない、こんな時に限って。
「日向こそ、影山と一緒だと思った」
「バレーやる時以外あいつと一緒にいようなんて、おれは思わない」
 話を逸らすと、日向は苦々しい顔でそう言った。確かにそうだ。俺は自分の口にした言葉の間違いに笑ってしまった。良い意味でも悪い意味でも、日向と影山の頭の中にはバレーしかないんだ。
 日向が手を滑らせてボールを顔面で受け止めた時、予令のチャイムが鳴った。グラウンドから聞こえていたたくさんの声は、いつの間にか小さくなっていた。ボールを抱えて教室に戻ろうとする背中を見ながら、俺は早く明日にならないかなと思った。
 明日になれば、またツッキーと一緒にいられる。