外向きにはルームシェアと称して山口と同棲を始めてから、早くも三年が過ぎた。僕と山口は高校の半ばから、いわゆる恋人同士の関係となり、いつからか、お互い高校を卒業したら実家を出て一緒に暮らそうと提案しあっていた。
実際、一緒に暮らし始めて数か月が経つまで、それまで家族以外の他人と生活する経験のない自分と山口は、あらゆる場面で戸惑ってばかりいた。ただ、僕も山口も、お互い長く付き合うなかで、なんらかの際に、どうやって折り合いをつければ良いのかについては大いに知り尽くしていた。特別大きな喧嘩をすることなく、変に揉めることも無く、その点では、僕と山口の同棲生活は、客観的に見ても、上手くいっている方なのではないかと自覚している。
山口と恋人同士になったのは高校一年の夏のことだったが、友達となったのはそれよりはるか前、それこそ小学校の三年の時だったことを思い出すと、必ず、自分はずいぶんと長い時間をこの山口忠という男と一緒に過ごしてきたのだな、という妙な気持ちになってしまい、(定期的にふと思い出すことではあるのだが、その度に新鮮な感覚で)胸のあたりが、なんともむずがゆい感情でいっぱいになっていく。人は、僕と山口がお互いのことを、それこそ頭の先から足の先まで、何もかも知り尽くしている間柄なのではないかと言ってくるが、実際、当人からすれば、そうとも限らない。僕は、山口のすべてを知り尽くしているわけではない。つい先日も、そうハッキリと感じた出来事があった。
きっかけは、大学のゼミの同期生がもちかけてきた心理テストの話題だった。
「スマホの待ち受けで、その人の性格がわかるんだって」
だいたいどの集団にも一人くらい、占いや心理テストの類を好んで定期的に話題を振るタイプの人間がいる。自分の所属しているゼミにおいて、それが同期で一番顔が広いと有名なその女子であることに間違いはなかった。その日も、講義が始まるまでの数分の間、彼女を中心にして、複数の人間がスマホのホーム画面を順番に披露しながら、ひとしきり盛り上がっていた。
「綺麗な風景の写真にしてる人は、実はすんごいナルシスト。ペットとか動物とかの写真にしてる人は寂しがりや。家族の写真にしてる人は誠実な人、恋人の写真はメンヘラかまってちゃんで、友達との写真を選んでる人は実は飽き性……」
ふーん、へぇー、と声が漏れる中、得意げに結果を口にしていた彼女が不意に顔を上げた。不満そうな顔つきで周囲を見渡すと、その数秒後に、こちらと意識的に視線を合わせてきた。嫌な予感をひしひしと抱きつつ、彼女の視線から逃げるように息を潜めて気配を殺してみたが、その努力も結局は徒労に終わった。期待に満ちた表情の彼女が自分の目の前までやって来たかと思うと、案の定、
「ねぇ、月島はスマホの待ち受け、何にしてる?」
こういう場面において無理に誤魔化すのは逆効果であると、これまでの経験において自分は、嫌というほど知り尽くしている。本心では放っておいてほしいと心の底から願ってはいるのだが、最終的に、仕方なく、差し出すことにした。すると、目を見開いた彼女が嬉しそうに、やっぱり、とつぶやいた。
何が、と聞き返す間もなく、彼女は嬉しそうに笑ったまま、さっきまで中心にいたそのグループのメンバーに向けて振り返った。
「月島みたいに、初期設定のままの人は、すんごい面倒くさがりで、人の目ばっか気にしてる人!」
人の鼻先を指さした彼女の言葉を聞き取った面々が、えっ、とか、うそっ、という声を漏らす。そして同時に、信じられない、とか、そんな人いるんだ、なんて言葉までもを口にし始めた。
「別に何だって良いでしょ……」
放っておいてくれ、と声を張る気力もわかず、あまりにも楽しそうにしているグループを横目に、とうとう口を閉ざすことしかできなかった。そんなことがあった日の帰り道、ふと、脳裏をよぎったのは、山口のスマートフォンのホーム画面の画像のことだった。
山口のスマホのホーム画面を目にしたことは、それまでにも何度もあった。ただ、そこに表示される画像の正体を、自分は一切知らずにいた。山口のスマホには、いつも白っぽくてただひたすらぼんやりとした、写真なのかイラストなのかも判別のつかない、正直あまりよく分からない画像が設定されていた。もう何度も目にしているおかげで疑問を抱く機会は少なくなっていたものの、改めて、その画像の正体を知りたいと思う自分がいた。
二人で暮らすアパートの部屋に戻ると、先に帰宅していた山口は、リビングのソファでひとり、くつろいでいた。その手にはスマートフォンが握られていて、なにやら熱心にそれを見つめている山口は、一瞬こちらに視線を向けたかと思うと、
「おかえり」
と短く告げただけで、すぐさま画面の向こうへと意識を向けてしまった。普段は気にもかけないそんな仕草が、その時は妙に気にかかった。気づけば、知らず知らずのうちに、音を立てないよう、山口の腰かけているソファの背面に、そっとまわりこんでいる自分がいた。気づかれないよう首をのばし、山口の手元へ視線を下ろす。その小さな画面にラインのトークルームが表示されているのを確認した、その時。
「ツッキー、……どうしたの?」
振り返った山口と目が合って初めて、自分が何をしていたのか、気づかされることになった。どきりと震えた心臓が、騒がしく鼓動を打ち続ける。自分がされたら一番不快に思う行為を、よりにもよって山口相手にしてしまったと気づいたときには、もう遅かった。言葉を失っている自分に対し、山口は不思議そうにしばらくこちらの様子をうかがっていた。だが、ふとした瞬間、ふいに申し訳なさそうな顔つきになったかと思うと、すぐさま、手にしていたスマホの画面を僕の目と鼻の先へつきつけてきた。
「サークル仲間のグループ、来週の新歓の打ち合わせがまだ済んでなくて、大急ぎで決めなくちゃいけなくて、それで、」
目の前に差し出された山口のスマホには、複数のアカウントによって飲み会の相談をしているメッセージのやりとりが表示されていた。
「ツッキーを不安にさせるようなこと、してたかな……? もしそうだったとしたら、本気で謝る、ごめん」
必死に弁明しようとする山口の言葉から、自分のした行為で別の誤解が生まれているのだと、ようやく気づかされた。大きく咳ばらいをし、なんとか声を張り上げていた。
「別に、そういうんじゃないから……お前に浮気なんて死んでも出来るわけない、って思ってるし、ただ、」
「ただ……?」
「待ち受けの、画像、……」
「え?」
「お前の、スマホの、待ち受けの画像、が、何なのか、聞きたかった……それだけ、……!」
ぽかん、とした表情の山口と目が合った。その瞬間、鳩が豆鉄砲を食らったような顔、とはこんな顔のことを言うんだろう、と無駄なことを考えている自分が頭の片隅のどこかにいた。
「スマホの、待ち受け……?」
こちらに突き付けていたスマホを引っ込め、その画面を見下ろした山口がハッキリと首をかしげていた。ぽちりと山口の指先がホームボタンを押し、画面がホーム画面へと切り替わっていく。その画面を見下ろした山口が、長い時間をかけ、ようやくこちらの発したその言葉の意味を飲み込んだらしかった。
「あ、……ああ、……あああ、こ、これのこと?」
白っぽく表示されたホーム画面の背景を指さし、山口が見上げてきた。何故か今度は信じられないほど真っ赤な顔でこちらを見つめてくるので、僕は思わずドキリとして、気づけば大げさに首をたてに振っていた。山口は僕が肯定するのを目にし、瞬く間に、恥ずかしそうに顔を歪めていった。
「これは……その……なんて説明したら良いか……」
ごにょごにょと口ごもる山口につられて、こっちまでむずがゆくなってくる。気まずさを拭いたい一心で、声を張った。
「それ、写真なの、それとも、何かの画像なの?」
「しゃ、写真だよ! ツッキーとの!」
え、と思わず息を飲んでいた。えーと、と唸った山口がスマホの画面に指で触れる。
「ほ、ほら、これ、この写真」
再び差し出されたスマホの画面は写真フォルダの表示になっていて、たしかに今さっき目にした待ち受けの画像と同じものが三年前の日付とともに大きく映し出されていた。改めて注視してみたが、やはり全体が白っぽくぼやけた画像でしかなく、自分や山口の姿どころか、本当に何ひとつとして映り込んではいなかった。
「これが、写真……? いつの……?」
目を細めて見ても遠くから眺めてみても、一向に何の写真か思い出せそうにない。すると、山口が画面上部に表示されている日付のあたりを指さして、照れくさそうに口を開いた。
「ツッキーはこの日付を見て、何かピンとこない……?」
言われて改めてその数字の羅列に目を向けた。ちょうど三年とひと月前の日付であると気づいたとき、ようやく、それが山口と二人でこの部屋で一緒に暮らし始めたその日であると思い出していた。
「思い出した? 俺、初めてこの部屋に二人できた時、すごい嬉しくて、その気持ちを何かしらの形で残したかったから、ツッキーにお願いして、二人で写真を撮ったんだよ」
その日のことは、ハッキリと昨日のことのように覚えている。たしかにその時、山口からの提案で、まだ何も広げていない部屋の真ん中で二人並んだ写真を、山口はしっかりと撮り収めていた。
「俺、この日、ツッキーとこれから一緒に暮らせるんだ、って思ったらすごく嬉しくて、ドキドキしすぎて手汗でスマホ落としたりして上手く撮れなくて、たった一枚写真を撮るのに、ものすごく苦労した、って事も、ツッキーは、ちゃんと覚えてる?」
「覚えてるけど、でも、最後の一枚はしっかり、ちゃんと二人写った写真が撮れたはずだけど」
そうなんだけど、と口にした山口が、気まずそうに視線をそらすのがわかった。
「俺、一年前にスマホの機種変する前に、スマホの中のデータを整理しようとして、その……うっかり……肝心の一枚を消しちゃって……それで……」
そこまで耳にして、ようやく山口の待ち受けの画像が何であるかを察していた。きっと罪悪感もあって、削除してしまったことを僕に話すわけにはいかないと考えた山口は、今日までその事実を隠し続けていたのだろう。
「でも、だからって、何でこんな、何も映ってない写真をわざわざ待ち受けに?」
照れくさそうに唇を噛み、山口が愛しそうな表情でスマホに映った写真に目を向けた。
「それは、……俺にとっては、この写真は、大事なツッキーとの思い出だから。この写真を見ると、自然とあの日のことを思い出して、この辺が、ぽかぽかってしてくるからなんだよ」
そう語る山口の右手が、その左胸のあたりをくるりと撫ぜていった。いまひとつ腑に落ちないまま耳を傾けていた自分と目が合うなり、山口は、ふふ、とやわらかく微笑んでみせた。
「俺に比べてツッキーはあんまり写真に残したがったりしないけど、俺は、大切な日の写真はどんなものでも残しておきたいなぁ、って思う方なんだ。だって、写真を見ると、自然とその時のことを思い出して、一瞬でその日に戻ったような気になれるから。だから、これも、そう。知らない誰かが見たら何も映ってないピンボケ写真だろうけど、俺にとっては、見れば絶対にあの日のことをいつでも思い出せる、すごい宝物なんだよ」
「別に、もっと他の、旅行に行った時の写真とか、それこそ山ほど写真撮ってあるくせに」
「うん、だけど、俺、最近になって気付いたんだよ。さっきみたいに、誰かが近くに居て、わざとじゃなくても画面をのぞきこまれた時にツッキーとの写真を見られたとしたら、何て説明したらいいのかな、って。俺、嘘つくの、上手い方じゃないし」
へへ、と笑って頭を掻いた山口の言葉は、たしかに一理あった。それこそ今日のゼミの場面のように、何かしらのきっかけで待ち受けの画面を見せなければならなくなった時に、山口との写真を見られたら面倒以外の何物でもない。
こういう変なところで賢さを持っているんだよな、と改めて山口を評価していると、目が合った山口が不安そうに唇をゆがめていた。
「でも、やっぱり、こんな写真を設定してるのって、変かな……? やめた方が良いかな……?」
「別に、むしろ、僕にもそのデータちょうだい」
え、と驚きで声を裏返した山口だったが、こちらが再度念を押すと、しぶしぶというテンションで写真のデータをラインで送ってきた。僕はその写真が自分のスマホの画面に表示されているのを目にして、ふと、山口と並んでこの部屋で写真を撮ったあの日のことを思い返していた。まだ何一つ家具さえも並べていない空っぽな部屋の窓際で、一足早く感じた春の暖かな日差しを背中に受け、肩に回された山口の腕と掌の体温を感じていたあの昼のことは、確かに、強烈に身体のどこかに深く刻み込まれていた。山口の言うことは、時に真理を突いているのではないかと思うことがある。真っ白な写真を見つめながら、僕は山口と同じように、その写真を初めての操作手順で選び取り、待ち受けの画像として表示設定した。
ホーム画面のアイコンの奥に広がる白い光は、まるで、あの春の日の陽だまりの一部をそこに切り取っているみたいに思え、そんなわけはないのに、じわりと背中に温かな熱が広がっていくような気さえした。
「え、ツッキーも待ち受け、それにしたの」
横目でこちらの画面をのぞいてきた山口が、信じられないと言いたげな声色でそう尋ねてきた。
「悪い? 『おそろい』とか、お前は昔から好きだったはずだけど?」
少しイラッとしたから皮肉をこめて返したはずなのに、山口はひどく嬉しそうな顔をして、ただひたすら、くすぐったそうに笑いつづけるだけだった。
山月千夜一夜物語#2お題「陽だまりをうつした写真」の〆切に合わせて執筆、参加した際の作品。
表にある同タイトルは、後日この文章が気に入らなくて頭から書き直したリライト作品。